白露 乙女座16度

今日は日付が変わってすぐに24節気の「白露」に入りましたね

乙女座もあっという間に折り返し地点に来ていました 早いものです、、、

季節は台風が何個か通過するうちに、夏の名残りを惜しんでいる間もなく、いよいよ秋めいて来た模様です

乙女座が半分のところまで来たということは、あと半月過ぎれば次の天秤座にイングレスと同時に「秋分」を迎えるという訳ですから、当たり前と言えば当たり前の経過と言えるでしょう

さて、8月下旬に乙女座に入ってからというもの、わたし的には精神の力の蘇りが顕著に感じられるようになりました

こうしてまんべんなくサインについての考察をしていますと、各サインの特性に親しみを覚えるようになりますので、ある意味では苦手なサインというものがなくなってきて、各季節それぞれに相応しい過ごし方で各サインの特性が活かせるような、自然法則に順応した生活ができるようになると感じます

とは言いますものの、水瓶座生まれの自分にとって、やはり一番遠い対極にある獅子座の時節辺りは、自分の本来性というのが発揮できませんので、以前のように辛いとまでは感じないまでも、中々本領が発揮できずに不甲斐なさを覚え勝ちになります

出生太陽のあるサインと言いますのは、やはり自分の生命エネルギーの特質に密接な関わりを持っていると感じられ、私の場合は一年で最も寒い「大寒」直後の生まれですので、寒さが増すほどにふつふつと内から湧き起こる生命力を感じますけれども、反面暑さの中では思考機能がほとんど機能させられません

一般的に生命力と言いますと肉体的レベルのものがイメージされるかも知れませんけれども、水瓶座生まれの自分にとっては精神力というものがすべての原動力になっていて、思考能力の強さ=生命力の強さ、として感じられます

さて、本題に戻って乙女座の16度のサビアン・シンボル(ルディア版)について見てみることにしましょう

(VIRGO 16 °): IN THE ZOO, CHILDREN ARE BROUGHT FACE TO FACE WITH AN ORANG-UTANG.
(私訳):動物園で、オランウータンと差し向かいにされる子どもたち。

乙女座16度と言いますと、わたしのネイタルの冥王星がちょうどこの位置にあります

16度というのは、30度のサインを前半で後半に分けた場合の後半の最初の度数となります

30度のサインは10度ずつ、5度ずつというように様々な形で分割して意味を与えることができるのですけれども、最も単純には15度ずつの2分割で考える考え方になるでしょう

ものごとは細分化して個々の細部の特性に視点を移すことで、よりミクロで狭い視野の物事を捉えることができますけれども、その反面としてダイナミックさからは遠ざかってしまうことになります

サインを2分割で考えるということは、前半の上昇局面と後半の下降局面の間にある落差が顕著に意識されることになり、それがもっとも顕れるのが後半の最初の度数であるこの16度ということになります

前半では、そのサインが持つ特性が極大的に発揮されることが第一目標とされるでしょうし、後半では一転して自己内部に思い描かれる理想ばかりではなく、現実的な着地点が意識され、サイン特性の応用的な局面へと移行するのではないかということが大まかには言えるでしょう

16という数霊はタロットの大アルカナでは第16番で一般的には「塔」、より古い体系であるマルセイユ版のカモワンタロットでは「神の家」と呼ばれるものです

前者ではネガティブさの極大面が、後者においてはポジティブさの極大面が暗示されるということで、メインの読み方は正反対になるのですけれども、強く大きな衝撃があり、突発的に物事が変化する、という点では変わりがありません

各サインの16度におきましても、何らかの強いショックを経験したり、大きな突然の気付きがもたらされる、という点では極めて通じている側面があると感じられます

「動物園で、オランウータンと差し向かいにされる子どもたち」というシンボル・イメージにおいても、それまで気づくことのできなかったものに対するはっとするような大きな気付き、というものが暗示されていると感じられます

これはネガティブにもポジティブにも捉え得る内容であり、悪魔的なものというのも神的なものというものも共に、我々人間の顕在意識的な自我からは、すこぶる超越的で一種の凄まじさを帯びたものとして感じられ、強いショックがもたらされます

その衝撃によって自我の一部が損壊し、そこに超越的なエネルギーが新たに注入される、ということになるのではないかと考えられます

乙女座は地のサインですので、現実的な物事においてそうした変化がもたらされるのですけれども、これは夏が一過の台風で俄に秋に様変わりするようなドラスティックな季節的変化とも相通じる部分があるでしょう

乙女座と正反する魚座の16度はと言いますと、「(私訳):クリエイティブな人が探求の静けさの中でインスピレーションのほのめきを体験する」ということで、こちらは魚座らしい心霊的な深層意識レベルにおいて、一種のショックを伴う体験がもたらされている、ということになります

「動物園で、オランウータンと差し向かいにされる子どもたち」というイメージで暗示されるものは広範に想定しえますけれども、乙女座が個の現実社会への適応の準備を完成させる段階を示すサインであると捉えた場合に、どのように解釈できるでしょうか

「現実直視」すなわちまざまざと現実そのものを直視する姿勢の必要性、というものがひとつ浮かび上がってきました

人は通常、ありのままの現実というものをほとんど直視せず、何らかのフィルター越しに自分として許容できる世界観を上書きした擬似的な現実を現実として見ています

それはそうしないと簡単に崩壊してしまう程、自我機構というものは危うい脆さをもっているものであり、現実の世界から内側の世界を守るためには虚構のフィルターを常にかませている必要があるということでしょう

恋愛中はあばたもえくぼに見えるといいますけれども、多かれ少なかれ似たようなことを常に人間はしており、何らかの意味で物事を希望的観測に近づける形でねじ曲げながら見ているのだ、ということになります

人間という存在から一切の希望観測的な幻影を取り去ったとき、そこには一匹のオランウータンが見えてくる、というのはひとつのシビアな現実であると考えられます

普段これが自分だと思っている自己イメージに対して、一切の虚飾を取り去ってシビアに自分自身を見つめ直したときに、極めて味気なくちっぽけに感じられる自分が見えてくる、というようなことです

しかし、そのような徹底した現実直視の姿勢の上に、はじめて人は自分自身を乗り越えることができるということがあります

乙女座はある意味では現実世界における自己超克を目指すサインでもあり、人為的努力の上にはじめて築き上げられる後天的な自己を完成させる段階にあるとも言えるのではないかと感じられます

自分という人間が「何ものかになる」という過程ということなのですけれども、そこにおいてこの「徹底した現実直視」という姿勢は決して避けてはならないものとなります

安易に現実から目を背けて物事に妥協してしまう習慣を脱することができない人間には、いっぱしのエキスパートとしての「何ものかになる」ということは不可能である、ということです

夏の間は外側にばかり向けられていた意識を、この辺でぐっと内面の方に引き戻す必要があるかも知れません

半月後の「秋分」からは、いよいよ陰が主体となる半年間のはじまりですので、そろそろ心の準備が必要ということです

では、よい季節をお過ごし下さい

 

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