トランジットの木星の影響力 様々
今月のはじめから、経過の木星が自分の出生の月に合しているのですが、これまで実感したことのないほどの強い影響力を感じています。
先月末に長年勤めた職場を退職し、今月からは新たな人生のはじまりとなったのですが、この半月の間は、あくせくとするような気分にまったくなれずに、至ってのほほんと気楽にのんびりとほとんど何も実のあることをしないで過ごしています。
いつになく寛いでのんびり過ごす気持ちにしかなれずに、少々困ったなといった気持ちにならなくもなかったのですが、四半世紀以上勤めをして公私ともにそれなりの責任をまっとうした上でのあらたな人生のスタートですから、そのような長閑さはあってもよいものかも知れないとも感じました。
ある意味では、寛大で保護的な木星からの労りを最大限に得られるこのタイミングで、新たな人生の門出を迎えることができたのも、非常にラッキーなことであったかも知れません。
そして、わたしの月はASCのすぐ上にありますので、月に引き続いて、今度はASCとのコンジャクションが生じてきます。そしてしばらくは第1ハウスを木星が通過していきますので、これは当分の間は、ずっとこんな風にふわっとした生活が続くのではないかと、少々心配な気持ちにならなくもないです。
さて、経過の木星が自分のASCに合となるのは、12年に1度のことになりますが、過去3回について、その時期に起きていたことを検証してみました。
するとその3回とも、人生のステージアップが実感され、豊かさや自信に満ちて過ごすことのできた時期であったということが確かめられました。
ワンランクアップしたとか、人間として一皮向けたとか、何らかの意味で自分の成熟とともに、成熟にともなって一段上の生活環境が与えられ、ステップアップした人生がスタートした時期と一致しているようです。
これからの生活については、まだ収入の当てがない状態ですので何とも言えないのですが、おそらく当面は悠々自適な感じで過ごすことになるのではないかと、ホロスコープの上からは感じられます。
別にそういった生活を標榜して職を辞したわけではないのですけれども、これまでとは異なった形で社会と関わっていくに際して、あくせくと自分のことにのみ終始するようなスタンスではなく、成熟した大人として、落ち着いた態度で物事に当たっていくことが、自分の新たな社会的な役割として求められていくのではないかと漠然と感じる次第です。
ちなみに、来週の9月28日には、経過の木星と天王星がオポジションになりますので、社会一般に対してもそれなりの影響力がある配置となるでしょう。この配置自体は14年前後に一度程度に生じますし、コンジャクションも考慮に入れれば木星と天王星がどちらかのアスペクトととるのは、7年前後に1回程度となりますので、社会的影響力としては、中程度といった感じではないかと思います。
惑星は地球から見ると時に逆行をしますので、このオポジションは昨年末と今年の3月にも生じていました。しかし、大抵はこのように逆行を伴ってアスペクトが3度形成されるときには、一番最後に来る時に、その影響力が発揮されることになろうかと思います。
木星が象徴する社会的に善的な物事に対して、天王星による変革の刺激が加わることになりますが、このときに木星が天秤座の28度、天王星が牡羊座の28度にあることを考慮しますと、個人的には、人間が本来内在的に持っている成長力や免疫力の活用に目覚めるようなきっかけが得られる、というようなことがあるのではないだろうか、と感じられます。
外在的な力や技術に依存していく方向性を強める一方である現代社会における人間の在り方は、人間の矮小化を促進するばかりと見えますが、人間が自分自身の本来持っている万能な力に目覚めるとともに、社会というシステムに依存せずに、自力的に自己の生活を成り立たせるような道が見いだされていくのであれば、人類社会の行く末にも、曙光が垣間見られるというものではないでしょうか。
これからは、ますます社会システムの奴隷として家畜化し、人間性を忘れた機械と化していく人間のグループと、人間が本来持つ創造性に目覚めて肉体的にも精神的にも自立化を推し進めるグループとの二極化が、加速度的に進展するのは間違いないことだろうと強く感じている今日この頃です。
また、今回の経過の木星とASCの合という個人的なイベントが、社会的影響力を持つ経過の木星と天王星のオポジションというイベントと同時期に生じるということは、自分の新しい人生サイクルとあらたな社会変革の流れとが密接にリンクしていくことの可能性を暗示しているのではないかとも考えることができます。
加えて、これらの時期が秋分の時期に近いということも、この時期には地球のエネルギーが、ちょうど満潮と干潮の間に海が凪いで静まったのと同様の状態であり、エネルギーがベクトルを持たない時期であることから、その影響は人間の深部、すなわち霊的部分に対して直接的な影響を持ちやすいということが言えるのではないかと思います。