二十四節気「穀雨」 牡牛座入り

本日で牡羊座もお終いとなり、明日の「穀雨」からは牡牛座に入ります

振り返りますと、牡羊座の前半は大変心地よかったのですけれども、「清明」で迎えたサインの折り返し以降は、わたしの場合はまったく気分が優れませんでした

わたしは水瓶座の生まれですから、サイン同士が60度のセクスタイルの関係にある牡羊座とは一見相性が好さそうなのですけれども、水瓶座に入りたての4度の生まれですので、牡羊座の終盤にはむしろスクエアの関係に近くなるということが、もしかすると関係しているのかも知れません

簡略化した、サインだけで運勢や相性などを見るような占いが巷ではありますけれども、天体の度数からアスペクトを考えれば、サイン同士の相性などというものは、相殺されたり異なる意味合いが他にいくらでも出てくることになりますので、いい加減と言えば相当にいい加減なものだと言えるのではないでしょうか

出生の太陽は個人の生命力のベースとなりますので、出生時の太陽とスクエアになる辺りの時期には、何らかの調整作用で変調を来すのかも知れず、わたしの場合は水瓶座特有の神経や思考といった部分に大きく不調を感じました

しかし、明日からは牡牛座と言うことですので、少し気分を変えて行けたらと感じるところです

(TAURUS 1 °): A CLEAR MOUNTAIN STREAM.
(私訳):渓谷の清らかな流れ。

牡牛座の潜在的可能性のすべてを物語る1度のサビアン・シンボルです

清らかで美しいイメージですけれども、牡羊座が主に赤ちゃんや幼児の状態であるとすれば、牡牛座は五感の認識を通じて肉体的次元の自己と同一化された形で自我というものが芽生え始める時期なのではないでしょうか

牡羊座というのは認識として対象化することの出来る自我が芽生える以前の状態であり、我と他者との区分すら未だにはっきりつかないような、自分という者だけが存在しているような状態に近いかも知れません

牡牛座の段階では五感が発達することにより自分という存在がはじめて強く意識されるようになり、それに伴って様々な具体的な欲求が生じ、好悪の感情や所有欲などが生じて来るでしょう

対象を認識して、それが自分にとって好ましいと感じられるものに執着を起こし、それを所有することによって、自己という存在を肉体から更に外の世界へと広げ始めます

自分の着る洋服も自分という存在の価値を示す一部として認識されますし、自分のお気に入りのおもちゃなども、それはある程度自己と同一化された自我の延長線に組み入れられていきます

また、それはイヤイヤ期と言われるように、自分にそぐわないものを徹底的に拒絶する行動としても表れます

それまではまったく受動的に与えられるものを受け取っていましたが、いつまでもそのようでいては、自分というものが確立されず、単なる親のおもちゃか人形のような存在になってしまうでしょう

偶に幼時の時に使っていたタオルケットなどを成人して以降も手放さないような方がいらっしゃるようですけれども、その方はこの時期の五感を通じて得られた自我に対する執着を手放すことができない訳であり、もしかすると牡牛座の要素が極めて強い様な方においては、そのようになられる傾向をお持ちなのかも知れません

また、そのような方々は、そのように必至にならなければ自分という存在の持つ神聖さや特別性というものを守れないと感じる程に、親や周囲からの押しつけが激しかったのかも知れません

そのようにして人はこの地上世界において、自分というものの価値をしっかりと肉付けしていきながら、固有の世界観を形成していき、自分が作り出したそのおとぎ話の世界の中でまずは生き始めるのでしょう

牡牛座に清らかで美しいイメージがあるのは、それは天からの最初の贈り物である自分自身の肉体に備わる本然的な価値でしょう

自然さの損なわれないうちは、人間の肉体も他の植物や動物や鉱物同様に極めて美しいものであり、牡牛座の持つ美的価値というのは、無垢なる自然の恩恵というものから決して離れたものではありません

牡牛座は自分にとって好ましい、美しいと感じられるものに非常に敏感であり、それらを何とか所有することで、地上においては拙い存在である自分を補償していくことの必要を感じるのでしょう

牡牛座は2番目という偶数の受動サインですので、やはり力の発散ではなく力のため込みや自己の内的充実というところに大きな関心が向かうでしょう

「穀雨」というのは、万物を育成させる雨の降り注ぐ季節ですが、それは魚座の始まりに際しての「雨水」が生命を蘇らせる性質のものであったのとは異なり、その次の段階の育成させ繁栄させるための雨となります

この恵みの雨を得て木々が緑を濃くしながら枝を広げていくように、牡牛座は目に見える肉体的、感情的な成長と関係しているでしょう

牡牛座というのは自我の芽生えと関係しており、そこに好悪の感情の最初の芽生えがありますが、それは極めて単純なもので理屈などの介在しない屈託さを持ったものであり、あどけなく罪のない性質のものと言えるでしょう

けれども、その好悪の感情は徹底しており、生理的な好悪の強い感覚といったものに繋がっているのではないかと感じられます

自分が好ましいと思うものに対する執着の強さは、それが憧れとしてある場合にはよいのですが、ある場合には頑なな強情さとなって顕れるでしょう

また、牡牛座的な美しさは、他者にも執着と所有欲を起こさせることにもなりますので、牡牛座的な美の所有者は、自らの清らかさを守るための慎重さや頑なさを持ち合わせていなければなりません

わたしの出生図で言いますとこの牡牛座には木星があります

牡牛座の美とは、魚座的な空想的・心霊的な世界でも天秤座的な社会的に表現される理想像でもなく、あくまでも自らの五感によって確かめることのできる具体的・現実的な種類のものです

しかし、官能的な種類のものであれば文学や音楽などもその範疇に入るでしょうし、絵画などの美術品はむしろはじめから牡牛座的なものであり、宝飾品などもまたそうでしょう

牡羊座の時期にはただ心地好い気候になったことに爽快感を覚え、無闇に外へ出たり身体を動かしたくなったりという段階でしたが、牡牛座になりますと、活動にも目的性が現れてくるでしょうし、そこには五感を通じて好ましいものへと自分の心を駆り立てるものがあるでしょう

冬の季節にはすっかり萎縮して萎えていた五感の感覚が、温かさも安定し始めるこれからの季節には、思い切り蘇って来ることになるでしょう

そうした中で、自分の五感が反応して好ましいと感じられるものと触れ合って楽しむことで、自分という生命の実感を確かめるように味わいながら過ごすべき時期であるかも知れません

出生の木星がこのサインにありますので、自分の関心や興味が向かい楽しいと思えるような様々な物事に触れ合いながら、自分の中で今後新たに伸ばして行けそうな部分というものを探してみることを考えてみたいと思います

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