ソーラー・オポジション ~人生目標の設定について~ 立花孝志氏を参考に

ソーラー・オポジションという言葉は、あまり聞き馴染みはないのではないかと思いますけれども、ソーラー・リターンが年に一度、出生時の太陽の位置に経過の太陽が戻って来るタイミングを指すのに対しまして、

年に一度、出生太陽の度数ときっかり180度という正反対の位置に太陽が来る瞬間について、個人的に非常に重要なポイントであると考え、そのような呼び方をしています

と言いましても、ソーラー・リターン図を読むような形で、その瞬間の経過図を読むというようなことをする訳ではありません

わたしの占星術に関する持論の中で、正対するサイン及び度数というのは、相互に補完し合い、正対する度数同士で形成される軸によって共有されているテーマが成就されるのだ、というものが中心的なものとしてあります

出生図という先天的に与えられた資質を示すものに対して、個人がその自由意志に基づいて意識的に選択していかなければならない人生目標というものの設定の仕方のヒントの一つが、正対するサインや度数が持つ、共有されるテーマの相互補完的な形における実現・成就という働きにあるのではないかと常々考えています

ですので、私であれば水瓶座の4度という出生太陽の度数に正対する獅子座4度に経過の太陽が来る瞬間において、獅子座4度の太陽が放出する生命エネルギーに意識を向けつつ、自分にとって相応しい人生目標のあり方について、点検や再検討を試みたいと感じる訳です

そもそも正対するサインや度数というものは、自らに相反する性質のものとして反発的に感じられもするような要素です

正対するサインや度数といいますのは、例えば、地球上のある一点において、お互い同士が背を向けて真っ直ぐに正反対の方向に向かって歩み出すようなものであり、生き方に関する極めて相反するアプローチ方法というものをお互いに持っています

けれども、お互いに相容れない筈の道程をそれぞれに真っ直ぐ進んでいきますと、地球を半周してその裏側に辿り着いた時点では、背を向けて反対方向に歩きはじめた筈の相手と、今度は正面を向き合った形でばったりと出会ってしまうことになります

ここにおいて、両者はそれぞれのアプローチ方法が正反対なものでありながら、実は同一の共有された目標の達成に努力して来たのに他ならなかったのだ、ということにはじめて気づかされることになります

わたしの場合は水瓶座に太陽があり、月も天秤座という風のサインであることから、比較的風のサインが強いということになりますけれども、水瓶座と正対する獅子座をはじめとして、火のサインにはひとつも天体を持ちません

そうしたことから、自分の人生に獅子座的要素を活かしていこうと試みます時、非常に困難さを覚えるということが常に感じられていました

しかしながら、先日少しだけホロスコープを観させていただいた、現在非常に注目を集めるNHKから国民を守る党党首の立花孝志氏の出生図とその実際の生き方には、極めて示唆的な内容が含まれていると感じられ、ここに紹介する次第です(参考:「NHKをぶっ壊す!の人 ~立花孝志氏のホロスコープ~」

立花氏は太陽・水星・木星を獅子座に持っており、その言動からは典型的な獅子座的資質が多く見受けられると感じられます

そして、水瓶座の私と正対する獅子座に太陽をお持ちであるとともに、私とは反対に水瓶座の属する風のサインを一つもお持ちでない、という点に関しても、私にとって極めて対照的なサンプルであるということが言えるのではないかと思います

しかも、立花氏は典型的な獅子座らしい劇場型の性質を遺憾なく発揮しながらも、テーマとしては既得権益者の打倒や改革ネットを駆使した直接民主主義の標榜など、極めて水瓶座的なテーマに果敢に挑んでいらっしゃいます

獅子座的な、本来であれば鼻持ちならない自己中心的な振る舞いというものが、水瓶座的な崇高な理想的テーマを追うことによって中和されているという印象があるようにも感じられ、立花氏の人生において、わたしの持論としての正対するサイン同士の相互補完による人生目標の達成ということが、比較的理想的な形で体現されているのではないか、と感じられるところです

あるサインが正対するサインの要素を積極的に取り入れるということが、心理的にどのようなことなのかということを推論してみますと、自己同一化してしまっているサインへの囚われというものから脱して、対向する反対要素のサインを取り入れる過程において、自己の一旦の否定を通じた自己超越というものがあり、そこでは自己欲求というものを超えた高い理念に基づいて生きる領域というものが見えてきます

自己の本来的な在り方に対向する生き方を敢えて取り入れるということは、自我に対して超越な生き方を選択するということを意味するに他ならないのではないか、ということです

立花孝志氏の一連の活動に関しましては、時代の変革を促進せんと強く促す天意というものの介在をわたしは感じるのですけれども、社会的使命を天から賦与される人間といいますのは、自己の欲求を中心としたエゴ的な生き方から離れ、より高い理念に従って生きているのでなければなりません

立花氏は、天意を少なからず受けるに値するだけの生き方をしているのではないかと、わたし独自の占星術的見地からは言えるのだということになります

反対に、あるサインに特徴付けられる人間が、そのサインによって恵まれた生来的資質に即した分野で生きようとする場合には、常にエゴイスティックな自我の拡大欲求の危険に晒される恐れがあるということに気をつけなければならない、ということも言い得るのではないか、と考えられます

けれども、人生の前半の段階におきましては、自己の資質を大きく伸ばしていくということが正しい在り方なのであり、正対するサインによる自己補完といいますのは、その先にあるより高度な人生の在り方を求めるに際しての課題ということになります

水瓶座のわたしにおいて人生における高い理念に根ざした生き方というものを志向する時、獅子座的なテーマである創造や自己表現といった分野に赴かんとする場合には、そこで自分の中の水瓶座的要素が、昇華された形で活かされることになるのではないかと感じられます

立花氏の出生太陽の度数について、わたしは獅子座の22度と推定したところであり、そのサビアンシンボルは「伝書鳩がその使命をまっとうする」というものですけれども、自己表現を行う獅子座が、自身そのものを忠実に表現したいとの欲求があり、自己の内側にあるものを偽りなく誠実に表現したいのだというように感じられます

そして、それに正対する水瓶座22度のサビアンシンボルは、「暖かさと快適さを考慮して子ども部屋に敷かれた絨毯」というものであり、水瓶座らしい博愛精神の発露を感じさせるイメージです

すべての守られるべき国民という存在が、自由と平等と豊かさとを享受できるような環境というものが絨毯として象徴され、理念として掲げられているように感じられるところです

この火と風の不動サインの22度の軸の持つ意味としては、偽りなき理想的平和理念との親和性が強く感じられるものではないかと感じられるところです

 

最後に、立花氏の言動に関しましては、今のところ賛否両論があるところであり、わたしの同氏に関する記述は、全面的に同氏を肯定するもののように感じられ、不愉快に感じられた方もいらっしゃるものかもしれません

しかし、わたしが評価しているのは、変革の時代にあって、同氏が担っている貴重な役割についてであって、同氏自身を全面的に評価しているということを意味している訳ではありません

2020年後のグレートコンジャクション後の新たな風の時代に向けて、大きな社会変革が既にはじまっています

政治に関しましては、従来の地の時代的な民主主義のあり方として、金の力を背景に持つ政党が、党員である個々の議員に対して、個々の議員が持つ政治的信念に基づいてではなく、党利・党略に従わせる形で政治に参加させるという形で、既得権益者の利害を最優先に配慮した形での政策決定に関与しており、結局のところ数を支配する巨大な金権力が、金権力側の都合や意志をまっとうすることをその一義的な目的として政党を組織して数による政治を運用しているのに他ならない、と批判しなければなりません

これに対して、次の風の時代における民主主義の在り方は、一般市民の意見・要望を直接背負った政治家が、政党という組織の都合によってではなく、個々の政治理念に基づいて政治に参加することが必要であるといわなければなりません

そこへ至るプロセスとして立花氏が示している様々な試みは、これからの時代変革にはなくてはならない試行錯誤的な社会実験のようなものであり、我々はそこから学びながら更に実践を重ね、次第に万人によって受け入れられるような新たな方法論として作り上げていかなければなりません

ですから、力なき個人が選挙戦を戦い抜くための戦術や、プロレス張りの論戦を繰り広げる中で弱者が強者を利用して伸していく手段など、立花氏が示して見せてくれている極めて秀逸で貴重な方法論の数々に学びながら、後に続いていく人達が出てくるのでなければ意味がなく、現在の荒削りな手法よりももっと洗練され、万人に受け入れられるものへと手法が磨き上げられていかなければなりません

立花孝志氏は将来的に間違いなく、この国の歴史文化にその名を刻むことになるでしょうし、教科書に載せられてもよい程にその価値を評価されるようになるのではないかと、個人的には考えているところです

NHK改革というのは、現在求められている社会改革において、一つの極めて大きな象徴的な意味を持っていると感じられます

バラエティやアニメなど、民放が自助努力でスポンサーを勝ち得て製作・放送しているものと競合するものを、国民から強制的に徴収した受信料で製作・放映することは、民業の著しい圧迫であるとともに、公共放送の役割としてはまったく必要のないものです

そのようなもののために受信料が支払われる必要性はまったくなく、少なくとも民放と競合する分野の番組放送に関しては、部分的なスクランブル化が絶対に必要ではないかと感じられてならないところです

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