香椎宮

16日の水曜に、近くについでがあって香椎宮を訪れました。

晴れ渡ってのどかな日よりで、悠久の歴史に連なる古社で非常にゆったりした貴重な時間を過ごすことができました。

 

 

 

ここではいつも、境内の西側にある摂社の武内神社も必ず参拝しますが、境内の東側にも同様に摂社の巻尾神社があり、この二社で左右の両脇を固めるような格好になっていますね。

武内神社に祀られている武内宿禰は極めて有名ですが、巻尾神社に祀られる中臣烏賊津大連(なかとみのいかつおおむらじ)も、仲哀天皇及び神功皇后の重臣として共に仕えた重要人物です。

自分がはじめにこの中臣烏賊津に興味を持ったのは、岡垣にある高倉神社の最初の神官が伊賀彦という伊賀出身の方であることを知っていたためでした。

高倉神社では大倉主と菟夫羅媛命という遠賀の土地神であった夫婦神を祀りますが、この両神は伊勢内宮の第2位の末社である津布良神社に、津布良比古命(つぶらひこのみこと)と津布良比賣命(つぶらひめのみこと)の名で祀られているようです。

そして、この高倉神社は、元は八剣宮と言い、草薙の剣の伝承が伝えられており、新羅の僧が熱田宮から草薙の剣を盗み出したものの、この地で捕らえられ、神剣がこの地にある間に同じ剣を7振り作らせたことからの名称と伝えられています。
また、遠賀地方周辺には剣神社が幾つかあり、確か古くは7社くらいあったというように鞍手の八剣神社の氏子さんに伺ったことがあります。鞍手という地名も、元はクラジというのが訛ったものと伝えられていて、直方の剣神社では倉師(くらじ)大明神として高倉下が祀られていますね。

遠賀の一体というのは物部の根拠地の一つとして知られており、大倉主とは高倉下のことであるとも聞きますが、高倉下と言えば、神武天皇に先立って天下っていたニギハヤヒに従っていた高倉下が神武天皇に霊剣布都御魂を献上したとされています。この布津の御霊をご神体とする石上神宮には七支刀が伝わっていますが、何となくつながりが気になる部分が多く、何れ機会があれば詳しく調べてみたいというように感じます。

中臣烏賊津は藤原氏の元である中臣氏の祖とされるようですが、藤原氏の氏神は武甕槌神であり、烏賊津(いかつ)と雷(いかづち)がはっきりと通じていること、布津の御霊はそもそも武甕槌神が中つ国を平定した際に用いた霊剣であったことなど、掘り下げていけば非常に興味深いキーワードが数々散りばめられていると感じさせます。

 

香椎宮にある神功皇后のお手植えの綾杉ですが、実は高倉神社にも同じ由緒の綾杉があり、神紋もこの杉を象ったものとされているようです。→高倉神社神紋

 

 

 

皇后陛下が放生された亀(の子孫)がのんびりと甲羅干しをしています。

この皇后は無論神功皇后ではなく、大正の貞明皇后様ということでした。

自分はこの貞明皇后がお育ちになり、生涯を通じてご縁のあった東京の町の出身だったということを、今回調べてはじめて知り、何となしにご縁を感じた次第です。

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