タロット備忘録(20190106) ~自我の死と再生~

今朝引いたもの

10というサイクルの終わりを示すカードとともに、新たなサイクルの立ち上がりを示すエースが2枚示されました

下位の左の受動的な位置に示されたソードの10は、何年か前に引いた際には、頭に強く「葬送」という文字が浮かんで来たことがあります

結局、その時点では知らなかったのですけれども、その日の夜に職場の同僚の葬儀に参列するということになりました

かと言って、このカードを必ずしも不吉なイメージと結びつける必要はないでしょう

けれども、古い価値観や観念の死、そして自己意識としての自我の死というものとは密接に結びついたカードであるということは間違いありません

ここでは、古い自我の死とともに、右側の能動面で示されたソードのエースによって、新しい自我が芽生えた状態が示されているのだと感じ取りました

しかしながら、このソード10からソード1への移行は、同じサイクル内での繰り返しなどではなく、一段階上の次元において新たにはじまったサイクルを表しているのだと感じられます

上位に示されたカップのエースは、下位にあるソードの古いサイクルの終焉(ソード10)と新しいサイクルの始まり(ソード1)に対して、触媒的な作用をもたらしているのだと感じられます

小アルカナの各スートの10といいますのは、次のスートの「0」でもあるとの考え方をわたしは個人的に持っています ※火→風→水→土という順番において

それと同じように、占星術における各サインの30度というものも、次のサインの「0度」を表すものだという考え方を個人的にしています ※この場合は♈→♉→♊→♋→、、、という順番であり、タロットの場合のスートの並びと占星術のサインのエレメントの並びとは異なっているものとして捉えています

ここで言う「0」というのは、対応するとすれば大アルカナの「愚者」としても捉えられますけれども、それはこの世に形として出現する以前の純然たるエネルギーの状態を示すとともに、それは新しくはじまる「1」を産み出すための「エネルギー場」のようなものなのだ、とわたしは捉えているのです

ですから、カップのエースというのはソードの10の次のカードであるとも考えられ、思考機能においては到達し得ない「愛」という次元の世界観への移行がそこに示されていると感じます

この「愛」というものは何なのかと言えば、自分以外の存在を認め、それを自己と同様に尊重する精神的態度である、と言うことができるのではないかと思います

ソードの示す純粋な意識の世界といいますのは、個の内的世界に没入した、非常に無機質でドライな世界観にあるものだと感じられます

その世界観の行き着いた先において、自分の外に、自分と同様に信じ崇めるべき対象を見出そうとするのが、次のカップが示す「愛」という感情機能です

その対象が家族や異性などの人である場合もあれば、神仏などの霊的存在に対する信仰心であったりもするでしょう

場合によってはそれは自己の霊や魂としてのハイヤーセルフを対象としたものとしても捉えることが可能であり、それは自己に対する敬意を多分に含んだ自己愛とも呼べるものかも知れません

ですから、下位に示されているソードの10は、一旦、ソードの示す自己意識世界を超えたところのものを受容する愛を見出した後に、一つ高い次元へと上昇したところで新たに再生された自我の芽生えを表しているのだというのが、今朝のカードに対するわたしの解釈となります

 

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