宮沢賢治の出生図 ~インコンジャンクト・ヨッドを中心に~

「すきとおったほんとうのたべもの」

「すきとおったほんとうのたべもの」というのは、かの宮沢賢治が生前に出版した唯一の童話短編集である『注文の多い料理店』の序文の中で語られている言葉です

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりのいくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

大正十二年十二月二十日

                       宮沢賢治

出典:青空文庫より

物質主義的な時代から精神主義的な時代へと大きく変貌を遂げていくであろうこの風の時代の幕開けに際しまして、この序文に語られているような、賢治が標榜していた世界観というものは、これからの時代を生きるに際して、何かしら大きな気づきを与えてくれるものかもしれないように感じるところです

賢治の出生図

宮沢賢治の作品は若い頃にすべて読んではいますけれども、賢治がどのような人物であったのかにつきましては、わたしはまったく語る資格を持ちません

けれども、彼が「徹底した純粋な理想主義者」であったことは間違いのないところではなかろうかと感じられます

 

彼の出生年月日は一般的に明治29年の8月27日(出生時間は不明)で現在の岩手県花巻市生まれとされています

出生の月はこの日の何時に生まれていようとも牡羊座ということになりますけれども、彼の幼少期からの非常に純真無垢な感受性といいますのは、この生まれたての疑うことをまだ知らない牡羊座にある月の影響と感じられ、出生図の活動サインには唯一この月が入っているだけですので、困っている人を見ると躊躇無く助けられずにはいられない彼の生まれ持った真っ直ぐな性質というのは、牡羊座の何も考えずに反射的にリアクションする傾向が、月の母性的な感受性と相俟ってほとんど無意識裏に衝動的に発現されているものだったのでしょう

彼の学生時代には非常に友達思いなエピソードが幾つかあり、通常の域を超えて同情心や慈悲心に篤い性質を生まれつき持っていたようです

太陽と水星と金星とが乙女座にあるというのは、彼の中性的で清純で控え目な印象とよく合致するものと感じられますし、作家としての資質にも大きな影響を与えているものと感じられますし、彼の成績が一貫してトップクラスの優秀さを見せていたのは、乙女座の持つ消化吸収能力が勉学に大いに活かされていたと読めます

タイトな二つのインコンジャンクトとヨッドの可能性

わたしが彼の出生図で一番注目をしたいのは、双子座と蠍座において冥王星と土星、そして海王星と天王星とによって、それぞれ同じ度数で極めてタイトな150度のインコンジャンクトが二つも形成されているという点です

彼の出生当時には冥王星はまだ発見されておらず(亡くなる年の3年前には発見されている)、その影響の如何については様々な見方があるものと思われますけれども、わたしはエドガーケイシーがそのリーディングにおいて、冥王星が発見される以前にも冥王星のことをセプティムスやバルカンという名称で呼んでその個人に与えている影響について語っていたことから、発見以前よりその影響が及んでいる可能性が高いものとして基本的には捉えています

宮沢賢治などの世の中に大きな影響を与えるような人物においては、土星以遠の天体の影響力が個の上にも強く顕現している可能性があると考えられますし、このようにタイトな二つのインコンジャンクトがあり、双子座にある冥王星と火星はともに、それぞれインコンジャンクトの位置関係にあるサインである蠍座の支配星、副支配星であることを考えますと、これらがかなり特殊な影響力を強く発揮している可能性が非常に高いと感じられるところです

また、出生時間は不明ながら、賢治の出生の月はこの日の中で牡羊座の11度から23度まで移動しますので、双子座と蠍座の14度と21度で形成されている二つのタイトなインコンジャンクションのどちらかと合わせて、ヨッドを形成していた可能性が非常に高いと考えられ、賢治がヨッドの持ち主であった可能性を踏まえまして後ほど検証をしてみたいと想います

この双子座に海王星が入座していた時代と言いますのは、一般的に海王星の表す芸術性が特に文章表現などで現れやすい世代的な特徴と関連づけられますけれども、その期間は1889年から1901年という、要するに19世紀の世紀末という特別な色合いを持った時期とも重なっています

一方で、蠍座の天王星の期間というのも1891年から1898年であり、1892年から1895年にかけて海王星と天王星とは正確なインコンジャンクトを7回形成していましたので、その影響を受けた世代や個人が多くいた可能性があります

19世紀末の双子座海王星世代

主に双子座海王星時代に生まれた芸術関連を中心とした著名人として個人的に目に留まった人物につきまして、参考までに列記しておきます(1890~1900)

・ヴァーツラフ・ニジンスキー(伝説的バレエダンサー・1890)
・エゴン・シーレ(画家・1890)
・アガサ・クリスティ(推理作家・1890))
・モイズ・キスリング(画家・1891)
・直木三十五(作家・1891)
・マックス・エルンスト(画家・1891)
・セルゲイ・プロコフィエフ(作曲家・1891)
・岸田劉生(画家・1891)
・ヘンリー・ミラー(作家・1891)
・J・R・R・トールキン(作家・1892)「ホビットの冒険」、「指輪物語」
・堀口大学(詩人・1892)
・西条八十(詩人・1892)
・福田平八郎(画家・1892)
・芥川龍之介(作家・1892)
・佐藤春夫(作家・詩人・1892)
・パール・バック(作家・1892)
・吉川英治(作家・1892)
・ジョアン・ミロ(画家・1893)
・速水御舟(日本画家・1894)
・ジャン・ルノワール(映画監督・1894)
・江戸川乱歩(推理作家・1894)
・宮沢賢治(作家・詩人・1896)
・ポール・ギャリコ(作家・1897)「スノーグース」、「雪のひとひら」など
・ウィリアム・フォークナー(作家・1897)
・宇野千代(作家・1897)
・伊東深水(日本画家・1898)
・ベルトルト・ブレヒト(劇作家・詩人・1898)
・井伏鱒二(作家・1898)
・内田吐夢(映画監督・1898)
・佐伯祐三(画家・1898)
・溝口健二(映画監督・1898)
・マウリッツ・エッシャー(画家・1898)
・ヘンリー・ムーア(彫刻家・1898)
・ジョージ・ガーシュイン(作曲家・1898)
・フランシス・プーランク(作曲家・1899)
・宮本百合子(作家・1899)
・石川淳(作家・1899)
・川端康成(作家・1899)
・ハート・クレイン(詩人・1899)
・アーネスト・ヘミングウェイ(作家・1899)
・壺井栄(作家・1899)「二十四の瞳」
・アルフレッド・ヒッチコック(映画監督・1899)
・ホルヘ・ルイス・ボルヘス(作家・詩人・1899)
・石坂洋次郎(作家・1900)
・エーリヒ・フロム(心理学者・1900)

独創的なタイプの方が結構多いなというような印象をわたしは持ちますけれども如何でしょうか

機会があればもっときちんと調べてみたいところですけれども、世代的な特徴を明確にピックアップしようとなりますと、芸術や文化に関する極めて広範な知識が必要となりますので中々難しい作業となります

19世紀末の蠍座天王星時代に起きたこと

一方の蠍座に天王星が入座している期間には、レントゲンによってX線が発見(1895)されており、これは間違いなく蠍座天王星の影響により起きた科学的革新と考えて良い事象でしょう

また、フロイトが精神分析に関する数々の著作の発表をはじめたのが1890年代であり、1896年に発表した「神経症の遺伝と病因」の文中にて、「精神分析」という言葉がはじめて用いられており、潜在意識に意識的な働きかけを行って精神疾患の治療を試みる「精神分析の誕生」という革新的な事象が起きていた訳ですけれども、これもまた、この時の蠍座天王星の影響に他ならないだろうと個人的には考えています

蠍座25度のサビアン・シンボルは「AN X-RAY PHOTOGRAPH」すなわち「X線写真」という、そのものズバリのものですけれども、蠍座はそのように見えないものを透視してしまう性質が元々あって、それは人で言うところの相手の深層心理を見透かしてしまう働きとして顕著に表れてくるのですけれども、精神分析というのもある意味では潜在意識の可視化を行っていると言えるようなものと捉えることができます

映写機の発明

映写機が発明されたのもこの1890年代であり、1895年に世界初の実写映画の試写会が有料ではじめて開かれたということですけれども、このような映画の登場というのは人類史上においてある意味で非常に画期的な事件であったのではないでしょうか

映像というのは海王星との親和性が極めて高いものであり、双子座は物事の因果関係を片っ端から明らかにしてそれを言語で伝えていくものですけれども、映像というのも物事を表現して伝えると言う意味では一種の言語なのであり、むしろ映像というのは通常の言語をも越えた強烈なインパクトを伴い得る言語であるとも言えるのではないかと感じられ、この19世紀末の時代に人類は、「映画」という強力な優れた表現手段を得た、ということになります

文学などは主に個から個に対する表現手段でしょうし、写真や絵画、演劇などはより広い範囲の人に向けられているものと考えられますけれども、実写の映像が与えるインパクトというのは暴力的とも言えるほどのレベルで大衆に影響を与える力を持っているのではないでしょうか

精神分析などによって人の深層心理が明らかにされていく一方で、そうした内容を表現して伝えていく映画というものが生まれ、1899年生まれのヒッチコックなどは、非常に巧みな心理描写に長けた映画監督の天才的巨匠ですけれども、映画芸術というのは如何に心理描写を巧みに行うか、という点にひとつの大きな特徴を持っているものと感じられます

後々にそのような文化が生まれてくる契機が、この双子座海王星と蠍座天王星によるインコンジャント時代に人類に与えられた、ということが言えるのかも知れず、それによって社会は質的に著しく変容した部分があると感じるのですけれども、その辺の内容については機会があればあらためて考えてみることにしたいと思います

インコンジャンクトの意味

感受点同士が150度で結ばれるインコンジャンクトは、占星術の二区分(能動と受動)、三区分(活動、不動、柔軟)、四区分(火、地、風、水)の何れにもおいても共通する要素がないために、互いに相容れない、決して噛み合わない存在である、と言うように一般的には説明されています

しかし、30度のセミセクスタイルに位置する両隣のサインもまた、同様に何れにおいても共通する要素がないサインなのであり、特定の一つのサインにおいてそれ以外の11のサインの内、いずれの区分でも共通する要素を持たないサインというのは4つもあるということになります

セミセクスタイルは隣り合っているからインコンジャンクトとは事情が異なるというような説明といいますのは、各区分における共通要素の有無という観点から性質を説明づけようとしていたことに対して、まったく違う観点からの木に竹を接ぐ説明のようにも感じられてしまうところがどうしてもあります

三つの区分の何れにおいても共通する要素を持たない、という説明はインコンジャンクトを説明する際の重要な要素のひとつに過ぎないと言わなければなりません

ホロスコープの全体は360度であり、インコンジャンクトは150度ですけれども、通常はアスペクトの解釈について120度のトラインは360度の三分割、90度のスクエアは四分割、72度のクインタイルは五分割というように考え、それぞれ3,4,5の数霊の持つ象意との関連性という観点から説明されます

同様に考えると30度のセミセクスタイルは12分割ですので12という数霊に関係していることになります

しかし150度の場合は360度に対して2.4分割と小数となり持て余してしまうことになるのですけれども、わたしの場合は360と150の最小公倍数を求めて次のように考える訳ですけれども、その最小公倍数は1800ということになります

そして、この1800という数字が何を表しているのか、と言いますのは360度のホロスコープの5サイクル分となります

その5サイクルの間に150度が12回形成されるということができ、インコンジャンクトは次のような12芒星を描くことになります

 

12芒星はホロスコープにおいては12のサインの総てにその頂点を持つことになりますので、ホロスコープの全体性とのつながりを持つ、極めて特殊な存在のものであるというように考えることが出来ます

ちなみにインコンジャンクトも12の数霊と関連している訳ですけれども、12と5による複合的な図形と考えるべきなのであり、単純に12関連と考える訳にはいかない点には注意が必要です

以上から、インコンジャンクトというのは何れの区分においても共通の要素を持たないどころか、12芒星の一辺であると考えれば、むしろ反対に総ての要素とつながり合う潜在的可能性を秘めている、極めて特殊なアスペクトであることが分かります

ホロスコープの全体というのは、総ての潜在的可能性である宇宙意識というものをあらわしていますので、12のサインすべてに頂点を持つ12芒星の一辺であるインコンジャンクトというアスペクトは、宇宙意識(=天や神の意志)とのつながりを持ちやすい配置であるいうことが言えるでしょう

ホロスコープに存在する感受点というのは、その点を通じて宇宙の潜在意識内容の一部が顕在化してくるポイントとなりますけれども、そこにインコンジャンクトが関わってくれば、その感受点を通じてホロスコープの全体性である宇宙意識、天の意志そのものとの関わりが強く出てくるということになります

12芒星というのはホロスコープの全体性と関わるものであるとともに、ユダヤ民族の全体である12部族の象意でもありますけれども、神と通じる天才的な資質に溢れたユダヤ民族に深く関わるものであることを考えれば、このアスペクトが天才的な資質に関与していることにも納得がいきますし、インコンジャンクトは12芒星の一辺を表すに過ぎませんけれども、上の12芒星図でいうAとBとCの三点で形成されるヨッドの配置となると、更に12芒星の一角が顕在化することになりますので、宇宙意識との関わりは格段に強まることになると予想できます

こうした宇宙意識の顕在化というのは、常に何らかの革新的発明や天才的能力の発現となって顕れる訳ですけれども、潜在意識が顕在化するプロセスというのは決して簡単でも容易でもなく、通常はこうしたプロセスはこの世的な常識や先入観、あるいは自己中心的な欲望などによってブロックされてしまい勝ちです

そこには無心になるほど徹底的に物事に打ち込むような姿勢が必要であり、極度の集中状態とその持続などが必要となってくるでしょう

また、何かしらの難問の解決に際して、思いも寄らない方向の分野の知識や知恵が役立つということは、ままあることではないでしょうか

ノーベル賞の受賞者などにおいて、本来専攻していたのとは違う分野において非常に大きな業績を成し遂げたりすることが多いのは、無用な先入観に惑わされることが少ないからでしょうけれども、天才が行う努力というのは、常識的に選択される通常の道筋とはかけ離れたものであることが常であると言えます

我々の日常においても、潜在意識が働いて叡智が閃く瞬間というのは、考えるのを一旦やめて他のことをしている最中であったり、あるいは夢の中であったりし、一切の執着観念が払拭された状態にならなければ潜在意識からの情報というのは顕在化してきません

インコンジャンクトの方角にあるような、一見まったく関係のないようなところに関心を振り向けてみることで自分に欠けていたパーツが補われて、より完全なものが現れるてくるということが、ひとつの真理としてあるのではないでしょうか

インコンジャンクトというのは、敢えて自分に欠けている要素を積極的に補完するという変則的な手段によって、宇宙意識と通じ合うような完全性を伴った何かを生み出していくような働きがあり、目先の因果関係だけに捕らわれた通常の人間の狭い視野では得られない高度で秀逸なものを生み出す可能性が秘められているアスペクトであると考えることができます

賢治においてヨッドを仮定した場合

世の中には様々なタイプの天才がいますけれども、わたしの考える天才というのは、無から有を生み出すタイプのものであり、常識的には理解できないプロセスで発現してくるタイプの才能です

宮沢賢治の作品が持っている独創性というのは、そのような意味では非常に天才的です

「銀河鉄道の夜」のような世界観と言いますののは、何かを参考にしたり頭で捏ねくり回したりして出てくるようなものではなく、極めて独創的であり、無意識の世界から直接的に汲み取られてきたイメージであると感じられます

そのため、何十年も前に読んだ文章でも非常に鮮明にイメージが残っており、それは作られたものではない本物の言葉だけが持っている力なのでしょう

賢治自身の言葉として、『無意識から溢れるものでなければ多くは無力か詐偽である』というものがありますので、賢治は人間が頭で捏ねくりだしたようなものを偽物として嫌い、無意識の世界から溢れてくる心象を大切にしていたことが分かりますけれども、それはヨッドの影響によって宇宙的な無意識世界とのつながりを重視していたからということが言えるかも知れません

天分の才というのは、自分で努力して磨き上げるような性質のものではなく、常人には理解しがたい形で発現されてくるものであり、目に見える顕在意識の及ばない無意識の世界から立ち現れてくるものでしょう

また、ヨッドを持つと仮定しますと、神の意志としての宇宙意識との関わりが想定されますけれども、有名な「雨にも負けず」の詩の中において、『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル (中略)サウイフモノニ ワタシハナリタイ』と語っており、これは宇宙意識としての菩薩心の発露と考えられます

また、次の「農民芸術概論綱要 序論」で語られた文章において、『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』とありますけれども、これも一個の人間の立場でありながら、宇宙や天の持つ意志を代弁しているようなものと捉えることができます

銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと』というのは、ヨッドを形成する感受点が表す顕在意識とホロスコープ全体が表す宇宙意識との密接な関係性がそのまま強く意識に顕れてきているもののように感じられますけれども、これを日本の神道的な言い方に代えれば「惟神(かんながら)に生きる」というようなことと通じていて、つまりは宇宙法則に従ってありのままに生きる、というようなことになるのでしょうか

「農民芸術概論綱要 序論」

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団(、)社会(、)宇宙(へ)と次第に進化する ※括弧内は意味を明瞭にするためにわたしが付け足しています
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

出典:青空文庫より

如何に出生図にヨッドを持つと言いましても、賢治の場合のようにあたかも神の意志に乗っ取られ兼ねないレベルで宇宙意識との一体化を志向しているというのは、極めてレアなケースと言えるのではないかと感じられます

そうしますと、通常はオーブの関係でヨッドとは見なしがたい乙女座18度の金星もまた、出生月とインコンジャンクトを形成して二つ目のヨッドを形成していたと見なしたくなってくるところです

上の12芒星でいうところのA-B-CーDという形で、四つの感受点が、3つのインコンジャンクトにて連続的に結ばれ、A-B-Cで形成されるBを頂点とするヨッドとB-C-Dで形成されるCを頂点とするヨッドとが形成されるということになります

また、ABCDという12芒星における連続した四点が揃うことにより、二区分や三区分はもとより、四区分のエレメントまで総ての要素が揃うということになり、より完全性の高いものが顕れてくる可能性が出てくるというように言えるかも知れません

ヨッドは一つだけでも神的な宇宙意識との関連が色濃く出てくる可能性を持つ配置ですので、12芒星の連続するふたつの頂点の角が描き出されるふたつの連結されたヨッドを持つとなれば、宇宙意識を我が意識とせんとするような極めて強烈な宇宙との一体願望が出て来たとしてもおかしくはないでしょう

その場合、賢治の出生時間が20時頃であれば、比較的オーブを狭く捉え勝ちなわたしでも、何とか許容範囲に収まる形になるかなという印象となります

わたしは賢治という人は意外とリーダー気質が強い人であったように感じていますし、幼少の頃から仲間を庇ってあげるような行為を躊躇うことなく実行していたようなので、牡羊座にあって感情豊かな月の母性的な気質が強く前面に出ていたということで、この20時くらいの生まれと考えますと、1室が牡羊座で、Ascと出生月が合でその気質が強く全面に顕れてくるというように、ヨッドの件とも合わせてわたしにとっては割りと納得しやすい出生図の雰囲気となります

また、この出生時間で考えますと、賢治の人生の中で特に影響の大きかったと考えられます、最愛の妹トシが結核によって24歳の若さで亡くなるという出来事が起きた1922年11月27日頃において、賢治の出生ICを経過の冥王星が通過する時期と重なってくることになることが分かります

宮沢トシは賢治の2才下で兄弟の中でも最も親しい存在であるとともに、詩人・作家としての賢治のよき理解者でもあったということですので、妹トシの死は、自分の拠って立つ地面にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような極めて強い衝撃を賢治にもたらしたであろうことは間違いのないことでしょう

実はわたし自身もちょうどこれから経過冥王星によるIC合を迎えるところなのですけれども、以前から、また家族でも失うか、あるいは自分自身が地上での拠り所である肉体的生命を失うのかしらん、と大いに気にしていたところでしたので、やはりこの時間帯の賢治の出生には信憑性があるように感じられるものです

二つ年下の妹トシにとって、幼少時から非常に優秀で同情心に厚く、また人並み外れた気高い理想に生きようとしていた兄賢治は、どれだけ慕い敬ってもやまない存在だったことでしょうし、またその背中を一生懸命に追いかけながら生きていたのではないでしょうか

『けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじや)・・・』ではじまる賢治の「永訣の朝」という詩文については、誰もが知っているものだと思いますけれども、賢治は最愛の妹トシを失った哀惜の情を幾編かの詩文の中で詠んでいます

賢治と妹トシ

賢治の妹である宮沢トシの生年月日は1898年11月5日で出生時間は不明ですけれども、上のシナストリーチャートではトシの出生時間を23時と仮置きしています

出生太陽は一日に1度順行しますので、何れにしましても賢治の出生土星とトシの出生太陽はタイトに合となりますし、図のようにトシが遅い時間に生まれているのであれば、賢治の土星とトシの太陽は同じ蠍座14度にて重なることになります

シナストリーチャートにおいてこのように土星と太陽が重なる場合に生じて来る関係性と言いますのは、関わっている人物の精神の発達段階の違いによって、非常に大きく異なってくることになると考えられます

賢治のように幼少期から、自らに課せられた義務を進んで全うし、あまつさえ仲間などを守ってやるような強い正義感や同情心の持ち主と言いますのは、生まれながらにして既に土星の要素が開発されている、そのような非常に高度な精神の発達段階にある魂の持ち主と言えます

牡羊座の月の激しい情熱と、乙女座に入った太陽、水星、金星による文筆家としての基本的な資質といったものが、更に高度な文学活動等に展開されて行くに際して、賢治の蠍座の土星はその中心的役割を担っていたことでしょう

土星が賢治のように開発され積極的に活用されるような状態と言いますのは、使命感を伴う求道者的なあり方菩薩的なあり方として出てくる可能性が高くあります

一方で、自分に課せられた義務や責任を嫌忌してそれから逃げ回っているような、精神発達段階の低い魂の持ち主というのも世の中には多い訳ですけれども、そういうレベルの方同士のシナストリーで土星と太陽が重なるような場合には、嫌忌して避けたいような自分にとって最も嫌な相手となったり、土星の持ち主が自分が逃げている自分の責任なり課題を太陽の持ち主の方に無理矢理押しつけてくるような関係ともなり得るでしょう

個人の出生図等において土星が関与する部分について読み解こうとする場合には、そのようにその人における土星の開発程度、つまりその人の精神の総合的な発達段階というものを考慮するのでなければなりません

話を二人の兄妹に戻しますと、二人の場合は、賢治のあらゆる創作活動等は賢治の出生土星によって牽引されていたと感じられますので、賢治が作り出すあらゆる文芸作品はトシにとって、次のような意味合いを持ってくるでしょう

出生太陽はその個人が地上に受けて最初に受ける生命エネルギーの質を表しており、その人を常に元気づけ勇気づけ、喜びを与えて成長させていく推進力となります

ですから、賢治の生み出す作品や彼の生き方そのものというのは、トシにとって自分を勇気づけ活き活きと元気づけるような非常に価値のあるものとして受け取られ、自分の生きがいそのもののようにも感じられるものだったのではないかと感じられますし、トシが賢治の最大の理解者であったと言われるのは、二人の星の配置からは当然そうなるべくして生まれついた二人であったように感じられます

また、賢治にとってもそのような妹の存在が、自分の創作活動や自らの信念に従った生き方をする上で、大いなる励みとなり、何にも代えがたい心の支えとなっていたのではないかということもまた言えるでしょう

経過の冥王星のIC通過というのは、家庭や自分の心の拠り所を意味するICに対して、冥王星がそれを根本から覆してしまうような働きかけをします

肉親の死というのは、現実にそれを味わわないと分かり切れないような深い絶望感を伴うものです

死は永遠に人と人とを無常にも別ち、二度と見ることも触れることも、また語り合うことも出来ないのだという現実を突きつけられ、人は運命に対する自身の無力感とともに、たった一人取り残されたような絶望的な孤絶感を味わいます

この二人の兄妹のように、はじめから別ちがたく強く結びつけられた間柄なのであれば、その悲しみはどんなにか深いものであったでしょう

しかしながら、やがて人は故人の魂が自分の中で永遠に生き続けていることに気づきますし、生前よりもむしろその魂は近しく感じられるようにもなったりします

故人が深く関わっていた自分の生を、故人が喜ぶ形で生きていこうとするとき、故人の魂は常に自分の近くにあり、自分の生命の価値の中に故人の生命の価値もまた脈々と息づいていることになるのです

妹トシの死は、その後の賢治の生き方や創作活動に、この上ない大きな影響を与えたことでしょう

トシの生前においてすら、賢治の生き方や創作活動は彼女の存在によって強く支えられていたでしょうけれども、死別の後には、トシの魂の存在は賢治に更により強い影響をもたらしていたのに違いありません

二人とも生涯結婚するような機会もないままに早くにこの世を去った訳ですけれども、この別ちがたい二つの兄妹の魂は、今も残された作品の中でその生き生きとした生命を保ちながら、輝きを放っているのではないでしょうか

 

世界が真にひとつになる時代

賢治は先に紹介した「農民芸術概論綱要 序論」の中で、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」と語りました

ちょうど賢治が生まれた頃に登場してきた「精神分析の誕生」や「映画の登場」というのは、人間の深層心理を明らかにし人間の集合的な部分に光を当て、そうした内容を世の中に広く知らしめていくことによって、意識の共有化が進むように作用したのではないかということが考えられます

世界において映像文化が共有されるようなことは、世界の意識を一つにまとめていく効果を確かにもたらすことに貢献するでしょう

しかし、前の地の時代に起きた専制主義への反動としての民主主義の流れというものは、個人主義を推し進める方向性にあり、総ての大衆を専制君主的にするような方向に向かっているように感じられるものです

世の中は相変わらず、崇高な理念ではなく、利害関係というものを中心に営まれており、かつての専制的な古い時代には王や貴族などが主役となり、その人達の利害関係によって世の中が大きく動いていたものが、主役が一般市民に取って代わっただけのことであり、相変わらず物質主義的な利害関係によって世の中というのは動いていますので、世の中の仕組みが大きく変わっただけで、質的な部分においては実はそう大して変化していないようにも感じられたりします

人間の深層心理などがどんどん明らかにされていくことによって、人間の間の貴賤の区別などはどんどん解消されていく流れがありますけれども、全体的に大衆的な低いレベルに引っ張られる形でのみ均質化が進んでいるというのが、これまでの世界の実情ではないでしょうか

これからの風の時代においては、これまでのような物質主義的、個人主義的な偽りの民主主義ではなく、人間の高度に精神主義的、霊的な部分の集合性に基づいた真の民主主義が創り上げられなければなりません

賢治が言及している「世界がひとつの意識になっていく」というようなことが、現在までのところ、精々同じブランドの服を着て、同じフランチャイズのファーストフードを食べ、同じ娯楽映画を観るといった、物質主義的で享楽的な方向でしか実現していない訳であり、それは単に経済的な都合によってグローバリズムが推し進められたことの結果に過ぎません

これからの時代は、本当の意味で世界がひとつに成りゆくのでなければなりませんし、今という時代は明らかにそのようなとても大きな流れの転換期に差し掛かっています

賢治の言う「すきとおったほんとうのたべもの」について、一般的には「心の栄養」というように解釈されているように思いますけれども、わたし的には、「魂の栄養」、「魂の食事」といった表現の方がより相応しいかなというように感じられます

神道でいうところの「恩頼(みたまのふゆ)」という言葉も、結構近いものがあるように感じられますけれども、何れにしましても「生かされていることに対する喜びや感謝がふと湧く瞬間やその感覚」といったものが深く関係していることは間違いないでしょう

心というのは肉体や本能心、低次の感情からそんなに離れたものではなく、肉体や本能や感情に対する囚われといいますのは、我々の魂の持つ本源的な生命力をどちらかと言うと損ねる性質のものです

ですから、「目に見える食べ物というのは肉体を養うだけのかりそめの食べ物に過ぎない、それに執着して余計に摂取すればするだけ、本体たる魂とその生命力を損なうことになる」ということを、賢治の「すきとおったほんとうのたべもの」の、反対の言葉として言うことができるかも知れません

世界は相変わらず物質的、感情的執着に囚われて奪い合いや憎しみ合いから脱却することができませんけれども、物質主義的、個人主義的なこれまでのあり方では、如何に生活スタイルが世界で均質化していこうとも、本当の意味で世界がひとつになることは決してないでしょう

生かされていることへの感謝と喜びに生きる中で物事への執着を解き放ってこそ、やがて世界は本当の意味でひとつになりゆくのに違いありませんし、「自我の意識は個人から集団(、)社会(、)宇宙(へ)と次第に進化する」という賢治の言葉は、あなたの心の中に平和がないのであれば、世界の平和などもあり得ない、ということを言っているのでしょうから、「先ず隗より始めよ」の諺にあるとおりに、感謝の気持ちで心の平和を乱さずに暮らすように、まずは自分から務めなければなりません

ヨッドの要注意期間

少々長くなりましたので、最後に経過天体においてヨッドに関連するような配置が将来的にないかを見て終わりにしたいと思います

2023年の後半くらいから、冥王星と海王星が60度のセクスタイルを形成しはじめますので、出生図においてその双方からインコンジャンクションとなる出生天体をお持ちの方は注意が必要となります

2025年以降は、冥王星と海王星、海王星と天王星がそれぞれセクスタイルを長期的に形成するようになり、この三天体で何度か正確な小三角を形成し、木星も入ってクレイドルという形も正確に形成されたりするのですけれども、乙女座と蠍座の最初の方に出生天体をお持ちの方は何れも注意が必要となります

特に冥王星と海王星に関しましては、その後も更に長期的に2030年代に入るまで何度も正確なセクスタイルを形成することになります

2023年から翌24年にかけては、冥王星の水瓶座イングレスというとても重要なイベントがありますけれども、その直後から水瓶座にイングレスしたての冥王星が長期間にわたって海王星とセクスタイルを形成することには、何かしらとても重要な意味が秘められている可能性が強く感じられるところです

下の図ですけれども、経過の天王星以遠の天体同士によってオーブ0度のセクスタイルが形成される時期とともに、その時に出生図や始原図等においてそこに感受点をお持ちであるとヨッドが形成されることになる位置を最右欄に記しています

※オーブを考慮すれば書かれている日付以外の期間においてもアスペクトは長期的にわたって形成されていますので、詳しくは個別にご自身にて別途影響の有無について調べてみてください

例えば、東京星図においては主要10天体で乙女座、天秤座、蠍座のものはありませんけれども、中国始原図では乙女座14度に土星があり、2031年4月にヨッドが形成されることになります

個人の例としましては、今上陛下におかれましては出生冥王星を乙女座5度にお持ちですけれども、眞子内親王殿下におかれましては、乙女座9度に木星、同14度に金星、蠍座5度に火星、そして天秤座30度に太陽というように、主要10天体のうち4つもピンポイントに該当することになりますので、この2020年代後半から2030年代最初にかけての天王星以遠の経過天体によって作られるセクスタイルラッシュの影響をもろに夥しく受けそうな感じです

眞子内親王殿下というお方は、つくづく歴史的な天体イベントとの密接な相関を余儀なくされるお生まれつきの、善きも悪しきも非常に希有なお方であるようです

わたしの場合も、乙女座15度に天王星、16度に冥王星があり、やはり何らかの影響を受けることになるかも知れませんけれども、やはり眞子内親王殿下のようにパーソナル天体が関わっているような場合の方が、影響は顕著に出るものかも知れません

また、経過天体同士で形成されるヨッドも木星を頂点する形で2027年8月に形成されることになります

わたしの出生太陽は水瓶座の4度であり、2025年に出生太陽と経過冥王星との合という大きなイベントを個人的に迎えた直後ですけれども、このヨッド形成時には出生太陽と冥王星のオーブは2度くらいあるのですけれども、ヨッドの底辺のもう一方の海王星とは、進行の太陽がほとんどオーブがない形で合となりますので、何かしらのこのヨッドによって引き起こされる社会的事象に巻き込まれる可能性が高いように感じられます

ヨッドの影響に関しましては、頂点の天体に向けてインコンジャンクトの関係にある底辺の2天体から働きかけがあり、何らかの意味で天の意志が反映された事象が起きてくることになる、ということになりやすいかと感じます

ですから、このヨッドではなく上の表の経過天体がセクスタイルとなって出生の天体がヨッドの頂点となる場合には、何らかの形で天意を表す目的のために、個人が使役されるような格好となりやすいかも知れません

ちなみにこの2027年8月の経過天体による木星を頂点として形成されるヨッドに関しましては、そもそもの時代背景として、昨年末に水瓶座1度において土星と木星のグレートコンジャンクションにより幕開けした風の時代において、2023~4年にかけて冥王星が水瓶座入りを果たす中で、いよいよ本格的に旧い時代の枠組みが破壊されて新たな時代の枠組みが創造されていくような流れが予想される訳ですけれども、そうした時代の流れと強く相関する働きが発揮されることは間違いのないことです

また、冥王星は2024年に本格的に水瓶座にイングレスしますけれども、続いて2026年には海王星が牡羊座に、天王星が双子座にそれぞれ本格的にイングレスすることになり、各天体がそれぞれ新しい星座に移行した直後に、各天体同士で正確なセクスタイルを形成するといった流れには、極めて意味のある時代の流れが形成されることになると予想されるところです

水瓶座にイングレスした冥王星は古い時代の枠組みを壊して新たな風の時代の枠組みを創造し、牡羊座にイングレスした海王星は、新奇な活発なビジョンを地上にもたらすことになるでしょう

その二つが底辺にあって、乙女座の木星を頂点としてとヨッドを形成した場合、乙女座というのは人間の部位でいうところの「腸」であり、消化吸収を通じて栄養を「同化」する働きのものです

乙女座は色々な知識や技を習得して職業的スキルや音楽や技芸のスキルなどを完成させ、一個人はそのようにして培われたスキルと同一化し、それぞれの専門家として次の段階である社会進出へと進んでいく訳です

木星は哲学的思想と関係しますので、ここで人類は風の時代に相応しい新たな自己認識を持ち、それと同化するようになる、少なくともそうした方向に進んでいく契機が与えられることになるのではないかと感じられます

自己認識というのは、我々とは何々である、ということであり、自己が特定の観念と同化することを意味します

例えば、これまでの人類の自己認識の主流は、我々人類とは肉体を本位とし、飽くことなく物質的欲求を追究する生き物である、というものであったのではないでしょうか

そのような低次の自己認識があらためられ、我々人類とは本来霊的な存在であり、その根源である宇宙の調和の働きと同化しつつ、真・善・美の追究を目指すものである、というようなより高い次元の欲求に基づくものに置き換わっていく、その転機としてこの時のヨッドが世の中に作用するのだ、というように考えたいと思います

 

そのようになってくれば、それこそ賢治が縹渺していた、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」ということが、賢治が没した1933年からちょうど100年を経過しようという時になって、いよいよ世の中に実現し始める流れが生じて来るのかも知れません

天才というのは常に100年位は人類の先を行って生きている人達のことなので、ちょうど賢治の没後100年を迎えるような時期となり、人類の意識がそろそろ賢治の精神内容に多少は追いついてきてもおかしくはない時期になってきた、とも言えるのかも知れません

宮沢賢治が生きていた時代というのは、ちょうどわたしの祖父が生きていた時代と同じですので、そんなに遠い昔のことでもないとも考えられます

私の祖父は賢治の2年後に生まれて賢治の2年後に賢治と同じく37歳で亡くなりましたし、賢治も教師をしていましたけれども、わたしの祖父も高等師範学校を出て旧制中学校の教師をしていたなど、よく考えて見ると非常に多くの共通点が見つかり、賢治に対してあらためて親近感が湧いてきたところです

今から100年前を生きていた孤高の天才が理想として思い描いていた世界が、いよいよ現実化してくるような時代になったのであるとすれば、その主役は現在生きている私たちということになります

物質主義的な考え方や生き方をあらためて、精神主義的な真に世界がひとつとなりえるような世界づくりを多少なりとも志すのであれば、皆さんは賢治や賢治を支えたトシの魂と連なる魂であるということが言えます

「雨にも負けず」の中に、「一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ」とあるように賢治は菜食主義を実践していましたけれども、肉食というのは霊的な感性をブロックして著しく鈍らせてしまうことになりますので、人との付き合いというものもあってあまり極端なことはお勧めしませんけれども、例えば食生活を変えていくようなことからでも、意識的に風の時代を生きる人間として取り組んでみてもいいのかも知れません

偶然なんですけれども、今年2021年の11月27日は、ちょうど宮澤トシさんの百回忌に当たりますね

賢治の作品は著作権が切れていて青空文庫で自由に読むことができますので、今年はトシさんの百回忌もあるということで、ちょっと意識して賢治の作品に再び触れながら、賢治が理想として思い描いていた社会を参考にしながら、今、風の時代の幕開けにおいてどのような取り組みが我々に可能なのか、について考えて見たいと感じた次第です

 

ということで、久しぶりの占星術絡みの内容の投稿でしたけれども、少々長くなり過ぎましたし、幾つかに分けて書いた方がよい内容をひとまとめにしたため、大変分かりづらいところが多かったかも知れません

何れにしましても、多少なりとも何かのご参考となりましたら幸いです

宮沢賢治の出生図 ~インコンジャンクト・ヨッドを中心に~” に対して1件のコメントがあります。

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