新月のサビアン 12/18 射手座27度

あと数日で、本年最後の新月を迎えます。

今年は強い寒波の到来で、すっかり真冬の気候になりました。
毎日、なるべく夕日を眺めながらのサン・ゲイジングを欠かさないようにしており、今日も浜辺まで足を運びましたけれども、素足で浜辺を歩こうとすると、さすがに数分も持たない程の冷たさでした。

さて、新月は18日の15時過ぎに射手座の27度で起こるようですが、18日の夕日を拝めば、同時に新月も拝んでいることになる訳ですね。

新月の時というのは、月から見た地球が満月になる時でもあります。
月は常に地球に同じ面を向けている訳ですけれども、新月の時を受精のタイミングと考えますと、月は地球に反射している太陽の光(地球照)を受けて受精している、という面がある筈です。
これは、新しい未来というものには、過去の自分の行為の結果を反映する部分が必ずある筈である、ということになろうかと思います。

反対に地上で満月を迎える時には、月から見た地球は新月になる、ということができるのですけれども、我々は月の朔望においてもっぱら太陽と月を主人公として考え、当事者としての地球という自己の存在については忘れ勝ちである、ということが言えるのではないかと思えます。

観察者として自己中心的な世界観に留まってしまう、ということは、主体的な行動する者としての自分を忘れてしまっている、ということになり兼ねません。
そうすると、せっかく毎月の新月を意識していても、自分自身の人生に対する傍観者のような立場で、空しく時を過ごしてしまうということになり兼ねないということです。

占星術というのは、運命論的な捕らえられ方をされていることの方が普通であると思いますけれども、人間は自由意志によって自らの行為の主体として生きるのでなければなりません。

動かしがたい運命というものは、人種や性別や生まれてくる時代などといった形で確かに存在していはしますけれども、人生のすべてが運命的に決まっているかのような錯覚を与えてしまっているのであるとすれば、占星術をはじめとする神秘的なメソッドというのは、人間から主体性を剥奪してしまうという意味で、すべて有害なものであると見なさざるを得ません。

では、自由意志的に生きようとするに際して、神秘的なメソッドが何故に必要となるのか、という問いも当然出てくるのではないかと思います。

それは、物事を進めるに際して、適切なタイミングと方向性を知る必要があるということがひとつあり、もうひとつは、その時々の社会情勢や天体の配列を、むしろ逆に利用する形で、自由意識に基づいて自分が生きる方向性を新たに見出すことに資するため、ということがあります。

つまり状況に合わせて吹いている風に乗る、ということですけれども、それはあくまでも自己の本来性を活かす形というものが志向されていなければなりません。
単にお金儲けがしたいとか、そういう形の上の事柄ではなく、自分という魂が持っている本来性の発揮を目指さなければならない、ということです。

この同じ自分が、例えば古墳時代、あるいは江戸時代、あるいは昭和初期に生きていたとしたら、自分という要素は本質的に変わらないながら、自己の性質が発揮されるやり方や方向性というのは、その時の社会状況による時代的な限定を強く受けることになるでしょう。

ですから、わたし達がより大きなより美しい魂の花を地上で咲かせようとしようと思う時、何よりも時代状況や天の時を計るということが必要となり、そのために、古来より神秘的なメソッドが大いに活用されてきた、ということになろうかと思います。

18日の新月時のサビアン度数に移ります。
(SAGITTARIUS 27 °): A SCULPTOR AT HIS WORK.
(私訳):仕事をしている彫刻家。

続いては対向する度数の双子座27度のシンボルです。
(GEMINI 27 °): A GYPSY EMERGING FROM THE FOREST WHEREIN HER TRIBE IS ENCAMPED.
(私訳):彼女の部族が野営する森から出てきたジプシー。

対向する度数は同じものの裏表である。という見方をこれまでしてきましたが、一方の度数にとって、対向する度数というのは、もっぱら抑圧されているポイントを示している、ということも出来ると感じます。

抑圧されているポイントであるということは、保身的な態度の段階に留まる人にとっては、対向する度数というのは嫌忌して避けたくなる内容を含んでいると感じられることになり、反対に、開かれた進歩的姿勢を持つ段階に至った人にとっては、それはむしろ参考とすべき憧れや到達すべき目標として捉えられることになるだろうということになるだろうと感じます。

双子座の27度では、双子座らしい強い好奇心が表されており、自分の本拠地を離れるという危険を冒してでも、外の世界を知りたい、未知なるものを知りたいという欲求が示されています。

一方、射手座の27度では、黙々と自己の中にある抽象的概念を彫像という形で客体化することにいそしんでいる姿です。
射手座は冬に向けて、人間が生き伸びるための術を模索し、それを人類共通の手段として確立することを目指していると感じられます。
理想を何らかの形で結晶化させ、実用性のある有用なものとしなければなりませんが、それは生命に直結した物事に関する、情熱によって成し遂げられる理念の具現化です。

7関連の数字は、変革や高みに向けた挑戦といった内容を表すものが多いと感じます。

夏の盛りに人は人生を謳歌しますけれども、冬の生き難い環境の中においてこそ、人は真剣に生について思いを巡らせるものではないかと感じられます。

寒風の吹きすさぶ中に敢えて出て行くと、全身に血を巡らせてくれる鼓動の逞しさを強く意識するようなことがありますけれども、生命にとって過酷な環境というのは、かえって生きることへの情熱を掻きたててくれるところがあり、射手座の本質的な部分は、そういうところにあるように感じています。

ここで言っている生きるということは、ただ食って寝る、ということではありません。
真に生きるということは、自己の理念の体現という方向性に向かっていなければならないと考えます。

この度の新月に際しては、自分の生命の炎を燃え立たせ、自己の理念に基づいた生をどのような形で紡いでいくかという課題に対して、ひたむきになってみたいと感じました。

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