健康と歩き方 正しい歩き方の嘘

冬至以降、午前中に散歩に出歩くことが増えました。

これまで、砂浜を裸足で少しだけでも歩いてみるということは行っていたのですけれども、昨日からは松林の中でも靴を脱いで裸足で歩くことをしはじめました。

昨日は電車の2駅分以上を歩いたので、そのせいか片方の膝に軽く痛みを感じていたのですけれども、今日、松林で裸足で歩き始めると、その原因が、踵から着地する歩き方によって、膝にダイレクトに衝撃が伝わっていることにあることにすぐに気がつきました。

若い頃と歩き方や立っている際の重心が変わってきている、との自覚は何となくは持っていたのですけれども、加齢のせいか知らぬ間にあまり好くない習慣が身についてしまっていたようです。

現代は、非常にクッション性のよい靴が出回っていますので、そうしたものを前提とした、踵から着地するような形の歩き方が、正しい歩き方として宣伝されているところもあり、知らぬうちにそうした誤った情報による影響を受けていた、という部分もあったのかも知れません。

けれども、歩き方や立ち姿というものには、その人間の精神的なあり方が強く反映されることから、気づかぬうちに気持ちが老け込んでしまっているのだ、という部分にもっとも反省的に注意を払いたいようにも感じました。

最近は電車賃をケチってあまり街中へ出向かないということも、歩く機会を少なくしていますけれども、夏に仕事を辞めるまでの3年間に車通勤をしていたので、そのことの影響も強かったのではないかと思えます。

では、正しい歩き方というのはどういうものか、ということを考えましたときに、まず、間違いなく言えますことは、裸足で地面を歩いて、脚のどこかに不自然な負担がかかるような歩き方は、生き物としての人間としての歩き方として、まず、大いに誤っている筈であり、踵から着地する歩き方は人間の本来の歩き方ではない、ということが言えるのではないかと感じられます。

如何にクッションで衝撃を和らげようとしても、誤った体重移動を長年行っている間には、膝をはじめとした様々な部位に必ず余計な負担を与え、結局は加齢とともに脚の故障を増やすことにつながるのではないか、と強く感じられます。

加えてそのことは、人間の精神的なあり方にも、極めて強い影響を与えるのではないかと感じられます。
何事に寄らず楽で安易な方法というのは、人間の心を非活性化したり不健全な方向にしか向かわせないものであると注意をすることも大切ではないかと感じられます。

踵からの着地が間違っているとすれば、フォアフットと呼ばれる歩き方などが、人間の本来の歩き方としては正しいものであるように考えられます。
アフリカなど、幼時から裸足で日常生活を送る地域の人々は、この足裏の前方よりに着地する歩き方を自然に身につけているようです。

さて、これからの課題は、どのようにして日常生活の中で歩き方の矯正を行っていくか、ということになります。
この矯正は、結構大変なものではないかと感じられますけれども、なるべく時間や労力を掛けずに正しい歩き方に移行できる方法が見つかれば、人にも勧められてよいのではないかと感じます。

まずは、裸足で散歩を行う機会を確保することですけれども、これから益々寒さが厳しくなる季節となることを考えますと、長時間屋外を裸足で歩くことは相当にハードさを伴うことになるでしょう。軍足や足袋を用いつつ、なるべく長時間の散歩を習慣とする、ということが一番手っ取り早いかも知れません。

また、登山の機会を増やすということもきっといいことでしょう。体幹も大いに鍛えられますので、不安定な足場の上り下りは極めて人間の肉体の本来的な機能を賦活する良法であるのに違いありません。

精神の活力を維持するためには、肉体的生活のあり方も健全でなければならず、精神の強さと肉体的健康を同時に保ってこそ、生きがいのある人生を生きられるというものです。

色々と試行錯誤をしながら、向こう50年を活き活きと過ごせるよう、日々工夫を重ねてみることにしてみたいと思います。

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