新月のサビアンの意味

毎月、新月のサビアンを読み解いていますが、そのことにどのような意味合いがあるのでしょうか。

月の満ち欠けには、四季と同じように陰と陽の極まりである新月と満月、それから、陰陽が中分する上弦と下弦の半月があると考えてよいと思います。
夏至、冬至、春分点、秋分点の2至2点と比較しますと、次のようなイメージです。
新月(朔)=冬至、上弦=春分、満月(望)=夏至、下弦=秋分

冬至には陰が極まり、そこに陽が生じて来ます。霊的な何かを受精する時です。東洋ではこの時を一陽来復の時として、西洋では太陽の復活の時として祝います。

新月のサビアンには、月が毎月受精する宇宙からの霊的なメッセージが象徴されているのではないかということが感じられるように思います。

新月が起こるのは年に12回程です。従って、360度すべてのサビアンシンボルメッセージを新月から受け取るには、あくまでも単純計算ですけれども約30年かかることになります。
※月の朔望周期は29.53日であり、朔望が360回繰り返されるには、29.53年かかる。しかし、実際に360度すべての度数において新月が起こるか否かは定かではありません。

この数字でピンと来た方もいらっしゃると思いますが、これは土星の公転周期である29.46年にほぼ等しいものと考えてよいかと思います。

つまり、人生の課題の経験を一巡する周期と見なされている土星と等しい周期において、新月のサビアンは、月ごとに課題を分けて示してくれているのではないか、と考えても良さそうに思われます。

何故月を指標にするのか、ということもあるかも知れませんけれども、月というのは生命とは非常に切っても切れない存在です。生命には7という数字が深く関わっているという意見が非常に多く聞かれ、女性の生理周期も7を4倍した28日とされています。

この28日は、月の満ち欠けを表した月相の日数と一致していますが、主な月相は次のようになります。
新月(朔)=0、上弦=7、満月(望)=14、下弦=21

人間の生理的な部分に一番密接な存在である月が指し示すものについて考えるということは、現実的に人生の中で何らかの課題に取り組んで行く上では、欠かせないもののように感じられるところがあります。

7というのは一桁の数字の中で、唯一円周を360等分した度数で割り切ることができないため、正7角形というものは地上には決して存在しないものであり、つまり正7角形というのは実際には存在し得ないものが存在している奇跡を表しているとように考えられています。

また、7がこの現在の地球上の尺度では割り切れない数字であるということは、反対に考えれば、7で割り切ることのできる別次元の世界につながっている数字である、ということができますので、常にこの世ならざる力が働いている数であると考えることができます。

7については、機会をあらためて別なところで触れることにして、話をサビアンに戻しますが、先ほど、人生上の大きな節目となる周期として触れた約30年というところでピンと来たかたもおられると思いますが、プログレスの朔望も同様に29.53年毎に起きることとなります。

そして、主要な月相である新月に続く上弦、満月、下弦は大体7年毎に訪れるということになります。月のサビアンは毎月のことですので、あまりそれ以上細かく月相に応じて読むというわけにはいきませんが、進行図で起きる朔望に関しては、むしろスパンとしては長すぎるので、人生上の変化年と考えられる7年ごとの4つのポイントのサビアンに注意することには、意味があることのように思えます。

月の満ち欠けを様々な周期で掘り下げて考えてみることは、ある課題に沿って人生が展開していくパターンを読んでいく上で、参考になるのではないかと思えます。

そして、そこに明確な法則性のようなものが見えてくれば、今度はその法則性を活用することで、より意識的で積極的な人生展開につなげることができたらよいのではないかなと感じています。

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