志賀海神社へ ~木星の活性化を試みる~

昨日の朝、志賀島にある志賀海神社に参拝して来ました

綿津見三神を主催神とし、全国の綿津見系の神を祀る神社の総本社であるとともに、阿曇氏にとってもっともゆかりのある聖地です

何故、昨日の朝にこのお社を参拝したのかと言いますと、昨日の午前9時過ぎに自分の出生木星と経過の太陽がちょうどぴったり重なるということがありました

日本のような地球の北半球の中緯度に位置するところにおきましては、12宮サインと季節との間に密接な関連が感じられますので、自分の出生木星の度数である牡牛座17度を季節感を通じて深く体感することで、木星の働きの活性化を試みようとの考えでした

折しも現在、経過の木星の方も正反対の蠍座の19度にあり、今月の25日にはわたしの出生木星との正確なオポジションを形成しますが、昨年の暮れと今月と三ヶ月後の8月の計3回、オポジションを繰り返すということで、この間、自分の出生木星は経過の木星の刺激を強く受け続けていることになります

現在、自分が木星の年齢域であるということもあり、その活性を図ることをこの1年間の大きな課題の一つというように考えています

そして、何故志賀海神社なのかと申しますと、わたしの出生図を地図と重ね合わせました場合に、出生木星のある方角と志賀海神社とが線上に重なることから、霊的な感覚が拡張されるパワースポットとして選択し、そこであらためて出生木星の活性化ということについて考えてみたいと思ったものです

ついでに木星に照応するようなものを身につけて行こうかとも考えましたが、錫製のものというのが見当たらなかったので今回はそうしたものは携えては行きませんでした

志賀海神社は海神を祀りますので、むしろ牡牛座とは対向する位置にある蠍座などの水のエレメントのサインの方が相応しかったようにも思いますけれども、対向するサインは密接な関係がありますので悪い選択でもなかったように感じられます

わたしの出生の海王星はちょうど木星とゆるいオポジションを形成する蠍座の20度にあります
今年、わたしの出生木星に経過木星が3度オポジションするということは、すなわち同様に出生海王星に木星が3回コンジャクションするということになります

この出生木星と海王星に経過の木星が刺激を与えるということが、今年の自分のホロスコープ上の一番大きなイベントのひとつとなります

海王星と言えばネプチューンやポセイドンといった正しく海神ですので、今回は牡牛座にある木星を強く意識していたのですけれども、海王星も同時的に強く刺激されていることを考えればやはり志賀海神社で良かったのでしょう

実は、ホロスコープの出生木星の軸上には、糸島にある桜井神社も該当しますので、そちらへ行こうかとも考えたのでしたが、どうやら結果的には正解の方を選択できたということなのかも知れません

さて、牡牛座17度と言いますと、その手前の16度では立夏の際に触れましたが反省的な気づきがあったポイントの次の度数になります

(TAURUS 17 °): A SYMBOLICAL BATTLE BETWEEN “SWORDS” AND “TORCHES.”
(私訳):”剣”と”たいまつ”の間でなされるシンボリックな闘い。

剣はスートで言えば風、たいまつは火となります

剣=風はロゴスや知性といったものを表すのに対して、たいまつ=火は直感や情熱といった潜在意識的な働きを表す部分があるでしょう

精神の本源的な在り方として示されているのが火のスートであり、精神の顕在意識的な現れ方を表しているのが風のスートなのかも知れません

ホロスコープにおいて風と火のエレメントは、それぞれ牡羊座と天秤座、獅子座と水瓶座、射手座と双子座というように、等しく向き合って対をなしています

風と火という能動サインの中にも、陰と陽があり、それらが対立的な立場で補完し合うことで物事を成就していく力というものが生まれます

私の出生太陽は水瓶座ですけれども、獅子座に対しましてはやはり、方法論的に方向性が真逆で正反対のスタンスを持っていると感じられるものの、結果的には通じ合う同じテーマを共有していて、それぞれが異なった方法論で同じものを追究しているように感じられます

ある部分では敵対する立場同士なのですが、お互いに密接なつながりを持って共に成長する、言わば好敵手の様な存在として感じられます

上杉謙信と武田信玄のように、敵と味方でありながら互いに深く尊敬し合い、競い合うことでお互いを高め合っている、自分にはなくてはならない存在同士、といったようなイメージでしょうか

さて、剣とたいまつがシンボリックな闘いをするというのは、顕在意識と潜在意識のせめぎ合いのようなものでもあるでしょう

たいまつは原始的な知性を表すとも言えそうですが、形なきものは形をなすことを求めますし、形あるものというのはすべて、元は形なき世界のものがこの世に現れ出たものに他なりません

それらがシンボリックに闘うというのは、あの世的なものをこの世的に表現する際の葛藤のようなもののように感じられます

ひとつ前の度数で得た反省的気づきというのは、自分が気づいていないものに気づかされたということですが、何かそのままの自分ではいけないと感じたとしても、その時点ではではどうしたらよいのかということまでは思い至ってはいません

そこで、反省的気づきの内容を、知性によって明瞭に意識化させる必要が出てくる、といったことが考えられそうです

また、牡牛座という地のサインは、ひとつ前に牡羊座という火のサイン、ひとつ後に双子座という風のサインにはさまれています

そうしますと、火=たいまつ=牡羊座というのが牡牛座にとってのひとつ前の過去であり、風=剣=双子座というのが次に来たるべき未来ということになります

そうしますと、剣とたいまつのせめぎ合いと言いますのは、過去と未来のせめぎ合いの狭間に立つ現在の自分自身を表している、ということにもなります

現在というのは、常に過去と未来からの同時制約的環境に置かれた均衡点であり、その只今の一点において創造という働きが起こってくるのではないかと感じられます

牡牛座は現実的であるとともに極めて現在主義的な存在である、というようなことも言えるように感じられますが、自分の肉体や財産という現実的で現在的なものに対する執着が、ひとつ前の16度において経験した失敗を引き出したのであるとも考えられ、その反省として、過去及び未来を見渡した上で、より普遍的な価値を持ったものを産み出すことを意識するのが、この牡牛座17度ということになるようにも思われます

ということで、ホロスコープを方位学的観点から捉えてそれを出生天体の活性化につなげてみるという試みにつきまして、本日は紹介させていただきました

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