暑さ寒さも彼岸まで ~秋分は一年の始まり~

さて、この頃はすっかり昼夜の生活を逆転させてしまっています。このため活動的なことは何もしておりません。

タイトルには「秋分は一年の始まり」と書きましたが、同様に「日没は一日の始まり」ということも言えるのです。

通常は、人間の現実的な活動を主としているので、逆転している方が正しいと皆さんはお思いのことかと存じます。それは決して間違っているという訳ではありません。

しかし、精神活動を主とした場合にはそうはなりません。人間は肉体のみならず霊的部分を持った存在です。そして、霊的あるいは精神的な活動が主となるのは、通常とは反対の時間帯や時期となるのです。

皆さんにとっての日没の時間帯というのは、こうではないでしょうか。「ああ、やっと一日が終わった。今日も草臥れたなあ。後はのんびり好きなことでもやって過ごしながら疲れを回復させよう」と。つまりは、あなたの人生の中においては、あくまでも昼間の生活活動が中心になっている訳です。その他の時間はあくまでも次の仕事までの待機時間であり、付け足しのようなものに過ぎません。

私自身も同様でしたが、少しでも本来の人間らしい気持ちに切り替えるために、帰宅前に必ず喫茶店などに立ち寄って読書をしたり日記をしたためたりということを心掛けていました。家へ帰ると疲れが出てだらけてしまうことになり勝ちであるからです。

そして、ある時に、人間というのは霊なる部分を中心に生きるべきなのが当然である。であるとしたならば、深夜を頂点とする陰の支配する時間帯を主として考え、日没をもって一日の始まりと考えるのが本当なのではないか。

そう考えて、仕事を終えてからの時間を、本当の一日の始まりであると意識するようにしてみました。すると、一日のはじまりを自分の精神が欲する対象に携わることからとすることができることになります。こうなると自身の精神的なるものが主体となって、自分の人生を生きているという感覚を持ちやすく、新鮮な気持ちを味わうことができるように感じられました。

人間の活動というのは、まず、想いというものがあって、続いてアクションが起きてくるものです。以前の世の中であれば、昼夜の別というものがハッキリしていましたし、昼間の活動だけで精神が疲弊仕切ってしまうようなこともなく、十分な人間らしい生活を送ることができたかも知れません。

しかし、世の中が便利になればなるほど、ありとあらゆる機会を通じて仕事とのつながりができてきます。管理職ともなれば昼夜や曜日を問わず、職場からの連絡が何時あってもおかしくないし、24時間緊張の糸を完全に解す時間というのはなくなってしまいます。

こうなるともう、深い思慮などとは無関係な非常に意味のない表面的な物事の中で、ただひたすら機械的に日々を過ごすだけとなってしまいます。

福岡県の宮地嶽神社では、今でも毎月のついたち詣りや夏越しの大祓神事を深夜から行っています。元旦もそうですが神社の神事というものは、大抵はそのような時間帯を中心に行うものであり、そうした時間帯においては、昼間の活動時の時間帯とは、人間の意識状態が自ずと変質しています。
日没からの時間帯は祈りの時間であり、祈りとはその思念によって好ましい現実を引き寄せる創造的な行為です。心に期するものがなければ、何事も形をなすことはないのです。

占星術では春分図をもって一年の傾向を占いますけれども、起きてくる事象ということに着目するのであればそれでよいのかも知れません。
しかし、世の中は結果として世の中に現れて来たものばかりではなく、形にならなくとも人の心が向いていたもの、願われたものというものも極めて大切である筈です。
目に見える文化や文明というものも、必ずそれは何らかの想いが志したものの結果として表れて来ている筈です。それは一人ひとりの個人の人生であっても同様です。
しかし、現在の社会状況においては、結果にいたる前のものが極めて軽視されているような傾向が、加速度的に強まってきているように思われます。

そこで秋分図に着目して、集合意識の向かう方向性というものを見ていくことも大切なのではないかと思います。
個人の占いでもそうですけれども、何が起きるのか? ということばかりに焦点が当てられるのですが、それ以前にあなたは今何を考え何を行い、その結果としてどのような現象を引き寄せようとしているのか? ということを考えることが最も大切なのではないでしょうか。

自分の足下だけ見て心正しく生きていれば、お天道様が決して悪いようにはしない、というような素朴な信仰心というか信念が、現代人には大きく欠けてしまっているように思われます。
また、動向を見極めて勝ち馬に乗ることばかりを考えることが、いつの間にか当たり前のような風潮になってしまいました。特に政治や官僚やマスコミにそのようなところが非常に目立ちます。

今の世の中には夢見るための時間が圧倒的に足りないのではないかと思います。皆がみんな、世の中をうまく泳ぐことだけを考えていても仕方ありません。今形となって目に見えるものだけにしがみついていてもじり貧になっていくだけです。そこには真に創造的なるものが働く余地がまったくないからです。

今日はとりとめもなく駄文を連ねてしまいましたが、昨日おとといとタロットカードについて触れましたが、今日引いたのは5枚中の5枚ともが大アルカナでした。大アルカナは78枚中の22枚ですので、これが5枚引いたうちのすべてになるのは、確率的には千分の1程度で、毎日引いても3年に1度くらいの確率になりますので、非常に珍しいと思いました。

大アルカナというのは、小アルカナが比較的現実に即した象徴として示されるのに対して、もっと深い無意識や集合意識の象徴として示されます。今は、そのように、極めて非合理的な世界の強い流れを受けている訳で、愚者のカードが連日でメインの位置に示されたことも、自己の生命エネルギーの根源的な部分の力が働いているように感じられます。

そういう訳で、現実的な活動にはまったく意識が向かいません。今はそういう時期だと観念するしかないのです。

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