重陽の節句~9月9日~
日付も変わって、今日は9月9日となりました。
五節句の最後を締めくくる重陽の節句、またの名を菊の節句と言います。
九州の皆さんは、あの長崎くんちや唐津くんち、そして博多くんちの語源が、この重陽の節句の9月9日、つまりお9日(おくんち)であったことをご存知でしょうか。
確か漢字表記ですと、「御供日」と書かれている方をよく目にすると思いますが、この「供日」がなまって「くんち」という説もあることはあるようですが、もっぱら9日説が有力なのだそうです。
菊の節句であるというのは、陰暦のこの頃、すなわち現在の10月中盤が菊の花が盛りとなる時期だからですが、「重陽」というのは一体どのような意味かお分かりでしょうか?
西洋の神秘主義でも同様なのですけれども、東洋においても、この「9」という数字を、一桁の数字の中で最大を表す数字であるという点で、非常に重要なものとして考えて来たのです。
そして、この9が二つ重なるので、陽の極まりとしての9が重なったよ、ということで、「重陽」ということを目出度いなと祝う訳です。
9というのは、もちろん一桁の数字の中の極大、極限状態を表しているのですけれども、この9という数字の特徴として、次のようなことがあげられます。
9+9=18、1+8=9
9×9=81、8+1=9
足し算でも掛け算でも、このようにカバラ式に一桁の数字に変換すると同様に9という数字となります。
じゃあ、9の9乗だったらどうなるの? やってみましょう。
9×9×9×9×9×9×9×9×9=387,420,489
3+8+7+4+2+0+4+8+9=45
4+5=9
と、やっぱり9になるんです。
というか、実は9にどんな数字に掛けてみても、同様に一桁に直すと必ず9になるのです。
9は9にしかならないということは、それは9が極大を表すが故に、それ以上には決してなりえない、当然ながらそれ以下にもなりえない、という訳です。
もう少し突っ込んだ言い方をすれば、すべては完成され、極限状態を迎えており、決して後戻りすることはできない、次なるサイクルへ移行するより他はない、ということになります。
タロットの9番は隠者という、カンテラで闇を照らしながら、知恵の杖を持って歩いている老人の絵となりますが、この姿は、極限的な理想の極みを見出そうとする姿勢を表すものであるとともに、すでに究極のものを見出してしまい、それ以上の伸びしろがなくなってしまったので、今度は次なるサイクルにある別の世界の探求を始める、という二通りに解釈することができます。
また、この9を悪いことの極限状態と捉えれば、二進も三進も行かない状況も、もう底へ来たから次は上るしかない、ということができます。
こんな数の神秘に想いを馳せながら、明日の週末をゆっくりと過ごされてみてはいかがでしょうか。