進行の月 天秤座2度

先月の20日に天秤座にイングレスしましたわたしの進行の月は、あと10時間ほどで天秤座の2度へと進みます

進行の月は一ヶ月弱で1度ずつ進行し、ひとつのサインには2年間ほど留まります

先月のイングレスで、それまでの地の柔軟サインである乙女座から2年振りに次のサインである風の活動サインである天秤座へと進行したわけですけれども、この一ヶ月間において何か感じることがあったか否かにつきまして、検証的に振り返ってみたいと思いました

先月書きました記事内容を下に引用します

(LIBRA 1 °): IN A COLLECTION OF PERFECT SPECIMENS OF MANY BIOLOGICAL FORMS, A BUTTERFLY DISPLAYS THE BEAUTY OF ITS WINGS, ITS BODY IMPALED BY A FINE DART.
(私訳):多様な生態系の完璧な標本として、蝶が美しい羽を見せながらピンでその身体が留められている。

一つの存在の完成形というものがここに示されているのだと感じられます
自己というのは、それ自体がそもそも完成されたものである訳ですけれども、それが客観的に表現されている状態に至ることが必要となります

社会における自己実現の形が、自分の想い描く理想形として、まずはビジョン化されていることが必要である、ということになります

それは自己が客観的に評価される形である、ということも言えるでしょう

わたしはこの進行月の天秤座イングレスによって、新しい自己の表現された姿というものが見出されることになるのではないか、と感じていました

サビアン・シンボルを読む際には、果たして本当にそうなるものかしら、というような気持ちもあり、半信半疑といったところも実際にはあるものなのですけれども、振り返ってみますと、確かにそのような流れが自然と生じて参りました

天秤座というのは、対向する牡羊座の無垢な生まれたままの自我というものが、社会的に客観的な形で完璧性を伴って表現されることが志向されるのだと感じられます

直前の乙女座においては、自己を表現する上での基礎的な能力的な部分というものを作り上げますけれども、自己に関する一定の職能や役割意識を完成させた後、次の天秤座においては、社会や他者の目の中でバランス感覚を強く意識しながら、自己を統合的に美しく完成されたものとして表現する段に移るのだと考えられます

牡羊座がパーソナリティの中核的で本質的な生まれながらの粗野な部分であるとすれば、天秤座においてはパーソナリティが他者の視線や評価を意識して、外の社会において受け入れられる形で洗練され、美的調和を伴った姿として表現されたものではないかと感じられます

昨年の8月末に社会をリタイアし、2月一杯でちょうど半年を迎えたのですけれども、それまでの人生において競争的意識や体裁などの外在的な尺度によって振り回されていた自分の意識というものが、漸くクリアな本来的な状態に戻ってきていると感じることができてきています

30年弱のサラリーマン生活において身に染みついた垢をすっかりこそぎ落とすのには、何もしないで過ごす期間が半年間必要であった、ということになります

そして、奇しくもそのようなタイミングに進行の月は天秤座へイングレスしたわけですけれども、天秤座1度のサビアン・シンボルとして表現されている、「完璧な標本としてピンで留められた蝶」というのは、自分が世の中でこのように表現されたいのだ、という自己の将来像に他なりません

このひと月の間に、わたしの中にはこのような自分としてありたいという自己の将来的なビジョンというものが自然と立ち上がってきました

それまでの半年間には、活き活きと自己肯定的に生きる自分の姿というものを思い描くことはできず、社会からの影響で身に纏っていた枷の一つひとつが、徐々に剥がれ落ちていくという感覚だけがありました

人間というものは、自己のイメージにしたがって現実を実際に創造していくことになります
ですから何らのビジョンも思い描けない状態では、活き活きと積極的に生きるということはできないことになりますので、天秤座イングレスを契機にしてそのような自己像を持ち得る状態に至れたと言うことは非常に大きな意味も持っていると感じられます

しかし一方で、自分の中に何のビジョンも持たないまま、他動的に社会や他者から示される道のりを機械的に歩もうとするような選択肢も世の中にはあります
むしろそちらの方が選択肢としてはより普通であると言わなければならないでしょう

本来的に人は、こうなりたいと思い描いた自分になることを心の底では強く願っている筈です

けれども、そのような道のりはリスクが高いものであるということを世の中は我々に信じ込ませようとするのが普通です

かと言って、世の中にある既成的な類型パターンに自分をはめ込んでいくことにリスクはまったくないのかと言えば、わたしはそこに、自己の本来性の喪失と心身の健康状態の破壊という非常に大きなリスクが潜んでいる、ということを感じない訳にはいきません

わたしの場合も、以前の生活を続けていた場合には、人間性が完全に喪失され、健康も重度に損なうことになろうことが強く予感されていたところでした

進行の太陽や月においては、サビアンの度数によって截然と何かが切り替わる変わるというよりも、前後がオーバーラップしながら連続性を保った一連の課題意識の流れというものを感じることが大切だと感じます

ですから、常に前後1度くらいのサビアン・シンボルの内容も同時的に意識していた方がよいように感じられます

そこで明日迎える天秤座2度の内容についても確認しておきたいと思います

(LIBRA 2 °): THE TRANSMUTATION OF THE FRUITS OF PAST EXPERIENCES INTO THE SEED-REALIZATIONS OF THE FOREVER CREATIVE SPIRIT.
(私訳):永遠なる創造的魂の気付きの種の中に、過去の経験の果実が変容している。

ここでは、1度において思い描かれた完璧な標本としての自己の将来的ビジョンに対する熟考がなされるものと感じられます

対向する牡羊座2度におきましては、「(ARIES 2 °): A COMEDIAN REVEALS HUMAN NATURE. (私訳):コメディアンが人間の本性をさらけ出す。」ということで、牡羊座1度でこの世に出現した自己について、他人のリアクションに基づいはじめて自分というものを客観的に知る、ということがあるのではないか、と考えています

天秤座におきましては、自己の内部にある過去の経験知にもとづいて自己を内部反射的に確認するようなことになるのだと感じます

牡羊座というのは経験をまったく持たないサインですから、場当たり的に自己を表現し、それに対する他者のリアクションから経験を蓄積していかなければならないところがあるのではないか、と感じられます

天秤座においては、そのような粗野なリスクある態度ではなく、経験知に基づいてあらかじめ調和的な関係の成立というものが志向されているのではないか、というようなことが感じられます

牡羊座においては物事の成否というものはあまり意識されておらず、ひたすら自己の内部的欲求に突き動かされながら後先を考えずに行動するのに対して、天秤座ははじめから結果としての成功や調和の実現というものをターゲットとするような行動原理を持っている、と言えるかも知れません

バランス感覚によって自己補正を掛けながら常に調和の実現を目指していくようなところが、天秤座の風のサインらしさであり、それは経験的知性とでも呼べそうなものであると感じています
経験的知性とは社会的知性であると言い換えても構わないでしょう

ともかく、天秤座2度は受容的な偶数の度数らしく、1度で描いたビジョンを熟考しながらより完全な姿として自己の内部にビジョンとして定着化させることを志向するのだと考えたいと思います

進行太陽においては人生のダイナミックな展開に直接的にその進行度数が影響をもたらすことがあると感じますけれども、月の場合は心理的な気分や内面的な自己の成長といったことに大きく関係していると感じられます

サインの前半というのは、そのサインのもつ性質が非常に新鮮なものとして感じられますけれども、次第にそれは無意識下されていくことになっていくと感じられます

興味や関心というのは、一旦その物事に熟練していまうと次第に薄れていくのは仕方のないことで、それがやがて次のサインの課題を欲する動機となっていくのだと考えられ、そうしたことが成長のための限りなく繰り返されゆくリズムを織りなしているのだと考えなければなりません

今回は、進行の月のイングレスが実際に人生において有効に機能しているとの実感を持ち得たことにつきまして、備忘録的にしたためてみたところです

進行月の天秤座イングレス

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