5月5日 立夏 

明日5日の22時半頃に太陽は牡牛座の16度に進んで二十四節気の「立夏」を迎えます

不動サインの16度はそれぞれが次のように何れも節気上の四季の転向ポイントとなっています

立春・・・水瓶座16度
立夏・・・牡牛座16度
立秋・・・獅子座16度
立冬・・・蠍 座16度

不動サインと言いますのは、火と風の能動サインと地と水の受動サインで表現の仕方に違いがあるものの、自己の在り方への拘りの強さといった自己中心性があると感じられます

16度と言いますのは、他の活動、柔軟サインにおいても30度あるサインの折り返し地点であるという意味では何れも転向ポイントとなるわけですけれども、他のサインにおいては自己というものが何かを為すための手段的なものとして捕らえ得るところがあるのに対して、不動サインは自己が自己であることを純粋に求める一種「自己目的的」とも言えるところがあり、この16度というサインの折り返しにおいて体験する転向のショックは自己の変質感として感じられることになるかも知れません

(TAURUS 16 °): AN OLD TEACHER FAILS TO INTEREST HIS PUPILS IN TRADITIONAL KNOWLEDGE.
(私訳):年老いた教師が、伝統的な知識によって生徒の興味を失せさせている。

牡牛座は五感を通じて確かめられる、ある意味で万人共有的と言える現実的感覚というものを土台にしています
それはありきたりな「常識」を基盤として捕らえているとも言えるでしょうし、シンボルにあるように「伝統的な知識」に基づいた世界観の中で生きているということが言えるでしょう

しかし、この折り返し地点においては、自己が拠って立つ現実的感覚の世界観だけでは通用しない世界との接点が立ち現れてきますので、自己の在り方への反省的な視点を持つことが強いられることになります

自分にとって価値があると信じられるものが、必ずしも万人にとって価値あるものとは映らないのであるけれども、それを価値あるものとして受け取らせるための何らかの新たな工夫を強いられている、というような部分があるかも知れません

対向する立冬でもある蠍座16度においては、「少女の表情が思わず笑顔になる。」というサビアン・シンボルが示されていますが、こちらでは自己の感情の奥深いところに沈み勝ちな蠍座において、自己の感情を外に表すということをはじめて経験した場面であるようにも感じられるところです

牡牛座は五感の感覚を研ぎ澄ますことによって現実世界を獲得して、その現実世界を自己の生存基盤としてそこに根をしっかり下ろそうとします

しかし、黙々と実直的に物事に直向きに取り組む人生態度というものは、他者の目から見ると真面目くさって面白味のない伝統的知識を教授する教師のように映る訳であり、そのことに反省的に気づかされるというのが、この牡牛座16度のポイントかも知れません

 

5月5日 立夏 ” に対して2件のコメントがあります。

  1. より:

    いつも興味深く拝見しています。

    今回のサビアンの翻訳ですが、年老いた教師が生徒に伝統的知識への興味を持たせることに失敗するということではないでしょうか。

    ご検討ください。

    1. duct より:

      青さん はじめまして

      いつもお読みいただいているとのことで誠にありがとうございます

      また、正確な訳文をご呈示いただきましてありがとうございます

      確かに私の訳文は少々分かり難く不正確ですね(^^;)

      シンボルと言いますのは象徴でありまして、それが言語によってイメージ化されている部分と言いますのは、例えば氷山というのが洋上にはその一角だけを現しているのに過ぎないのと似ているようなものと考えています

      ですので、底知れぬ深みを有するシンボルに対して、あまりステレオタイプな固定的な解釈を与えたくないという意図があり、わざわざ他の人の訳を一切見ないで拙い語学力で自分自身で訳しています

      そして、その際には敢えて訳の正確さを外すということもしている部分があります
      それは、事象を細かく特定できるようにすることが、象徴の持つ意味を極めて限定的にしてしまう場合が多いことから、それを避ける上で敢えて的確性を外す、ということです

      こう言いますと、言い訳のように受け取られる方もいらっしゃるかも知れませんけれども、わたしは時と場合にもよりますが、敢えて正確な、要するにあまりにも事象が固定的に限定され過ぎてしまうような訳し方を避けるということを実は頻繁に行っています

      訳した際のことをすべて記憶している訳ではないのですけれども、偶々コンディションが悪く集中力を欠いた状態の時に甘い訳し方をしたという可能性もあるのですが、自分のシックスセンスが無意識に働いた結果として、不正確な訳文が出来上がったという可能性もやはりあるだろうなと感じています

      ともかく、理性的に考えてしまうとシンボルが象徴しているものを読み損なう結果となることは間違いがありませんので、青さんにもご理解いただければ幸いです

      人が神秘学的な象徴の世界に足を踏み入れるに際しては、何か手がかりとなるようなお手本となる固定的な解釈を参考にするしかない訳ですけれども、そこから一歩先へ進むためには、それが言語の次元で表現される以前の潜在意識下の象徴の源泉から直に汲み取り、自身の感性で掴み取るということが必要になってくる訳です

      ご呈示いただいたものはシンボルの訳文としましては幾分綺麗すぎる、つまり的確過ぎる嫌いがあるということを失礼ながら感じますが、わたしの訳も決してよいものではないので、今後の参考にさせていただきたいと思います

      以上のようなわたしの基本的なスタンスをご理解いただければ幸いです
      コメントどうもありがとうございました(^^)

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