新月のサビアン(昨日の補遺)
昨日の記事において、約30年で新月は360度すべてのサビアンシンボルを経験するのではないかと書いたところですが、実際に直近の前後15年ずつの30年間の新月時のサビアンを調べましたところ、意外とばらつきがありまして、実際には三分の2くらいしか経験しなさそうだということが分かりましたので、補っておきます。経験していない度数があるということは、その分についてはそれだけおさらいをしたサビアンがあったということになります。
しかしながら、そのことをもってして、昨日に書いた趣旨まで取り下げる必要はないもののように感じています。
天体は規則性を持っているといっても、それは精密機械のようなものではなく、若干のブレを伴った動きをしているのだということであり、そこに生じているブレの影響というものは、何かしら神秘的偶然とも呼べる宇宙の意図が働いていると考えてもいいように思います。
むしろ、計算通りにしか起こらない出来事よりも、そうしたものの方がより価値があるもののように感じ取れますし、単純計算の結果については、それはそれとして尊重してもよいのではないかと考える次第です。
また、先週生じた新月では、出生時の火星のサビアンと同じ度数で起こるということがありましたけれども、こうしたことがどのくらいの確率で起きるのか、ということにも興味を覚えたところです。
とりあえず、月から土星までの7つの天体のサビアン度数と新月のサビアンとの対応ということで考えますと、上と同様の30年の期間において、月が1回、水星が2回、火星が先週の1回、木星が1回、その他の天体については0回というのが、実際に調べてみた結果とになりました。30年間で5回しか起きなかったということになりました。
単純計算上では、30年間に各天体とも1回ずつはその度数で新月を経験するということが言えるのですが、上述したズレによって、実際には若干結果が異なってくることになります。
30年のスパンを2度繰り返してトータル60年間として見た場合には、大分ズレの部分が修正されて単純計算に近づいた結果になることも予想されます。
何れにしましても月の営みが秘めている神秘なるものの影響力を考えた場合には、こうしたことにも着目してみてもよいのではないかと思われます。
占星術というのは、時代の近代化に伴って進歩しているのだと思いますし、技法などは色々細かいものが考えられているようです。
けれども、それ自体は道具の研究に過ぎないのであって、道具を何の目的でどのように使うのか、ということが最も大切ではないかと思われます。
その道のプロであれば、道具に精通していることが求められるのですが、人間としての進歩向上を離れてしまえば、それは本来の目的を見失ってしまっていることになります。
その他の神秘主義的なすべてのツールについてもそうですが、魂と霊の真の意味における進歩向上のために、より身近なツールとして育ち普及されていかなければならないのでしょうけれども、実際には、現実を功利的かつ効率的に生きようというリアリズムに基づいて、自己の欲求・欲望を満たすための黒魔術的な方向に向かっている側面も強いように見受けられます。
また、オカルトや精神主義というものが、もっぱら現実逃避の目的に使われる方向性というものもあります。現実からの逃避を志向するということは、既に現実というものに如何ともしがたい状態で縛られてしまっていることを意味しますので、それはやはり根深い現実主義の一変形に過ぎず、人間や社会に何らの進歩をもたらすものではないでしょう。
これからは、人の道がグループや社会といったものが先導するスタイルではなく、個々の人間それぞれにおいて探し求め究めていかなければならない時代になっていくのではないだろうかということが感じられるように思われます。
その場合に、個人の生活や人生というものの指標としては、月の存在は最も適したものの一つとなり得る可能性を持つ、ということが言えるのではないでしょうか。