楯崎神社と奥の院と東郷神社

津屋崎にある楯崎神社とその奥の院である薬師神社へはじめて参拝に行きました。

楯崎神社前の駐車場には自衛隊が駐車して宿泊用のテントを張っている他、数台の軍用ジープがありました。北朝鮮のミサイル攻撃への警戒態勢かも知れないと、ちょっときな臭さを感じて神妙な参拝の気分が削がれてしまいましたが、兵隊さんには、誠にご苦労様ですと言っておきたいと思います。

津屋崎の渡半島には、その沖合で日本海海戦が行われたことを記念する公園と、この海戦で連合艦隊司令長官として旗艦三笠に乗艦して艦隊を指揮された東郷元帥を祀った東郷神社があります。

昔から軍事的な要所となっているのは、この場所が日本海を見渡せる高い断崖になっているからでしょう。古い時代で考えても、西は安曇族、東は宗像族の2大海人族の拠点のちょうど中間辺りに位置しています。

安曇と宗像の関係性は興味を覚えるところですが、主とする信仰対象に違いがありますので、出自は別であるか、どこかの時点で分かれたものでしょう。

宗像は親大和朝廷の色合いが濃いですけれども、安曇の方は少々スタンスが違っており、新羅や百済との太いパイプを有して大和朝廷と肩を張る程の力を持っていた時期があったのだろうと感じられます。
楯崎神社のご祭神は、神功皇后の足跡が色濃い玄海灘周辺にしては、出雲系の大国主が祀られているのが珍しいような気がして、一度お参りしたいと思っておりました。

大国主のセットとして少彦名が祀られていますが、少彦名は出雲系か高天原系かはっきりしないところがあり、どこか不思議な存在感を感じさせる神様ですね。

奥の院である薬師神社は、神仏習合時代に薬師如来が祀られていたことからの名称と思いますが、薬師如来ということであれば、やはり元は少彦名であったということかと思います。

楯崎神社の由緒では、大己貴命と宗像姫大神がここで外敵を防いだということが伝えられているようですけれども、宗像大社には神功皇后の事績として語られているようですので、はっきりせず、どちらも後の世の附会ではないかという気がします。
何れにしましても、楯崎の名は、地形から言ってもそうなのですが、国の守りの要所であることと関連しています。

ちなみに、参拝中に若い狩衣風の出で立ちの美少年の面影が見えました。しばらくすると後ろの祠の奥にすっと入ってしまいましたが、まあ、単なる気のせいかも知れません。

日の暮れも近づいたので、せかせかと東郷神社前の駐車場に戻っていったのですが、日頃は人霊を祀った神社を参拝する事はないのですけれども、神懸かり的な活躍をした英雄として、是非とも肖りたいとの気持ちが急に芽生えて、ご挨拶をさせていただきました。

その時に、東郷神社の拝殿の真上で夕陽に輝いていた雲なのですが、どう見ても男性の横顔にしか見えないものでしたので写真に収めておきました。
東郷元帥が、今でも日本海に目を光らせていてくださっているとでもいうのでしょうか。

戦争はあっては欲しくないですけれども、少なくとも、戦争が危惧されるような事態は、これから益々色濃くなってくるでしょう。
北朝鮮は、おそらく速やかにクーデターが起きるようにロシアも中国もアメリカも裏で働きかけているだろうと思いますが、問題はクーデター後の北朝鮮にどの国がどのように関与するかということで、大国同士の冷戦状態になることは必至でしょう。

加えて、中国のような人工的で不自然な体制の大国が、何時までも体制を保っていることは不可能であり、必ず近いうちに瓦解を始めるでしょうから、朝鮮半島の不安定化と相俟って世界大戦が引き起こされる可能性が高いのではないか、という気がします。

その時に、日本人が一人として血を流さずに済み、国土が微塵も傷つけられるようなことがないようにしなければなりません。
そのためには、やはり東郷元帥のような国士が必要となります。

今日は楯崎神社へ行ってみたいと思い立って行っただけだったのですが、大昔に外敵を防いだ地である国防の楯を意味する楯崎神社へ行ったら、そこに自衛隊の兵隊さんがたくさん展開していて、ついでに東郷神社もお参りすることになり、東郷元帥が日本海に睨みをきかせているのを見たという、国の守りについて考えさせられる1日となりました。

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