春の嵐と月参り
昨夜は春の嵐が吹き荒れる中、宮地嶽神社へ今月の月参りをして来ました
先月は大寒の最も寒い時期の参拝でしたけれども、この頃ではすっかり春めいた陽気が多くなりました
神門に飾ってあるのは桃の花でしょうか?
神殿の横の寒緋桜も既に満開となりました
こうした花が咲きはじめるというのは、気温の上昇ということもありますけれども、冬の間に乾燥し切っていた空気に俄に潤いが戻ったということでもあります
そのため、身体の浮腫などが出やすい時期で、意識もぼうっとしやすい時期です
この月の初めの時において、太陽は魚座10度にありました
(PISCES 10 °): AN AVIATOR PURSUES HIS JOURNEY, FLYING THROUGH GROUND-OBSCURING CLOUDS.
(私訳):飛行家が大地を見えなくさせる雲の中を飛びながら自分自身の旅を追い求める。
意識が完全に無意識の領域に入り込んで、春以降の現実的行動に先立って、霊的感覚によって方向性を見定め、ビジョンを思い描こうとする、如何にも魚座らしいあり方のひとつが示されています
サビアン・シンボルを通じて各サインのあり様というものを考察していると、季節変化の中で人間が持っている肉体的機能、感覚機能、感情機能、知性や霊性などの各機能のあり方が、季節と密接なリンクを持っていることが強く感じられます
魚座の時期に意識がぼんやりするのは、魚座が12宮の一番最後のサインであることとも関連し、次の春分点からの牡羊座のスタートへ向けて、12宮を通して得てきたもの、形成してきたものが一旦霊的な次元に解体されていきます
新しい画を描くに先立って、キャンパスを白く塗り潰しておく、というようなことでもあるかも知れず、サビアン・シンボルに示されている雲の中の世界というのも、まったく同じように無の真っ白な世界です
瞑想をすると想念が自然と湧き出てくるということをよく耳にしますけれども、ビジョンというのは外部からの刺激の一切を一旦遮断することによってはじめて、鮮やかに心のスクリーンに浮かび上がる、ということはあるのだろうと思います
あらたなスタートに先立って、古いものを洗い流さなければならないというのは、一種の浄化の働きとしてもとらえることができるでしょう
魚座は精神の浄化に強く関わっているということであり、浄化によって癒やしを得るとともに、新たな蘇生の力が与えられるということになるでしょう
健康のことに話を戻しますと、水分が身体に戻りますので、気温は高くなっている筈なのに身体が冷える、ということが起きてこようかと思います
冬の間というのは、寒というものは身体の外からしか来ませんけれども、気温が緩んでくると、身体は気温に対して、身体を冷ます機能のスイッチをONにしなければなりません
外からの寒さに対向して頑張っていれば良かったのが、今度はともすれば急に高まる気温に備えて、身体を内部から冷やして恒常性を保つ機能を復活させなければならないというのです
また、暖かくなれば微生物を含め様々な生き物たちがその活動を活発にしますので、人間の免疫機能についても活発化しなければならないでしょう
それらの様々な変化というものが、人間にはストレスとして感じられることになります
特に、冷暖房による人為的なコントロールを環境に施しすぎることで、人間の身体の持つ恒常性が自然に対して崩れている状態となっているために、激しい変化が必要な時期に対応が上手く行かず、機能不全となったり過剰反応を来したりしやすいことになるでしょう
わたしもいつも春先には様々な症状を多少なりとも感じていたものですけれども、今年は何故かほとんど症状らしいものを感じません
やはり寒中でも裸足で松林や砂浜を歩いたりするようなことをしていますし、天体の動きを通じて季節とそれが人間に及ぼす影響を具に観察していますので、自然と身体との調和が一定程度保たれているのかも知れません
占星術というのは、自然のリズムや人間の生理と非常に緊密で分かちがたくリンクしているシステムであるということが強く感じられます
仕事を持って人工的な環境下で機械的な日々を過ごしていると、どうしても自然から遠ざかり勝ちになりますけれども、季節などあまり感じない、というような生活環境というのは、それだけ機械的で物質的な世界にはまり込んでしまっている、ということになるでしょう
そうした環境下においては、人間はもっぱら機械の様に働き、機械の様に摩耗していくだけの存在となり、宇宙や天体のリズムがもたらす様々な恩恵の枠の外で生き、人間としての本来性をほとんど発揮できない状態ということになる恐れがあります
そうは言っても、家族を養わなければならないし、子ども達も学校へ通わせなければならない、ということがあるでしょう
けれども、今の教育体制下において、果たして子ども達は人間らしさというものを育まれていくのでしょうか
それとも人間らしさを損なわれているのでしょうか
わたしは未だかつて、子どもの頃より人間性を増した人間というものを見たことはありません
大抵は若い世代の持つ豊かで瑞々しい人間性というのは、社会という枠組みの中で部品のひとつとして機能する機械と化していくだけですのことではないでしょうか
一生懸命勉強をして、よい職場環境を得ることで得られるものは地位とお金に他なりません
しかし、人間性を損なって心の豊かさを失ってしまえば、どんなに環境が整ったところで幸せを感じることはないのです
そろそろそういう時代は終わりを告げるのではないかと感じられ、この2年くらいは大きな山場となるのではないでしょうか