健康と歩き方2 身体の重心の狂いが人生に及ぼす悪影響

昨日は、裸足で松林を歩いていて、自分の歩く際の着地の仕方がおかしくなっていることに気づいたということについて書きました。

今日も歩く際の重心を意識して過ごしたのですが、そのことは健康や人生そのものに多大なる影響を与え兼ねない事柄であると考えられることから、続けて書いてみたいと思います。

まず、歩く際の正しい着地の仕方ですけれども、一般にはあまり使われない言葉ですが「中足(ちゅうそく)」部分に重心の中心をおくようにすることが最も大切ではないかとわたしは考えます。
体重移動はなるべくすり足に近いものとして、この中足部分で常に体重の主なる部分を支える格好が正しいと考えます。

中足というのは、足の指の付け根の辺りで、中足骨というのがそこから足首の方に伸びて、足の甲の主要部分を占める格好になっています。空手において前蹴りや三日月蹴りをするときは、中足で蹴るという言い方をします。

わたしは若い時分に武道の嗜みがあったことに加えまして、能についても謡ばかりでなく仕舞にも何年も熱心に打ち込んだ時期がありました。
ですから、日本人の本来的な姿勢や足運びというものはすっかり身についていたのです。それなのに、このたった数年間のうちで知らぬ間に大きくそれを損ねてしまっていたようなのです。

その要因として最も影響が強かったと思われますのは、新築マンションに住み始め、階下に対する配慮として、極力音を立てないように歩くよう心がけていたことが、もっとも災いしていたようだ、と思い当たりました。

なるべくフカフカのスリッパを履いて、そのクッションを最大限に利用して踵から極力音を立てないように歩くようにし、そうして不必要に神経を使いすぎた結果として、とんでもない副作用を得てしまったもののようです。

何のことはなく、中足を意識して歩いていればフローリングでも足音など立たず、別段スリッパなど用いる必要などありません。
むしろスリッパを用いて中足で歩こうとすると、かえってパタパタと音が出てしまうのです。それで音が出ないように踵からスリッパのクッションを利用する形の歩き方をするようになり、体の重心位置が完全に狂ってきてしまったということのようです。

人間の重心というのは、臍下丹田の一点に上半身の重心が集まり、それが中足部分にまっすぐに降りるようにすると、どのような動きをしてもこの2点の間で重心位置のブレが発生せず、前後左右をはじめとするあらゆる体重移動が円滑にでき、危なげなく機敏に、もっとも無駄のない動きをすることができます。

これがそのようになっていない場合には、体重が動作の度にあちこちに分散してしまい、脚を中心として身体の様々な部位に不要な負荷を与えることになり、終いにはそれぞれの部位にストレスが蓄積した結果、故障を来すことになるのではないかと考えられます。

そう言えば一昨年、左ひざに偽痛風(ぎつうふう)という物凄い炎症を患い、2,3日は室内でトイレで用を足すにも支障が出るようなことがあり、何週間かは生活に杖が必要な状態になりましたけれども、今考えてみれば、上記のことが影響していたであろうことは明らかであるように感じられます。

日本人は畳で正座をし、草履や下駄で道を歩いていた際には、考えずともこのような重心が自然に保たれていたと考えられます。
したがって、坐禅の座り方などには細かい先人による注釈がたくさんありますけれども、殊更に歩行時や立っている時の重心の位置の肝要な事柄については、言及する必要性がなく、それに関する訓戒がなかったということがあるのかも知れません。

けれども、現代の日本人の生活スタイルを考えれば、そのことはどんな養生法に先立って注意を促されなければならない重要事項のように思われます。
それは人生の勢いをも大きく左右することとなる、非常に大切な心掛けとなると考えられるからです。

何故なら、臍下丹田に重心が収まらないということは、肉体的なバランスだけではなく、精神的なエネルギーについても、焦点を結ぶことができずに力を分散させ勝ちになってしまうことが明らかであると感じられるからです。

昔の日本人は腹で考えたというように言いますけれども、臍下丹田には人間の生命エネルギーであるを集中させるべき力点が存在しており、人間が霊的存在として精神力で物事を思慮するためには、無意識に臍下に意識が向けられていることが必須であると感じられます。
そうでないと、単に頭脳を働かせた知性による浅はかな知恵しか得られない、ということになるのでしょう。

全身全霊という言葉がありますけれども、全身全霊の力というのは、人間の霊と肉体を統合的に一如となすのでなければ決して発揮することができません。
そのような意味で、間違った歩き方の矯正というのは、生命エネルギーを無駄に費やさずに、正しい目標から意識を逸らせることなく、生き甲斐を感じる生き方をするということに、ダイレクトに通じていることであろうことは間違いないのではないか、と思われます。

しかしながら、完全に身についていた筈の習慣が悪習に堕してしまうのは、実に呆気なくあっという間のことである、ということへの脅威を感じずにはいられません。
しかも、健康や運勢にとって良かれと思っていそしんだ結果、健康を損ない人生の質が著しく劣化してしまうということは、商業主義的な見地からネットや書籍を通じて世の中に撒き散らされている、いい加減で適当な誤った情報に溢れている現在、大いに生じがちなことであることに注意を怠ってはならないものと考えられます。

現在普段履きしているスニーカーは、非常にクッション性の良いもので、悪い歩き方を助長する恐れが多分にあることから、まずは靴を変えることも大切と考えられますけれども、正しい重心を臍下丹田に収めていることの必要性は、むしろ屋内生活を営む時にあることを考えれば、常にそのことを心掛けることを励行してゆきたいと思います。

 

健康と歩き方 正しい歩き方の嘘

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