8月1日 大きな潮の変わり目となるか
もくじ
1.牡牛座19度における経過天王星とノードの合
2.地に縁のある神々の復権
3.神界での出来事と現実界での出来事
4.天体イベントとの相関性
5.おわりに
牡牛座19度における経過天王星とノードの合
わたしが日本の現行社会体制の始原図として用いております東京星図の太陽と金星とが合しているポイントである牡牛座の数えの19度上におきまして、来月8月1日に経過の天王星とノード(ドラゴン・ヘッド)とがコンジャンクションとなります(※ノードの計算方法は真位置に設定)
下図でノードは表示されていませんけれども経過天王星とまったく同位置となります
天王星とノードの合自体は、およそ15年程度の周期で生じるものであり、さほど特別なものではありませんけれども、東京星図の太陽と経過天王星とのコンジャンクションとの関連で、今年から来年にかけて第二次世界大戦勃発時と同様の大きな騒乱が予想されております中で、更にノードも緊密に関わって来るということですので、大いに注目に値するものと感じられるところです
ノードの持つ意味合いに関しましては、わたし自身のノード・リターンに際して過去記事(「ノード・リターンについて~霊的環境の変化~」)にて考察を行いましたけれども、ポイントとしては次のように整理しているところです
●ノードとは霊的環境との接点であり、そこを通じて霊的存在の影響が介在して来て、現実界での様々な物事との「縁」を左右する
●霊的影響が現実界に入り込んでくるポイントとして、東洋の方位学でいうところの「鬼門」と「裏鬼門」とが、それぞれノース・ノードとサウス・ノードに該当するものと考えられる
経過の天王星とノードが合するということは、現実界で現象を惹き起こしている見えない霊的背景からの影響力が切り替わるということになりますので、世の中の大きな流れについて潮目が変わりはじめるポイントとなり得ることになります
しかも、それが生じるのは東京星図の太陽と金星のある位置である訳ですけれども、経過の天王星とノードが合する瞬間のそれぞれの位置は参考までに次のようになっています
東京星図の太陽:牡牛座18.49度
東京星図の金星:牡牛座18.42度
経過の天王星とノード:牡牛座18.68度
これらの合が起きるポイントである牡牛座の数えの19度のサビアン・シンボルというのは次のようなものとなります
(TAURUS 19 °): A NEW CONTINENT RISING OUT OF THE OCEAN.
(牡牛座19度):新大陸が大洋上に見渡せる。
ここに描かれるイメージが新大陸発見時のものであると考えれば、これは危機的な絶望状態から非常に大きな希望の光が俄に差し込んできた状況のように感じられるものであり、危機からの再起・再生というものが暗示されているように感じられます
また、19という数霊との関連で申しますと、タロットの大アルカナの第19番は「太陽」ですけれども、それは正しくそのような再起・再生のシンボルとして考えられていますとともに、この太陽のカードは「父性」を象徴しているカードなのでもあります
東京星図の太陽は本来的には国家元首である天皇を意味するものと個人的には考えていますけれども、それが位置する度数の数霊とサビアン・シンボルにおきましても、太陽神である天照大御神やその男系子孫に当たる天皇というものが、太陽と父性との組み合わせとして端的に示されている、と捉えることが可能である点は非常に興味深いものです
コラム「タロットにおける母性と父性」
タロットの一般的な通俗的解釈においてはほとんど顧みられることはないと思いますけれども、タロットにおける母性・父性には次の二つのタイプのものがあります1.肉体的・物質的次元における母性と父性
これはタロット3番「女帝」と4番「皇帝」の組によって象徴されているものであり、女帝は妊娠と出産という生産力(繁殖力)といった側面における母性性を示し、皇帝は社会的権力につながっていく父権的な要素というものを示しています2.精神的次元における母性と父性
これは18番「月」と19番「太陽」という組において象徴されているものですけれども、精神的次元というのはより根源的なものであり、原型的な父母像と呼び得るものとして考えることができ、月はグレート・マザー(大母)を、そして太陽は老賢者といったイメージで捉えることができますけれども、太陽のカードでは二人の若者が並んで描かれており、一方がもう一方を導こうとしているように描かれており、それは明らかに老賢者的な要素なのですけれども、9番の隠者とは対象に19番では若者として描かれていることは、古くから太陽というのは毎朝蘇って来る再生の象徴であり、その反映としての若返りと感じられます※9番「隠者」というのはこの老賢者そのもののイメージに極めて近いものであることは言うまでもありませんが、8番「正義」においても右手に持つ断罪のための剣というのは、太母的性格のウロボロス的な一側面を表しているものと考えることができます
日本の天皇というのはその存在のはじめから、諸外国の王の性質とは異なり4番の皇帝に表されるような父権的なイメージという要素は薄く、国民の精神的な統合の象徴という側面が強く、それは国民の精神的主柱としての太陽として存在しているということになります
東京星図の太陽を国家元首としての天皇としてもっぱら捉えます場合に、この東京星図の太陽の位置する度数上で経過の天王星とノードとの合が生じることの意味を考えますと、天皇家の霊的背景である日本神界から介入してくる影響力の変化というものの可能性が考えられるということになってきます
そこで日月神示の存在などを考え合わせてみますと、このタイミングで日本神界における神々の主権の交代の影響が現実界にも如実に現れてくるような可能性というものも考えられなくもありませんけれども、それはつまり国常立尊の復権に関わるようなことなのかも知れません
地に縁のある神々の復権
『国常立神も素戔嗚尊命も大国主命も、すべて地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのであるぞ、これが岩戸開きの真相であり、誠(まこと)を知る鍵であるぞ。』(「至恩の巻」第十帖)
日月神示で説かれている内容というのは、ユダヤ民族と日本民族の統合ということにつながる内容が示されている一面があるように感じられますけれども、神示から上に引用しました箇所も「至恩の巻」、つまりエルサレムの古い別称である「シオン」の名が暗示された巻に記されています
古事記や日本書紀などを読みますと、神示に言う地に縁のある神々が如何に虐げられている存在であるかがよく分かりますけれども、素戔嗚尊や大国主神に関しましては、その境遇が非常に不遇なものとして描かれていることにつきまして、予てからずっと違和感を感じていました
素戔嗚尊は本来は天津神であり、この地上の支配を父神である伊弉諾尊から仰せつかった存在でしたけれども、古事記によれば地上世界を治めよと命じられたにも関わらず乱暴狼藉を働いたり母である伊弉冉のいる根の国に行きたいとごねたりした結果、最終的には罰せられた上で高天原を追放されるに至ります
コラム「四海」
伊弉諾尊は素戔嗚尊に海原を治めるようにと命じられましたが、ここに言う海原とは天下のことを指していますが、その辺の消息を学者でもよく分かっていない人が多くいるようです
例えば明治天皇の御製に次のようなものがあります
「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」
ここで出てくる「四海(よもの海)」については、辞書に拠れば次のような意味となります
『(四方の海のうちの意から) 国内。くにじゅう。また、世界。世の中。天下。』(精選版 日本国語大辞典「四海」の解説より)
つまり「海原を知らせ」との命は「天下を治めよ」との意味であり、天照大御神には天上の高天原を知らせと命じられ、素戔嗚尊には天下の地上世界を知らせと命じられたということになります
このことにつきましては、大本教の出口王仁三郎師がその様な解説をされています
高天原から追放されるということは、つまり天津神から国津神へと格下げにされたということなのですけれども、よくよく考えますとこれは大変な一大事であり、素戔嗚尊が天津神のままであったとすれば、大国主神などの子孫神も本来は天津神もしくは天孫という位置づけでもおかしくはなかった筈です
素戔嗚尊はそのような罰に値する行いをしたのだからしょうがないのではないか、というように考えられるかも知れませんけれども、出口王仁三郎によれば実際に神界で起きていた事実というのは大分異なるようです
王仁三郎の解説によれば、伊弉諾尊に天の下を知らしめせと命じられた素戔嗚尊は、その命を固く守って天下を治めようとされたのですけれども、肝心の地上の八百万の神々が、高天原の天照大御神にすっかり魅了されて心を奪われてしまい、素戔嗚尊の命令については一切耳を貸そうとしなかったために、嘆きつつ散々心を砕いた挙げ句にまったく成果を上げられずに、素戔嗚尊も終いには疲れ果ててしまったのだということです
素戔嗚尊は記紀においては乱暴を働く悪神としての一面を持つ神として描かれていますけれども、王仁三郎によれば素戔嗚尊は外見こそ猛々しく荒々しく見えるけれども、その御心は温和しく優しく女性のようであり、女性としての魂を持っていて、これを瑞の霊(みずのみたま)と言い、仏教で言うところの変成女子(へんじょうじょし)に当たりますけれども、記紀の中でも素戔嗚尊は女子供のように嘆き悲しんで駄々をこねるシーンが描かれていますのは、極めて優しい女性的な本質を持っていることの表れであるということになります
地上の八百万の国津神というのは我々人類の祖先神となりますけれども、この国津神達が高天原へ上ろうと考えるのであれば、地上においてあらゆる罪穢れを祓い清めた上で、素戔嗚尊の取り次ぎによってはじめてそうしたことは可能となるのですけれども、八百万の国津神達はそのような面倒くさいことは取っ払って無考えに高天原への強い憧れだけを抱いてしまったようです
そして、素戔嗚尊は我々の祖先である八百万の国津神が、自らは贖おうとしなかった天津罪国津罪のすべてを一身に引き受けなされて、身代わりとして髭を抜かれ手足の爪を抜かれて葦原中国に追いやられる結果となりました
その追放の様子については記紀に描かれてあるとおりですけれども、事実と異なりますのは、素戔嗚尊が自分で冒した罪の結果としてそのような目に遭ったのではなく、言うことを聞かずに自分たちの天津罪国津罪を贖おうとしなかった八百万の神々の罪穢れの一切を、自分一人の責任として引き受けた結果として起きたことであるということになります
国常立尊につきましては、記紀にはその御名が登場するだけですけれども、大本教では次のように伝えられています
艮の金神
古くから伝えられる牛頭天皇に滅ぼされたとされる巨旦(コタン)大王とは〝艮の金神〟を指します。〝艮の金神〟は、全大宇宙の創造主・唯一絶対神である大国常立大神(天御中主大神)のご分霊で、国祖として知られる国常立尊です。古典では国之常立神(「古事記」)、国常立尊(「日本書記」)と呼ばれています。
国常立尊は、大地を形成したのち世界を厳格に統治し、万有和楽の世界を建設されました。ところが、時間が経つにつれて多くの神人は、国常立尊の善一筋の厳格な統治に耐え切れず、わがまま勝手な気風を強め、怠惰の濁流に飲み込まれてゆきました。
その結果、天地に邪気が発生し、それらが凝り固まり、悪霊、邪霊が生まれ、多くの神人はそれらに憑依されました。国常立尊の神威を恐れた多くの神人は、さまざまな悪計をめぐらし、国常立尊を幾千万年にわたる永い歳月、地球の艮(東北)にあたる日本の地に押し込めてしまいました。
厄病神、鬼神、たたり神、として忌避されてきた〝艮の金神〟の名称は、このことに由来する俗称です。
「宗教法人大本」の地方機関である大本東海教区ホームページより引用
つまり素戔嗚尊の身に起きた出来事というのは、内容的にはほとんどこの国常立尊の身に起きた出来事がオーバーラップして生じているものであり、それは素戔嗚尊の子孫神である大国主神においても引き継がれています
国津神の主祭神である大国主神は、兄弟神達によって散々にいじめ抜かれながらも大変な苦労の末にこの葦原中国の国作りを成し遂げました
そして、折角苦労をして国作りを成し遂げたものの、結局は天津神に国を譲るように要請されて国譲りをし、隠居をさせられる羽目に陥ってしまいました
以上のように、地に縁のある神々というのはすべて、この地上における本来の主祭神という立ち位置でありながらも、散々苦労して国作りをした挙げ句に国を譲り渡す羽目に陥ったり(大国主神)、国津神が言うことを聞かなかったとばっちりで全人類の罪を背負って地上世界に追放されて贖罪神となったり(素戔嗚尊)、悪霊に憑依された神々の謀反によって艮の地に追い込まれて封じ込められたり(国常立尊)、というように非常に似通った形で不遇な境遇に陥っています
国常立尊というのはこの地球を作った地球の主祭神であり、素戔嗚尊は本来の地上の主祭神であり、大国主神は国津神の中の主祭神であるにも関わらず、皆苦労ばかり強いられた結果、追放されて追いやられる憂き目に遭っているのです
何故このような話に少し踏み込んで書いているのかと言いますと、艮の金神こと国常立尊が押し込められた艮の北東の方角というのは、方位学でいうところの鬼門に当たります
そして、わたしはノードは鬼門だと以前から考えていましたので、国常立尊=艮の金神=鬼門の神=ノードの神、ということが言い得ることになります
わたしは今回の記事を書いていて、最初に国常立尊に触れました際には、まだそのことをハッキリと気づいていなかったのですけれども、何となく感覚的にふっと湧いたことを書き進めていきますと、結局はその内容が今回の牡牛座19度で合する天王星とノードの話に直接につながってくることになっていた訳です
ノードと国常立尊との直接的な結びつきに気がつく以前に、既に「国常立尊の復権」の可能性について触れていましたので、霊的直感のセンサーは正しく働いているのだと思いますので、今回書いている内容もそう大きく的外れという訳ではないだろうと感じられます
そもそも一昨年前に、世の中がコロナ禍に突入しました際に、わたしは今回の未曾有の混乱から世の中を立て直すには、この葦原中国の国作りをした国津神の力が絶対に必要であると感じたので、近所の素戔嗚尊と大国主神、少名毘古那神が祀られている神社や大国主神の和魂である大物主神の祀られている神社などに足を向けることが多かったのですけれども、その当時は特に日月神示の内容については念頭にはありませんでした
神界での出来事と現実界での出来事
神界では既に事が済んでいて、地に縁のある神々が復権されているのですけれども、地上世界ではこれから大峠を迎えることになり、素戔嗚尊らが我々に代わって担ってくれていた我々自身の罪穢れを、我々自身で禊がなければならない時代となっています
これと同様のことはシュタイナーによっても語られており、天界では1841~79年の間に大天使ミカエルとアーリマン(サタン)との戦いがあり、最終的にはミカエルがアーリマンを地上に叩き落とす形で決着がつきました
このミカエルとアーリマンが戦っていた期間というのは、日本ではちょうど幕末から明治維新に至る期間に当たりますけれども、奇しくも幕末三大新宗教と言われる黒住教(1814)、天理教(1838)、金光教(1859)などが次々と成立した時期に極めて近く、またその一連の流れの先にある大本教の開教も1892年ですので、神界における地に縁のある神々の復権という出来事と、天界でミカエルがアーリマンと戦い勝利した出来事と言いますのは、相互に非常に密接した出来事であったのだろうと推測することができます
ちなみに、大本教の根本経典である『大本神諭』には、『天理、金光、黒住、妙霊先走り、とどめに艮の金神現れて、世の立替えを致すぞよ』と書かれてあり、幕末からの新宗教の流れが実質的にはひとつのつながった流れであるものと見做されています
現在は地上に落とされたアーリマンによって人々が浸透され、世の中は極めて唯物的な方向に進んでおり、それによって地上世界を支配しようと目論むアーリマンと、それに対抗する我々人類との戦いが展開されているところです
ミカエル、オリフィエル、アナエル、ザカリエル、ラファエル、サマエル、ガブリエルの7大天使によって、およそ300年位ずつをそのうちの何れかの大天使が、時代霊という存在となって人類を導いていますけれども、現在を含む1879~2300年の間はミカエルが時代霊となって人類を導いています
ですので、2300年を迎えるまでには人類とアーリマンとの戦いにも決着がつくのであろうと考えられますし、日月神示で言う三千世界の大洗濯や大峠と言われる天変地異を伴う大変動につきましても、それまでの間に訪れることになるのは間違いないと個人的には考えています
三千世界の大洗濯と大峠
※Wikipediaの「日月神示」より引用
上記した予兆の後に起こるとされる地球上での大変動や大戦乱についての記述は神示の中にいくつか見られるが、戦乱については多くの国がひとつになって日本に攻めて来るのだという。また、時を同じくして人類が未だかつて経験したことが無い程の大変動が起こるのだと書記されている。
「富士の巻」第三帖で
「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」と書記されアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシアなどの国の軍隊が日本に攻めて来るらしいことが述べられている。
また、地球上での大変動については
「地つちの軸(地軸)動くぞ。またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」(磐戸(一八十)の巻第五帖。下つ巻第二十八帖)
「一日のひのまにも(日の間にも)天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ。」(天つ巻第三帖)
「天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度にゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。」(天つ巻第二十九帖)
と述べられており、わずかな時間の間にも地軸が動き、地球という惑星自体が引繰り返るような大変動、大騒動が起こるのだという。
さらには、大戦乱や地球の大変動だけにとどまらず、次のようなことも起こるという。
「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」(磐戸(一八十)の巻第七帖)
とあり、本当の怖さは人間の戦争や天災、また、肉体などではなくタマ(魂)の災禍の怖さなのだという。同様に次のように書記されている帖もある。
「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」(富士の巻第七帖)
と書記され本当の怖さは魂のそれだとここでも述べられている。
なお、神示の中で書記されている天変地異については、具体的には、次のような災いが起こるとされる。
- 世界中が唸り、陸が海となるところや、海が陸になるところもあるという。(上つ巻第三帖)、(地つ巻第十六帖)
- 大地震、火の雨降らしての大洗濯になるという。(紫金之巻第五帖)
- 火と水の災難がいかに恐ろしいかを大なり小なり知らされることになるという。(富士の巻第十九帖)
- 一時は天も地も一つにまぜまぜになるという。(富士の巻第十九帖)
- 天地がうなり、上下引っくり返るという。(上つ巻第二十七帖)
- 大風が起こり、大海原には竜巻が発生し、やがて火の雨と地震が、山は火を噴きどよめくという。(富士の巻第二十四帖)
- 富士山がいよいよ動くのだという。(上つ巻第二十一帖)
- 大地も転位、天も転位するという。(五葉之巻第十五帖)
もし日月神示に書かれてあるようなことが実際に起きて来るのだとすれば、恐らく人類の8割方は死んでしまうようなことになるのだろうと考えられますけれども、一方で、それくらいの規模の事象でも起きない限りは、現在の非常に大きく間違っている文明の方向性がまともな方向に変わっていくことも非常に困難であろうとも感じられることろです
天体イベントとの相関性
三千世界の大洗濯といったようなことが、今年や来年にいきなり生じて来るとは考えていませんけれども、東京星図の太陽に対する経過天王星の合にノードも関係してくるということで、おそらくは今年から来年にかけて天皇家の在り方というものに、何かしらの大きな変化が表れてくる兆候というものが出てくるのではないかというようには感じられるところです
現在の日本政府は、何が何でも日本を戦争に引き摺り込み、そして日本を戦場と化し、日本人の人口を大幅に削減した上で、諸外国による日本の分割統治ということを可能とするような状況を作り出そうとしていることが、今や誰の目から見ても明らかな状況となって来ています
今度の参院選後に憲法が改悪され、そのような状況に向けた動きに拍車が掛かっていくことになることは間違いない情勢にありますけれども、そうした中で天皇家がまったく何の意思表示もなされないということも考え難いところです
そして、今年から来年にかけて、日本政府による日本人に対する迫害が一層手酷くなっていく状況の中で、我々日本人が向かっていくべき方向性というものが、次第に明らかとなってくるのではないかと感じられるところですけれども、何らかのサインが天皇家から示されることがその切っ掛けとなるのかも知れません
現在世界は西側諸国とそれに対抗するロシアと中国、それからその他の意識的に中立的な立場をとる国々という形の三極化が明瞭になってきています
この第三の勢力が今後どのようなスタンスで西側諸国が強力に推し進めようとしている世界統一秩序(NWO:New World Order)の流れに対して臨んでくるのかが非常に鍵となって来るように感じられ、西側諸国は基本的にはこれまで歴史の中で繰り返して来たのと同じやり口で世界の覇権を維持・強化しようとしていますけれども、おそらくユダヤ金融資本のこれまでのやり口が、この第三勢力には通じないということが次第に明確になって来るのではないかと感じられます
対立を深めている西側諸国とロシア中国というのは、共に世界の覇権を取ることをひとつの大きな目標としていると考えられますけれども、そのような覇権主義にはとらわれない第三の勢力というのが存在感を増してくれば、覇権主義的な国の在り方も根本から変わって行かざるを得ないことになっていくのではないかというように感じています
おわりに
ノードが絡んでいるだけに、話が随分オカルティックな方向に進んでしまいましたけれども、既に大分長くなって来ましたのでそろそろ一旦お終いにしたいと思います
何れにしましても、我々の祖先と我々のせいで散々ご苦労をなされた挙げ句に不遇をかこっていた地に縁のある神々の力がこの地上世界においても復権してくるのであれば、我々が本来負うべき罪穢れの禊ぎ払いが一斉に為されることになりますので、大きな災害が起きてくるようなことは避けようのない必然的な出来事になるのだろうと考えられます
そして、その際の災いを少しでも大難を小難に祀りかえさせようとの天意で、前もって神示などが下ろされるなどして、それぞれが自分の魂を磨いて身の穢れを祓うよう促されている訳であり、それは特段難しいことでもなく、何か特別なことをする必要があるという訳のものでもありません
天の願いといいますのは、偏に人間に自分の身魂を磨いて欲しいということだけであり、そのやり方については日月神示にも色々方法など書いてありますし、神示を読んでいるだけでも身魂は磨かれると記されてあります
また仏教的な八正道の実践でも、シュタイナー的に神秘道を歩むのでも、方法は何でも構わないでしょう
時代状況がどのようであろうとも、人類の普遍的な課題は魂の向上にありますとともに、特に現在のような時代状況におきましては、益々そのような方向性へ向かっていくことが、風の時代に生きる我々には求められているところでありますので、次回以降でそうした内容にも触れていきたいと思うところです
本日も最後までお読みいただき有り難うございました