長寿高齢化時代の精神文化

占星術においても惑星に年齢域を当て嵌めて考えるようなことがありますけれども、左の厚生労働省作成の図によれば、この50年間において、日本では男女ともに14年間も寿命が延びている、ということがあります

一般的に惑星に当て嵌められる人間の年齢域というのは多少異同がありますけれども、土星で大体55~70歳くらい、続いての天王星が70~84歳くらいで海王星が85歳から亡くなるまでといったところでしょうか

そうしますと、日本人男性の平均年齢というのは、50年前には土星の年齢域までであったものが、最近では天王星の年齢域の終わり近くにまで達しているのだということが言えます

また、日本人女性で言いますと、50年前には天王星の年齢域までが寿命でしたけれども、最近では海王星の年齢域にまで達してしまっていると言えます

 

また、日本においては長寿もさることながら、その高齢化率においても、世界の中で頭ひとつ抜け出している格好のようです

このような年齢組成の変化というものが、それによって形作られる精神文化に対して与える影響というものは、おそらく非常に大きいものがあるのではないかと予想されます

はじめの惑星の年齢域の当て嵌めに話を戻しますけれども、惑星の年齢域というのは、要するに人間がある年齢域にあるときに主として開発される個的能力が、該当する惑星にリンクされているのだと感じています

そうしますと、そのような意味で年齢域を当て嵌める意味があるのは火星くらいまでではないか、と感じられます

個人が主体となって開発するものとしては火星までですが、木星や土星、そしてそれ以遠の惑星については、個人が主体的に自己の能力として開発すると言うよりも、惑星の象徴するものと自身とのリンク付けをどれだけ行っているのか、という感覚で捉えるべきではないかと考えられます

木星の年齢域に入りますと、それまで個の能力として高めてきたものを、統合して人間としての総合力として発揮することが課題となり、土星の年齢域では、それによって何らかの社会的な枠組みの維持・形成に寄与することが課題となってくる、というような感じで捉えてみてはと、暫定的にではありますけれども考えています

わたしは新月や満月、そして二十四節気などにおいて、主に太陽のサビアン・シンボルを読んでいますけれども、人間が意識的に体験して活用を図るためには、この公転周期が1年程度の惑星がもっとも適していると実感され、それは季節の移り変わりなどを通して実感されるとともに、人間の精神や霊の成長を直接的に促しているリズムである、と感じられます

月のようにもっと早い天体については、今度は目まぐるし過ぎて意識的に捕らえることが返って難しくなる、といった面があるように思われますし、木星以遠の公転周期の長い惑星においても、自らのものとして主体的に活用を図るというような感覚は持ちづらいと感じられます

天王星は水星の、海王星は金星の、そして冥王星は火星のハイアー・オクターブであるということが言われますけれども、これらの所謂トランス・サタニアンについては、年齢域的なものとリンクしているというよりは、人生の全般を通じて、通常の意識を超えた領域の能力として、惑星とのリンク付けがなされるものではないか、と考えています

また、火星に至るまでの5天体は人間が自立した個となるために必要となる基本的な能力であり、木星と土星は社会人として必要となる基本的な性質とのリンクを表していると考えられます

トランス・サタニアンについては、水星・金星・火星の基本的能力の開発を前提とした上で、更に高度で精緻な能力を、潜在意識領域を通じた形において、これらのハイアー・オクターブに位置するトランス・サタニアンとのリンク付けによって得ていくということで、どちらかというと任意的になされるものではないかと感じられます

ある人は幼少期からトランス・サタニアンの領域の能力を発揮しますし、ある人はある時期以降に継続した意識と訓練とで習得していき、関心のない場合には一切開発されることがない、といった感じではないでしょうか

現在、日本は非常に高齢化してきている訳ですけれども、人間というのは、最初の5天体の開発レベルすら不十分であるケース、5天体の個的能力はあっても木星・土星とのリンクという意味では未成熟なままのケース、一生を通じてトランス・サタニアンとは無縁であり、即物的で物質主義的な人生観しか持ち合わせないケース、といったように、様々な段階で存在していると考えられます

そうしますと、一概に長寿高齢化をすれば、その国の文化は物質主義的ではなく、精神主義的色合いを帯びてくるのだ、というようなことにはならないのだろうと考えられます

むしろ、中年期以降はより物質主義的な枠組みに捕らわれる結果に陥ってしまうパターンの方が、現在の物質主義的社会の枠組みの中で無反省に生きた結果としては標準的となってくる筈です

しかしながら、そうした高齢のゴリゴリの物質主義者というのは、財産は蓄えているかも知れませんけれども、享楽主義的に生きるためには肉体の機能が衰えてしますし、財産で自分の身を辛うじて安楽に保つのが精一杯で、それ以上に積極的に社会に働きかけて影響を与えるということはできそうにありません

一方で長寿高齢化社会になった時、若い世代の意識というものは大いに変わってくるだろうと思われます

何故ならば、年寄りが非常にたくさん居り、自分たちもまたそれくらいまでか、あるいはもっと長い期間生きることになるだろうと容易に予測できるため、若い時代に特有な享楽的な物事ばかりを標準とせず、老いた後にも意味のある人生を形作ることの必要性というものが、少なくとも潜在意識下で強く感じられてくるに違いないだろう、というように思われます

日本において、世界に先立って極めて先進的な長寿高齢化社会を迎えつつあるということは、何れにしても長寿高齢化が世界の趨勢であると考えるのであれば、人間が非常に長生きをすることが当たり前の社会において、やがて人類の中で中心となってくるであろうと予感される精神主義的文化に対して、極めて主導的な位置に置かれている、ということが言えるのではないか、と考えられます

これらのことは、2020年以降に到来する人類の風の時代、表現を変えれば精神主義的文化の時代というものと、深くリンクしてくるものであろうと考えているのは当然のことです

今日は日頃からちょっと気になっていたことの整理のために備忘録として書き留めてみたところですが、これからの長期高齢化というものを考えた時に、占星術の基本的解釈においても、修整を加える必要がある部分も多くあるのではないかと感じられますので、機会があればまた触れてみたいと思います

 

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