屏風山鎮国寺

昨日は亡母の8度目の命日でしたので、宗像にある屏風山鎮国寺へとお参りさせていただきました。

空海が唐からの帰朝後に建立された真言宗最古のお寺とも言われており、奥の院には、空海が実際に修行をして不動明王を感得された岩窟が残されています。

大変由緒がある割には、神社仏閣好きな方でも意外に、奥の院の存在については知らない人が多かったりするようですが、実は自分もはじめて知ったのは、通うようになってから一年以上過ぎて以降のことでした。

奥の院への道は、きちんと階段が整備されているものの、ちょっとした山道を少し登ります。その道すがら、多くのアカテガニがワサワサと歩いていて、自然の深さを感じさせます。

ここは空海が鎮護国家の根本道場として建立されましたが、そのご本堂にはあの宗像大社の三女神の本地仏として大日如来、釈迦如来、薬師如来が祀られており、親しく拝ませていただくことができます。

そのような立派な古刹で、一介の故人の冥福を祈らせていただくのは、非常に勿体ないような気持ちにもなるものですが、一人ひとりの心の平穏さや家の平安さがあってこそ、社会や国家も安泰であると言えるのですから、我がことや身内のことを祈るにしても、それはおざなりであってはならないものと言えるでしょう。

一人ひとりがいただいた命に感謝をして、命を尊ぶ姿勢があってこそ、世の中のしっかりとした基盤が整うというものではないかと思います。

しかしながら今のように、人間性というものについて根本的なところを忘れ去ってしまったかのような世の中では、遠い先の将来は覚束ないのではないかと危惧されるところです。

GDPやGNPも大切ではあるでしょう。また、日々の暮らしの安定や豊かさも必要ではあるでしょう。しかし人というのは、豊かさや安定のために生まれてきたという訳では決してなく、時には降りかかる国難に際して、勇気と信念を持って立ち向かうようなことも、長い歴史の中では必ず必要になってくるものではないかと思います。

そのような時こそ、空海がこの地にて感得された不動明王に、あやからなければならないことになるのでしょう。

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