健康と歩き方3 軍足デビュー

人間にとって非常に大切な事柄でありますので、今日も続けて書きたいと思います。

今日は散歩の前に近所のホームセンターに立ち寄って、5足入りの綿素材の軍足を400円弱で買い求めました。

指先が足袋の様に二股に別れているものです。

 

そして早速、松林へ行き装着します。
物凄く良い感じです。(^^)

今日も風が冷たい一日でしたが、これからの季節はやはり素足ではキツすぎる。(^^;)

それに、素足の時ほど地面を気にしなくても済みますので、すたすたと歩を進めることができます。

それでいて、落ち葉の感触などは足裏によく伝わってきて、それが大変に心地よく感じられます。

 

 

松林の散策がいたく気に入っている理由のひとつとして、まだ日が高い時間帯でも、松林の枝葉を通じて弱められた日光でサン・ゲイジングをすることが出来ることがあります。

日中の太陽は、目の弱い人が直視をすると、ほんの数秒でも取り返しのつかない傷害を負うことがあるそうなので、実行される際にはくれぐれも気をつけていただきたいと思います。

次の写真のように変わった姿形の松もあり、それぞれを眺めていると大変面白いです。

 

 

松林ですので当然松ぼっくりがたくさん落ちているのですけれども、松果体との相似形であるので、何かしら影響をもたらしてくれるかも知れないと思い以前拾って来て書斎に飾ってあります。

古来から第三の目との関わりが言及される松果体ですが、現代人のそれは矮小化すると共に石灰化してしまっていると聞きます。
参考にウィキペディアの記事を抜粋引用しておきます。→『松果体の石灰化はヒトの成体においてよく見られる変化である。16歳を過ぎた頃から、松果体にはカルシウムやマグネシウムが盛んに沈着するようになり、やがて石灰化して、X線撮影をすると骨と同じように容易に見えるようになる。』

サン・ゲイジングは、劣化した松果体を活性化させる方法としてよくネットなどで見かけますが、その真偽のほどは兎も角として、日拝は神道をはじめとして日本の文化風習の中でもある程度の普遍性を持つ習慣であり、その代表は初日の出を拝むことにあります。
それが心身にもたらす健康への影響は大変大きいものがあると実感しています。

さて、松林を抜けて軍足のまま、今度は砂浜を歩きます。

すると、こちらでも素足の際よりもだいぶ歩きやすい感じです。
気温の冷たさも素足よりは和らぎますので、そのまま速やかに歩いて行くことができました。

海というのは神道においても禊ぎの場所です。毎日、汐が満ちる度に海水で洗い清められている砂浜を、こうして素足に近い格好で踏みしめて歩きますと、とても清涼な感覚を味わえ、松林の地面とはまた違った感覚の喜びを感じます。

波が寄せてくるのも面白く感じられますが、こうして靴を脱いでいると、自然との一体感というのが飛躍的に増して感じられるものです。

 

 

最後に夕陽をじっくり拝みながら、プラナヤマ呼吸法にて宇宙の霊気を心身に取り入れ充満させます。

先月は昼間の日をほとんど浴びない生活リズムをしていましたが、こうして積極的に太陽からのエネルギー補給を行っていると、心身に活力が漲るということが本当によく実感できます。

深夜は深夜で深く物を考えるには貴重な時間帯ですけれども、日の光の中で身体を動かす爽快感というのは、やはり大変気分のよいものですね。

さて、重心位置についてですけれども、やはり頭であれやこれやと考えるよりも、こうして実際に素足に近い格好で屋外を散歩することで、正しいあり方を自然に身につけるということが大切なように感じます。

頭で考えてしまうと、どうしても偏った部分が出てきたり、自分がこさえた理論の通りにしようとしてかえって不自然な偏った癖がついてしまったりするものです。

1回このように歩いただけでも、身体の重心位置が非常に理想的なものに自然に矯正されていることに、何よりもわたし自身が驚いております。

身体の重心が正しく保たれている時というのは、足の親指の付け根と手の小指あたりにキュッと力が込められると同時に、お尻の穴もキュッと締まります。
そしてこの状態であると自然と臍下丹田に重心が落ち着き氣も集まるのです。

この数年、前に屈んだりする動作が非常に億劫に感じられていたのですけれども、それは、すっかり重心が後ろに下がってしまっていたからであることにも今日気づくことができました。

和式トイレでも使用していれば、そのように重心が後ろへ下がってしまうようなことはないのでしょうけれども、何かしらの運動や踊りなどの習慣等がない限り、西洋式の椅子の生活スタイルばかりで過ごしていると、日本人の身体にはマイナスの影響が出やすいように感じられます。

重心が後ろに下がっているということは、氣が前の方、すなわち丹田に集まっていないということであり、丹田に力点がないとお尻の穴は緩みがちになってしまっている筈です。
そうすると、いくら一生懸命に様々な健康法や養生法を行っても、氣がお尻の穴から逃げていくことになり、気力が充実するという感覚を得ることは難しくなってしまいます。

不思議なもので、丹田に氣が籠もらず腹に力が入らないような状態でいますと、人間というのは前向きな勇ましい精神状態になろうとしてみても中々なれないものです。
最近の自分は、そういう不甲斐なさを感じることが多かったのですが、それを加齢のせいとばかり思っていましたが、何のことはなくそれが姿勢の崩れから来たものでした。

そのことに気づけたのは、日常のちょっとした冒険心から、素足で地面や海岸を歩いてみたことが切っ掛けでした。
人の本来の理想的な姿勢に自然に立ち返ることができ、同時に気力の高まりを感じることができるこの習慣を、怪我や身体を冷やすことにはくれぐれ気をつけていただいた上で、是非、機会があればお試しになっていただければ、人生に活力が戻ってくることが実感されるやも知れません。

健康と歩き方2 身体の重心の狂いが人生に及ぼす悪影響

 

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