高良大社 平成の大修理奉祝祭へ

五月晴れの昨日、筑後國一の宮である高良大社の平成の大修理を祝う奉祝祭へ行って参りました

以前、大修理のための寄付をしていたので、そのお礼として新しく普請された拝殿の中でご祈祷を受けさせていただけるとのことで行ってきたものです

 

宗像大社に次いで高良大社の社殿も立派に蘇り、心より嬉しく感じるところです

千数百年の間、日本人が心の拠り所とし、変わらずに掃き清め崇め続けてきた聖地を後世に引き継ぐための、本当にささやかな助力に過ぎませんけれども、日本にとって大切な文化を次の世代のために繋いでいくことを考えるのは、今生きている者の務めであると改めて感じた次第です

 

今日は打って変わった天気となりましたが、五月晴れの昨日は普段に増して境内からの筑後平野の見通しも大変良かったです

未だ収入を得る手付きももままならず、外出らしい外出というのは本当に久しぶりのことでした

しかし、実入りがないとはいっても家に籠もりっぱなしではやはり精神的なコンディションが優れなくなるばかりでしたので、昨日は思い切って久留米から佐賀の神崎、それから熊の川温泉に浸かって三ツ瀬のトンネルを抜けて帰るという、以前の週末によく過ごしていた休日のパターンでドライブを楽しんだところです

 

 

 

 

 

 

実を言いますと4月以降は季節の変わり目と言うこともありますけれども、収入を得るためのPC上での作業の影響で自律神経の不調がひどく、先週からはこのまま行くと鬱にもなりかねないような有り様で、唯一の楽しみであるブログ更新も覚束なくなっていた次第です

しかしながら人間というのは一朝一夕で成長するものでもないし、気長な目で自分の成長を励ましてやるような気持ちがないと、あらゆる事柄についても自分を萎縮させるばかりで、一向に成長させるということができなくなってしまいます

何があっても平和で穏やかな心というのを損なってはならない一方で、のんびりと遊惰安逸にしてばかりいる訳にもいかず、やはり向上心というものも必要であり、その硬軟のバランスを如何に上手に保っていくかということが人間を成長させていく上での鍵なのだと感じます

今までは組織の中で半ば機械的にある程度の効率で役割をこなしてさえいれば十分な手当が得られていた訳ですけれども、今こうして自由の身になってはじめて、人間とは何であるのか、自分自身を成長させていくにはどうしたらよいのかということに、真剣に向き合う必要性が感じられてきました

今から考えれば、サラリーマン時代にも信仰心や精神世界に関する探求心は人一倍持っていたと思いますけれども、それらは単なる気休め的に求められたものでしかなかったとつくづく感じられるところです

人間というのは楽をしてそれで食えてしまえば、それですっかり安心してしまい、後はストレスの発散を兼ねてどうでもよい詰まらない欲の追究に心を向かわせるばかりでほとんど終わってしまうというのが、自分のような凡夫の常なのだな、と改めて実感させられているところです

高良大社へ行って気分も大いに変わりましたので、焦らず、さりとて決して気を緩めることなく、日々精進をしたいと思います

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