乙女座24度で合したプログレスの月とMc

先月末に四半世紀勤めた職場を退職してまったくのフリーとなった時から数日以内の配置として、月に関する二つの特徴的な配置が見られました。

一つは、乙女座24度で合したプログレスの月とMc、そしてもう一つは、天秤座24度で合したトランジットの木星とネイタルの月です。

最近この二つを検証していて、つくづく興味深く思えたので、ここで順番に掘り下げて見たいと思います。

まずはプログレスの方ですが、プログレスでMcと月が合するのは、大体30年に一度のことになります。今回の合が生じたサビアンは乙女座の24度です。

(VIRGO 24 °): MARY AND HER LITTLE LAMB.
(私訳):メアリーと彼女の愛しい子羊。

乙女座自体が淑女を連想させるサインですが、乙女座は処女宮とも呼ばれ、VIRGOとはVIRGINの語源であり、VIRGINとはVIRGIN MARY、すなわち聖母マリアのことでもあります。

メアリーはそのまま聖母マリアを指しますし、イエス・キリストは「神の子羊」として譬えられますので、「メリーさんの子羊」として知られるアメリカの民謡が、この乙女座24度のサビアンシンボルとしてイメージされたことの意味合いには、大変深いものがあるのではないかと思われます。

24という数字は、これもまた極めて受容的な数字といってよいかと考えます。女性らしさを表す乙女座の中でも特に女性性のある部分を特徴的に示すものと言えるかも知れません。

24というと、ほぼ地球が自転をする周期に合致します。陰のサイクルの12時間と陽のサイクルの12時間を合わせて24時間です。
これは生命にとってもっとも身近なサイクルであり、生き物はまず、この一番小さいサイクルに基づいて生命を育んでいるものと考えられます。

また、金は24分率で表され、24金とは純金を表すことから、ここでは完全性の意味合いにプラスしてまじりっけのない純粋性というものも象徴されているように思われます。

混じりっけのない純粋なものであり生命の基礎に欠くことのできないものというのが、聖母マリアとして、また、その子なるイエスとして示されているのではないでしょうか。母子は陽のサイクルと陰のサイクル双方の象徴であると言ってもよいでしょう。

乙女座というのは、実務的能力を究めるサインでもありますが、女性性が生み出すことのできるものの最高度のものとして、母子というものが表されていると考えることができます。

と言いましても、聖母マリアはあくまでも処女受胎ですから、これは母となりうるポテンシャリティを意味しているだけです。これを実際に子を産むとか現実的な母親という次元で捉えてはいけません。もっと普遍的な母性というものが示されています。

さて、そのように極めて受容性が高く、もっとも高度で純粋な形のものを身に宿し、産みなすことができる可能性というものを示す度数で、進行の月とMcが合しました。

合そのものの意味合いから言えば、自分は自分の社会的ポジションに関しては、自らの欲する感情のままにしたい、ということになるでしょう。
そのことが聖母マリアによって保護され祝福されているのだと考えることもできます。
何かしら非常に純粋で気高いような気分に従って、自分の心の向くままに選択を志す、というように読んでみることにしました。

 

続きまして、次は乙女座の一つ先のサインである天秤座の、そして同じく24度で同時期的に起きた、経過の木星と出生の月との合についてです。この配置はおおよそ12年に一度起きることになります。

(LIBRA 24 °): A BUTTERFLY WITH A THIRD WING ON ITS LEFT SIDE.
(私訳):左側に第三の羽を持った蝶。

天秤座は正しく天秤のことです。物事を客観視してバランスを取ることです。
左側のというのは霊的なという意味合いですので、上の訳は「霊的な羽を持ち合わせる蝶」とすることも可能かも知れません。

天秤座の高度なバランス感覚が、ここでは霊的なレベルで働くのです。蝶自体が極めて霊的な存在の象徴性を持っていることを考えれば、通常ではありえないレベルで繊細な感覚が働くことになります。24度が示す高度で純粋で受動的なものを表す形でバランス感覚が機能するのです。

例えば、日常生活の中におきましても、ほとんどの人が気にならないレベルでの小さな歪みやズレといったものが、気になってしまって仕方がないということになります。他人の感情の乱れなどには極めて敏感で、相手の心理状態をほぼダイレクトに感じ取ってしまうことになります。

木星がそうした月に保護を与えてくれています。むしろ、その部分を長所として伸ばしていくようにと促しているのです。そのためにはやはり、たくさんの人と関わらなければならない組織に属していることは、やはり難しいことになるのではないかと感じます。

 

今日見てきた上の二つの事柄からは、今後の自分の指針として、次のようなことが言えるでしょう。

自らの内にある気高い純粋な意識に従いながら、最高度に繊細なバランス感覚を活かしていく形で生きていくこと。

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