ジャガイモと快楽主義
エドガー・ケイシーとルドルフ・シュタイナーという世界に多大なる影響を与えた2大霊的指導者をして、揃って言わしめている食に対する注意に、ジャガイモは食べるな、というものがあります
詳しく言えば、ケイシーは皮の部分はよいが中身は決して食べないようにと、そのリーディングの中で幾度も言及しており、あたかもジャガイモの中身は人間が食すべき食べ物ではないと言い切っている感があると感じます
そして、シュタイナーの方はと言いますと、決して食べるなという言い方こそしないものの、ジャガイモは頭の働きを悪くして人間を唯物論的にするということで、やはり本来人間の食すべき物ではないというニュアンスの言い方で多く言及しているようです
しかしながら、スピリチュアルな生活を志向される方においても、肉食はやめてもこのジャガイモを食さない生活というところまでは中々踏み込めない、という方が多いのではないかと思えます
その理由のひとつは、ジャガイモを食べると唯物論的になる、という言い方では今ひとつピンと来ない、ということがあるのではないだろうか、と感じられます
かく言うわたしも、肉食からは完全に遠ざかってから15年以上は経ちますけれども、半年ほど前まではジャガイモやその加工品については普通に食していました
けれども、脱サラをして愈々霊的な生活を深めることに傾注しようという時に、霊的世界におけるこの2大巨頭が口を揃えて避けるべきであると明言しているジャガイモを、何の躊躇うこともなく口にしていて大丈夫だろうか、という疑念が浮かびましたので、とりあえず半年間ほど口にするのをやめてみたところです
食べ物というのは、口にしなくなることでその食品の持つ性質というものが客観的に明らかになってくる部分があると常々感じていますけれども、ジャガイモについても、最近実感としてこうではないかとはっきりと感じられることがあります
シュタイナーは物質主義とか唯物論的になるという言い方をしましたけれども、わたしが実感において明確に意識できますのは、ジャガイモ食は快楽主義を助長するという、ということです
ジャガイモを断って久しく経った現時点において、かつてジャガイモを食した際の自身への影響を客観的に思い出すと、その習慣の中にいた時には中々気づけなかったのですけれども、明らかにジャガイモというのは肉体や物質次元の欲求を強く催させる食べ物である、ということをはっきり自覚することができます
要するに、ジャガイモというのは快楽主義を助長するという一面があるのです
物欲的になると言ってもいいかも知れませんし、人間が怠惰となり欲求を安易な形で充足させたくなる、というような言い方でもいいかも知れません
カウチポテトという言葉には、奇しくもジャガイモが人間の精神に及ぼす影響というものを端的に示してくれている部分があるのではないかと感じられます
ともかく、そのような言い方をされれば、唯物論的になるという言い方よりも、多くの方にとってずっと実感がしやすいのではないかと思えます
これから、特に2020年の年の暮れ頃からははっきりとした形で、時代は物質主義から精神主義へと移行することになると考えています
そのような時期にあって、人々の食卓から肉食ばかりではなく、このジャガイモ食をも退けていくことが、時代の要請として、極めて緊要な事として意識される必要があるのではないかと感じられます
中国共産党の崩壊が近いことについては、幾たびかこのブログで言及してきたところですけれども、共産主義というのは実は物質主義が極端に行き着いたひとつの類型に過ぎません
そして、共産主義が崩壊するということは、資本主義についても同時的に根本的な変革が生じる、ということにもなります
何故なら、双方ともが極めて物質主義的な社会のあり方の両極的な姿に過ぎないと言えるからです
その事につきましては、また別途日をあらためて詳述できればと思います
ともかく、霊を本位として霊的な生活の確立を切望される進歩的な方々におかれましては、自らの目標の円滑な達成のために、是非ともジャガイモをその生活から遠ざけることを大いにお勧めしたいと考えます