ホロスコープと運命 ~ホロスコープとは何か?~

ホロスコープとは何か

ホロスコープというものに関しまして、そのシステムが持っている機能的な側面や読み方の技術に関する説明というものは大変によく見かけることができます

けれども、それが人生にとって本質的にどのような意味や価値を持っており、実人生においてどのように活用を図ればいいものなのか、ということへの言及は少ないように思われます

世間一般におきましては、もっぱら運命を決定づける運命論(宿命論)的なものとして扱われていることが多いように感じられるところであり、その辺のところは非常に問題があると感じられるところです

ホロスコープには、その人が持っている固有の性向(性質の傾向)というものが刻印されている訳ですけれども、それは前世の生き様を原因として今世にもたらされている結果なのであり、人間の意志の力というものを度外視して考えれば、それは正しく宿命的な力を持つものと言えなくもありません

エドガー・ケイシーはリーディングにおいて、「人間の運命というのは惑星の勢力圏内に存在しているために、人間の性向は、生まれてくる時の惑星によって規定されていると語っています(※英訳にはあまり自信ありません)

The inclinations of man are ruled by the planets under which he is born, for the destiny of man lies within the sphere or scope of the planets. 3744-3

ちなみにケイシーのリーディングにおきましては、生まれる前の人間の意識は惑星環境に滞在しており、その時の影響が出生図に刻まれるというような趣旨のことを述べています

ルドルフ・シュタイナーは、『人間が前世の諸条件に従って生まれ持つことになるものを、星位は引き渡します。・・・人間は星位に従って、地球に生まれます。しかし人間は、正しい方法で、星位から自立する力を蓄えなくてはなりません。』(「星と人間」風濤社)と語っています

以上のことからわたしなりにまとめてみますと、出生図というのは前世の生き方において生じた性向について、それを補正もしくは補強するような形で、各惑星からの影響力が織り込まれて刻印されたもの、として考えられます

運命と意志の力

我々は今世の人生における魂の成長を通じて、再び新たな自分というものを作り、そして来世へとつなげていかなければなりません

そのような観点に立つとき、出生図というのは新しい自分と人生とを意志の力によって創造していくに際して与えられている出発点なのであり、今世において人生を創造しゆくための素材のようなものとして捉える必要があるのでしょう

自らの出生図に刻印されている性向や能力というのは、意志の力によって善用も悪用も可能である、本来的にはニュートラルな要素として考えるべきかも知れません

人生というのは基本的に人間の自由意志に委ねられているものですので、善に赴く自由と共に悪に赴く自由(道徳的に生きるか不道徳的に生きるかの自由)というものもまた与えられています

ですので人間の中には、悪の心である向下的意志に囚われて、輪廻転生を通じて負のスパイラルにはまり込んで破滅へと突き進んでいくかのような魂もあると感じられますし、反対に善的な向上のスパイラルの気流に乗って目覚ましい成長を繰り返しているような魂というのもあると感じられます

余談ですけれども、向上的な生き方にせよ向下的な生き方にせよ、それらの人間の生きる姿勢については、ある閾値(一定のボーダー)を越えると急激に加速していくような傾向があるようにわたしには感じられていて、極めて優れた魂というのは加速度的速さで神に近づいていき、悪に魅入られた魂もまた、加速度的にブラックホールに吸い込まれるように堕落していき、双方ともにやがて人間としては生まれてこない存在となるのではないか、というように勝手に想像しているところです

一般的な大半の人というのは、時には向上するけれども時にはやや下降に転じるというような形で転生を繰り返しているのかも知れませんし、ある分野においては向上するけれども他の分野では疎かとなり下降してしまう、というようなこともあるのでしょう

何れにしましても、創造される人生はその人の意志のあり方によって、出生図を大きく乗り越えていくような人生を送る場合もあれば、ほとんど出生図に定められた運命のままに生きる人、あるいは生まれつきの傾向をより悪くしてしまう人というのがいるということになると予想できます

エドガー・ケイシーのリーディングにおいては、『いかなる惑星や太陽、月、そしてそれらの相も、人間の意志力の裁量を上回ることはないと語られています

…no action of any planet or the phases of the Sun, the Moon or any of the heavenly bodies surpass the rule of man’s will power… 3744-3

ルドルフ・シュタイナーは、人間は地上に誕生してから死ぬまでに、「第二の人間」を自分のなかに生み出します。・・・この第二の人間は、私たちの道徳的生活あるいは不道徳的生活の結果です。この結果が、私たちとともに、死の扉を通過していきます。』(「星と人間」風濤社)と、いうように語っています

また、世の中のどれくらいの割合の人が、もっぱらホロスコープの傾向に縛られているのかにつきましてもケイシーグはリーディングにおいて、人間のおよそ80%の人は占星術に示される傾向や偏りの影響下にあり、残りの20%はそうではなく、自分自身の活動による影響を受けている、というようなことを言っています(難しくて正確な訳は全然できませんが、、、)

The astrological aspects may give a tendency, an inclination, and a systematic, scientific study of same would indicate the vocation. And about eighty percent of the individuals would be in the position of being influenced by such astrological aspects; or would be in the position for their abilities to be indicated from same. But the other twenty percent would not be in that position, due to the influences from activity or the use of their abilities in material experience. 5753-3

想像するに全体の20%の人というのは、天体配置の影響に甘んじるよりも、自らの意志で自分自身を活かして行動し、そこで得た経験を通じて更に自らの人生を開拓していくということであるように感じられ、前世からの因縁に縛られずに、来世へ向けての新しい因果を意志の力で積極的に創り出している人だと言えるかも知れません

もっとも、その20%の人というのは、必ずしも意志を善用して成長しているタイプではなく、その正反対の人達というものも含まれているように感じられますし、もしくは完全に物質主義的な生き方を指向しているために、星にある精神界からの影響が働いていないように見える、というような場合もあるのかも知れません

ホロスコープによって規定される運命に影響されないような生き方というものが、必ずしも肯定または推奨される生き方であるという訳ではないと感じますけれども、シュタイナーが言うところの「星位からの自立」、つまり前世に植えたカルマによって規定されている今世の宿命から、意志の力によって自らを解放する、ということは非常に大切なことになるでしょう

無自覚的に運命の奴隷として人生を生きるのではなく、規定された運命から解放されて自由になることが我々の人生上の大きな課題としてある訳ですけれども、それは決して運命を無視したり度外視して生きるということではなく、運命をじっくりと見つめ、運命に寄り添いながら果たしていくべき目標なのではないかと感じられるところです

ホロスコープを学ぶことの意義

占星術を研究することについては、ケイシーはリーディングで次のように推奨しています

Q-惑星の影響を受ける私たちの傾向や偏りというものをより深く理解するために、私たちの生活に及ぼす惑星の影響について研究することは適切なことでしょうか?
A-正しく研究するのなら、それはとても大変に適切なことです。では、どのように正しく学べばいいのか?これまでに人間が獲得してきた知識に従いながら、意志こそが人間を常に向上へと導く統率者であるべきなのだという理解を、より多く人生の中に取り入れなさい。

Q-Is it proper for us to study the effects of the planets on our lives in order to better understand our tendencies and inclinations, as influenced by the planets?
A-When studied aright, very, very, very much so. How aright then? In that influence as is seen in the influence of the knowledge already obtained by mortal man. Give more of that into the lives, giving the understanding that the will must be the ever guiding factor to lead man on, ever upward.

要するに、意志の力を介在させながら、ホロスコープが指し示す性質や傾向を、向上的に強化したり是正しようとアプローチするのであれば、ホロスコープを勉強することには大変に大きな意味や価値が見出される、といったところでしょうか

反対に言えば、意志の力というものを介在させずにホロスコープを扱うことは、知らぬ間に宿命論的な世界観にはまり込んでしまい、自らを運命の奴隷へと貶めていくような方向にも行き兼ねない部分というのもまたあると考えなければならないでしょう

出生図の天体の配置が示していることは、確かに傾向として非常にはっきりと出てくるものであるものの、決して我々はそれらに縛り付けられている訳ではありませんし、人類に対する天の愛を信じるのであれば、今世において自身の魂を成長させる上で、むしろ最適な環境としてそれらが与えられているのだと考えるべきなのでしょう

ホロスコープというシステムはあくまでもツールなのであり、またそれを読み解く力というものも技術に過ぎない訳ですけれども、人生をよりよく向上させていく力というのは、あくまでも人間の意志によるものであるということを、まずは踏まえていることが非常に大切なことのように思われます

霊的なツールとして見る

占星術に関しまして、それを科学だというような言い方をされる方がいますけれども、科学というのはどこまでも物質的世界における定量的な因果関係を対象とするものですので、科学である訳がありません

しかし占星術を学問的に探求するということはもちろん可能なことです

占星術でご飯を食べているような方々が、現代の合理的で唯物的な風潮の中で市民権を得ようとするあまり、積極的にオカルト臭を弱めて科学的合理性と遜色ないもののように宣伝したくなる気持ちというのは分からなくもありません

しかし、霊的な世界のものについて、敢えて科学のような極めて物質主義的なものが持っている権威におもねるような形で吹聴するということは如何なものでしょうか

風の時代の幕開けが目前に迫っている今、来たるべき精神主義的な文化の再興を思えば、占星術というものは霊的直感に基づいていてこそ、その真の価値が発揮されるものであることを、あらためて認識する必要があるように感じられます

科学は科学で尊重すべきものではありますけれども、次の風の時代においては、科学というのは便利さを与えはするものの、人間の価値を推し測るには用を為さない二義的なものと見なされることになるでしょう

シュタイナーは、『占星学は、凡庸な占星術師によって、今日、完全に退廃したものになっています。ものごとがどのように関連しているか、内的に眺めることができなくてはなりません。物質的な星位のみを計算するのではなく、霊的な部分を洞察しなければなりません。』(「星と人間」風濤社)と、いうように今から百年前に既に語っていました

霊的直感という非常に不確かな要素が、現代の科学主義的風潮の中で市民権を得ることは難しいのですけれども、霊的直感というのは誰にでも備わっている普遍的な能力に過ぎません

何れの分野におきましても、その中で群を抜いて一流とか超一流と呼ばれる方々というのは、例外なくそれぞれの分野において霊的直感力を働かせて成功しているのであり、人間の生まれつきの性向というものが、その人が高い能力を発揮しやすい分野というものを規定しています

占星術のようなものに関しましては、霊的直感を働かすことなしに、単に知識と技術だけでアプローチしようとすれば、非常に大きな混乱の中に陥ってしまう結果をもたらすでしょう

特に近年にあっては、シュタイナーが指摘していますように、霊的な部分の洞察を忘れて、単に計算方法を細かく細分化させる形で発展させていたり、細かな天体や感受点を追加させていたりしますので、混乱を招く要素ばかりが増やされる結果となっているようにも感じられるところです

ちなみにシュタイナーは、『地球の外側は、火星です。火星のつぎには、多数の小惑星があります。・・・しかし、それらを考慮する必要はありません。小惑星は、ほかの惑星のように大きな意味をもっていません。』(「星と人間」風濤社)と、語っています

人生とは自分の意志で切り拓いて行くものとして認識すれば、出生図に示される天体とそれらのアスペクトというのは、自身が克服していくべき課題を示していると見えてきます

克服というのは、よい部分はよりよい形で向上させ、悪い部分はそれをあらためていき、欠けている部分は他の何かの要素で補っていくというようなことです

そのように、惑星の力を克服していくべき対象として見る場合には、主要天体以外の細かな感受点を不用意にわざわざ増やそうなどというところに発想は行かないでしょう

何故なら、ただでさえ四苦八苦しているところに、敢えて克服すべき課題を増やす必要など感じられないし、肝心な主要な部分への意識が疎かになってしまうことはマイナスにしかなりません

人間の意志の力というものを前提にすれば、あまり周期の短い天体の作用、例えば水星の逆行などについては、度外視するべきであろうと個人的には感じています

人間が意志で何事かを成し遂げようと言う場合に、それは通常少なくとも数年単位で成し遂げられるものでありますので、あまり細かな出来事に神経質になっていることは精神衛生上によくないばかりでなく、人間としての肝心な成すべき事柄に意識が向かわないことになってしまいます

ただし、若い世代の時間感覚と成熟した大人の時間感覚とは随分と異なってきますので、成長速度などを考えて世代毎に主に注視すべき天体現象も変えていく必要があるのでしょう

かし、現代の神経質な時代風潮に迎合して、敢えて自分から細かいサイクルの微妙な出来事にまで関心を寄せて一喜一憂するようなことは、あまり健全とは言えません

人生を有意義なものにしていこうというのであれば、成るべく長期的な時間感覚において人生を考えることが必要であり、有意義な長さのスパンで起きてくる天体現象というものを軸にして人生を生きる際の参考とされるのがよろしいのではないでしょうか

非常に長期的なスパンで物事を捉えて、それについて考えることができるというところにこそ、ホロスコープの真骨頂があるのだとわたしは考えています

最後に

ということで、ホロスコープというものに向かうに際して、もっとも最初に意識していなければならないと感じられる大切な事柄について、先人の言葉も頼りにしながら今日は考えてみました

できれば今後もこの続きを書いていきたいと思うところですけれども、最近は色々と書いてみても自分で納得できなくて、何度も書き直した挙げ句に結局アップしないようなことが多いので、どうなりますことか、、、

以上、参考になりましたら幸いです

 

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