今日は紀元節 皇紀二六七八年 宗像大社参拝

今日は建国記念日、所謂紀元節に当たります

西暦の紀元前660年に初代天皇である神武天皇が即位してから、2678年にわたって皇統と日本という国が継続しているということになります

勿論、本当に初代天皇が即位したのが紀元前660年であるか否かは、日本の正史とされてきた記紀にそのように記されてはいるというものの、確かなことは誰にも分からないところです

しかしながら、かなりの歴史の底上げや多少のねつ造があったとしたところで、この国の歴史がある程度の一貫性を保ちながら間違いなく2000年以上は継続しているであろうことは確かなことであるとともに、そのように非常に長きにわたって天皇家と日本国民が君民一体となってこの国を育んで来たという事実は紛れもないものと言えるでしょう

諸外国の歴史の中で、日本という国と日本人というのは、正しく生きた天然記念物のような存在なのかも知れません

そのような祖国と祖先を持った日本人として、そのような長い歴史を今後も繁栄させていくべく務めなければならないというのは、非常に大きな責任であると感じられるところですが、それは日本人として以上に、地球市民の一員として負っている責務でもあるのではないか、と感じられるところです

皇室と国の弥栄というものを祈るに際し、国の石垣となっている一人ひとりの個々の人間が立派で優れているのでなければ、素晴らしい国となる道理はないことを想います

ですから、この国の建国記念日に際して神に国の弥栄を祈ろうとすれば、それはすべて、まずは己が自分の人生をしっかりと建設しなければならないという責務感として還ってくるのです

 

来年には天皇の譲位が控えられておりますし、現在、世界は第3次世界大戦へ向けた道のりにあるということがはっきり言うことができる状況にあり、非常に激動、激変が予想されているところです

しかし、国というのは変化すればこそ存続し続けることができるという一面もまたこれある訳です

日本が2000年以上にわたって長き歴史を保ち得ているのは、偏に時代に応じて変化を厭わず、常に新しいものを柔軟に吸収してきた結果に他なりません

そのような意味においては、変化というものは国の長久な弥栄にとって、むしろ不可欠な要素であるとも言えるのではないかと考えます

要するに変化を恐れずに、それを進化向上の機会と捉えて積極的に生きることが必要である、ということではないかと思えます

また、その様に外側を臨機応変に変えていく中においても、決して変わらない何ものかが内に保たれていることが必要になります

自然に対する純粋で素朴な崇敬の念を忘れないところにこそ、この国のとこしえの弥栄があるのではないでしょうか

今日は沖ノ島の沖津宮に祀られる田心姫神を祀った第二宮において、これまで感じたことのないほど澄み切った凄まじいよい気が感じられて自分でもびっくりした程でした

第三宮でも同様だったのですけれども、大島の中津宮には直接参拝したことが幾たびかあるものの、沖ノ島の沖津宮は普通の人では参拝できないので、これまでさほど親密に感じたことはなかったので、今日は珍しく強い感応があって驚いたのでした

その後、道の駅の裏の海岸まで行って見ましたけれども、やはり寒風が激しく、寒波で凍死したハリセンボンが夥しく打ち上げられているのを目にして気が滅入ったので、早々に引き上げることにしました

まだまだ寒さが厳しく、今日も時折雪が吹雪いていたところですけれども、来週の19日には早くも節気の雨水を迎え、この頃から雪が雨に変わって寒さが緩んでくる頃とされています

水瓶座も残すところ後一週間ほどということになります

もう春はすぐそこに、手の届くところに来ており、うかうかとしてはいられません

世の中がどのように乱れたとしても、そうした最中には、既に次の新しい世の中が準備されていて芽吹いてくるものであると信じて、しっかりと前向きに自分の人生を創造していかなければなりません

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