仮想通貨とスピリチュアリティ ~神と野獣の根競べ~
仮想通貨とは何でしょうか
仮想通貨とは、既存社会の中央集権的なあり方に対する反省に端を発して、新たに人類が思い描く理想的社会を志すひとつの思想・アイデアであり、一種の夢なのであると言えるかも知れません
そうすると、仮想通貨とは夢想通貨である、なんてことも言えてしまいそうですね(^^)
さて、話をこのブログの主要なテーマに移しますが、この地上世界においてスピリチュアルというのは一体どのような事柄を指すのでしょうか
この地球上においては、純粋に精神的なるものや霊的なるものというのが、それ単独で存在しえることはありません
必ず物質や肉体を通してそれらは顕現し表現されることになります
この地上におけるスピリチュアルというのは、何処まで行っても神と人、精神と肉体、物質とそれに付加される価値感など、それらの一体となったあり方でしか論じることも確かめることもできないものである筈です
明日から人間は一切働かなくてもいいし、家の心配も食事の心配もしなくていいですよ、とでもいうのであれば、いくらでも現実逃避的なスピリチュアルな世界に浸っていても構わないでしょう
けれども、我々がこの地上的なあらゆる束縛から自由になれるのは、肉体上の生命をまっとうして、純粋な霊的存在に帰した時のみになります
であれば、我々は、より好いこの世のあり方や人のあり方というものを追究し続けることにこそ、スピリチュアルな道というものを見出さなければならない筈です
そのような意味で、わたしは仮想通貨のような、人類が社会の基本的構造を変革しようとする試みに対して、人類のスピリチュアルなあり方に大いに関係するものとして、仮想通貨の中にスピリチュアリティというものを多分に感じている訳です
けれども、仮想通貨というのも、所詮は人が作り出そうとしている一つのシステムであり、要するに単にツールであるのに過ぎません
この仮想通貨というツールを人類がどのような意図で使おうとするのか、ということは、大きく異なった思惑や動機が交叉しぶつかり合う中で、幾度も試練に激しく揉まれながら、次第に洗練されてやがて見出されていくことになるのでしょう
そして、そうした中長期的な流れの中において具現化されてくるものは、人類の意志の総和ということになるのだろうとわたしは思います
今は、技術的に未成熟な段階にあるとともに、様々な思惑がこの仮想通貨というツールの使い道に関して蠢いて市場を不安定にしています
しかしながら、そうした試行錯誤の末に最終的には、人類は仮想通貨の在るべき理想的あり方というものを徐々に見出し、その存在を通じて人類のより新しい、一歩理想に近づいた社会の実現を図っていくことになるのではないかと思います
この地上に新しい何かが生まれ出でようとする時には、常に人間の持つ神性と獣性の間で綱引きが行われ根競べがなされるのです
物事の結果だけを重要視して行動を取る考え方を、これを物質偏重主義と言います
しかし、結果ではなくそこで大切にされなければならないのは、やはり精神性でなければなりません
現実をどう生きるのか、という切実な課題を蔑ろにしたところに、真のスピリチュアリティなどない、ということが言えます
わたしも日々呻吟しながらサラリーマンを続けていた間は、スピリチュアルなものをどこか気休め的な態度で求めており、真の真剣さを持ち得なかったのではないか、という反省を今持っています
そして、実際に目に見えて自らの生命力と人間としての諸能力を向上させ、社会に貢献しうるものとするのでなければ、真のスピリチュアルな道とは決して言えないだろう、ということをあらためて感じ始めているところです
多くの人が社会に対して依存的で隷属的なあり方しか志さないのであれば、仮想通貨のようなものも、結局は権力者にとって都合のよい手段と堕していくことになるのだろうと思います
地上における真のスピリチュアルというのは、自らの精神性と意志を持って、主体的に世の中に参加していくことでしか体現されることはありません
多くの方々がそうした意味合いでのスピリチュアリティに目覚めるのであれば、この先の数年を境にして、人類は理想に向けて大きく前進するための舵を切れることになるのではないか、と感じられます
大きな時代変革のひとつの大きな試みのひとつとして、この仮想通貨の流れを、スピリチュアルな視点で眺めつつ、また、自分も多少なりとも参画していきたい、との意図で今日はこのように書いてみました