新月のサビアン 山羊座27度
少々早いけれども、来週水曜の新月のサビアンについて書きたいと思います。
月に関しましては、出生の月と経過の月の合である月回帰の他に、進行の月と経過の月が合する進行月回帰などのイベントも、経過の新月同様に毎月のこととしてあります。
経過の新月とそれら二つの月の回帰は、そもそも天体現象として異なるものではありますけれども、もっとも早いサイクルで動く天体である経過の月の及ぼす影響を、どのように自身の生活や人生の中に取り込んで活用していくのか、ということを考えるに際しては、それぞれに対してある程度明確な意識を持っていた方がよいのではないか、と感じられます。
占星術というのは、実に長短多様なサイクルの様々な天体の動きについて観るわけですけれども、その一々すべてを意識したり活用することは、中々難しいことではないかと思います。
しかし、そうした様々な天体現象を通じて、何らかの活力の賦活を得る機会として活かすためには、自分の意識している対象ごとの時間感覚のスケールに見合った天体現象に意識を集中してみることで、経過天体の持つ集合的なエネルギーというものを、個々の目的に即した形で顕在意識下で活用することが可能となるのではないかと考えます。
トランジットの、すなわち実際に現在運行している天体によって演出されるイベントは、毎月の新月もそうですが、広く人類の間で時間的に共有されるものであり、それは非常に集合的な内容を持っているのではないか、ということがまずひとつあります。
このことことは、経過の月の働きというものが、進行図において示される個々の内的、心理的な内容に対して、世の中や他人との間に接点をつくったり共時的な現象の発現をもたらすことにつながっていくのではないか、という考えにつながるのではないでしょうか。
人がその生活や人生の中において、霊的・心理的な物事の消長にもっぱら意識を向けるのであれば、トランジットの天体の働きよりは、プログレスの天体の運行により関心の比重を置くことになるのだろうと思います。
しかし、どのような出来事を重視するかという問題は置いておくことにして、何れにしても内発的な何かが、外の世界においてどのように実現していくのかということや、外界からの刺激によって内面の心理的な部分が受ける影響というもの、それらのものが重なり合ってはじめて、それぞれの人の人生というものが実感できるものとして織りなされることになる、ということになのだろうと思います。
トランジットの新月ばかりをもっぱら意識するということは、自分の内面から主体的に発せられるものの動きというものを、もしかすると軽視して、外面的な物事ばかりに期待をかけ、そしてそれらに翻弄されてしまう結果につながるという可能性もあるのではないか、ということがひとつ懸念としてあります。
一方で、外の世界の動きを軽視して、もっぱら自分の内的世界にばかり閉じこもっていても、やはりそこには健全な生の躍動というものは見出されないのに違いありません。
新月について触れる前に前置きとして言っておきたかったのは、まず、新月に向き合う前に、自分自身の内面と向き合って心の整理を行い、本当の自分らしさや、真に自分の望む方向性について、よく確かめておくことが必要なのではないか、ということです。
自分の外にある何かに期待をかける以前に、自分の本来の有り様や真に向かいたい方向というものが意識されていなければ、人生の主体性というものが放棄され、外から来る刺激によって受動的に生を浪費するだけのような、中身のない人生内容となってしまうことになってしまうかも知れません。
先月も書きましたけれども、この新月の時には月から観た地球は満月となるのです。そのことを意識することで、自分自身のあり方を振り返るということも大切なことではないか、と感じられるのです。
さて、来週の水曜日、1月17日の正午近くに迎える新月ですが、山羊座の27度で迎えることになります。
(CAPRICORN 27 °): PILGRIMS CLIMBING THE STEEP STEPS LEADING TO A MOUNTAIN SHRINE.
(私訳):巡礼者たちが山の神殿に続く急な階段を上っている。
個人的な解釈としましては、権威を崇敬し、権威あるもののなるべく中枢に近づきたい、という動機を感じます。権威というのは山羊座が表している社会の中核をなしているものです。
現代ではそれはお金や権力や名声などでもあるのかも知れません。
ともかく社会の持つ求心的な力に対する絶対的肯定心と信頼に満ち、それを神聖視しているような心理的な状態を表しているのではないか、と感じられます。
この新月の3日後には大寒を迎えます。冬至に陰の極まりをみた訳ですけれども、地上において、太陽の出ている時間がもっとも短かったことの影響が出てくるのはちょうどその一ヶ月後となります。
すなわちそれが水瓶座の1度であり、24節気で言うところの大寒に当たります。
太陽の力が地球の北半球において最も弱まった時から、地上での影響にタイムラグが生じるのは、大気全体に蓄熱や放熱がなされるのには時間を要するからであり、海洋の温度となるとさらに一ヶ月影響が遅れて現れることになります。
冬の期間というのは、冬至をその頂点として考えるのであれば、蠍座の16度における立冬にはじまり、水瓶座の16度で迎える立春の一日前まで、ということになるでしょう。
射手座においては冬を生き抜くための準備として人類の叡智を振り絞り、山羊座はその知恵を手段として実際に冬を凌いで人類が生き残るための社会を建設します。
蠍座と水瓶座はサインの象徴している内容からすれば、季節の移行期間的な存在に過ぎないのかも知れません。
地上で最も寒さが厳しくなる水瓶座1度の大寒までに、それらの準備は完全に為されていなければなりません。
そして水瓶座の時期には、新たに次の極めて精神的な課題に対して目が向けられることになるのです。
来週の新月の3日後に迎える大寒の度数である水瓶座の1度が、2020年12月に起きるグレート・コンジャクションの生じる度数であることを考えますと、わたしは今度の大寒というものを、非常に心して迎えたいというような気持ちになるものです。
そこに、新たな風の時代の幕開けのヒントとなるものが、隠されているように感じられるからです。
また、その大寒の翌々日に自分自身のソーラーリターンを迎えるというのですから、関心が強く向かうのも当然のことです。
来週の新月を迎える山羊座の27度のサビアンシンボルが示す内容というのは、ある意味では水瓶座が象徴するもののアンチ・テーゼ的な内容に満ちていると思います。
しかし、人々が安心して生きて行かれるだけの、ある程度の完全性と成熟度を持った社会が築かれていればこそ、我々人類は、物質中心主義的であった地の時代の200年間に別れを告げ、人間の精神性を謳歌させる風の時代へと向かっていけるのではないか、と強く感じられます。