創造への欲求(ワンドの3)

今日は、タロットカードを引いて、書くことのテーマを決めてみようと考えました。
そして、引いたカードはワンドの3でした。

これは青春の情熱的なほとばしりを感じさせるカードであり、創造や性的な欲求への無垢な衝動的憧れのようなものを示します

さて、しかし、昨夜は冷え込みが厳しかったために身体を冷やしてしまい体調が悪く、とてもそんな事柄について語るような気分じゃないよ、というように感じました

しかし、注意深く考えてみると、それはひとつの理由づけに過ぎないようにも思えます

自分は今何々だからこれこれはできない

この手の不毛な理由付けの習慣に、人はどれだけ慣れ親しんでしまっていることでしょうか

創造の意欲が沸き立つことに理由が先立つことなどあり得ないでしょうし
むしろ、理由づけをする世界に生きている限りは
創造の扉が開くことは決してないということが言えるでしょう

創造の欲求が起こってくるには
あらゆる方向に向かって扉が開かれていなければならないと感じます

扉というのは自分をある空間性や時間性の中に閉じ込めますが
そうした閉じられた有限な世界、即ち合理的な世界の中で
人ははじめて自分というものの価値や立ち位置を確認し、安心を得ることができるのでしょう

しかし、それは完全に作られた虚構の安全性であり、極めて相対的で脆い世界に過ぎません

エゴというのは、そのように架空の世界を作り出しては自分を騙すことに終始しています
すると、永遠に創造的な世界とは無縁な存在になっていってしまうでしょう

創造には、後先を考えない向こう見ずさが必要です
創造というのは、自分がまだ見たことのない世界に飛び込んで行こうとすることなのですから当然そうなります

そういう意味で、恋愛というのは、その初期の段階においては、非常に創造的であり冒険的であると言えると思います

恋愛をしなくなるということは、自分の可能性を限ってしまうということと、ダイレクトに関連していると思えます

しかし、恋愛というのも、その初期の純粋さを保ち続けることは非常に至難なことである、ということが言えると思います

はじめは純真に恋していたのが、いつの間にかそれがただの執着に変わってしまいます

創造行為にしても、同じようなことはあるのではないかと思います
それらはいつの間にかパターン化されて生命を失ってしまうようなことがあるのではないでしょうか

恋愛にしても創造行為にしても、それを現実的に食べていかなければいけないという世界観の中で、ひとつの手段として位置づけられてしまうことから、その純粋性を失っていくものになるのではないでしょうか

ものごとに言い訳や理由付けをしない習慣を持つということが、ワンドの3が示している創造や性的な物事に対する自然な欲求を妨げないようにするために、まず大切なのではないか、という非常に小さな気付きをもって、今日引いたカードに対する、自分なりの答えとしてみたいと思います

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