3/3 三分割のトライン
今日は平成30年の3月3日です
折しも太陽も魚座の13度にあるということで、非常に3という数字に関係した日でありますので、円周を三分割した120度のトラインというアスペクトについて考えを深めてみたいと思います
トラインが多い出生図の例としまして、自分のものを使いたいと思います
許容できるオーブのトラインが合計9つあり、主要な10天体のうちの7つがこのアスペクトに関係しています
自分のことを客観視することが難しいということの他に、5つの天体が関わって形成しているグランド・トラインというのがあり、その読み方を当事者としてどのように読んだらいいかということについてはずっと悩みの種でした
トラインもグランド・トラインも、一般に言われているような単なる幸運や調和を表すものとして、実際にそれを持つ人間にそのように実感されるかどうか、ということで言いますと、まったくそのようなことはない、と言えます
むしろ、わたしは幼少期からずっと逆境で育っていますし、家庭環境も非常に苦しみの多いものでした
しかしながら、生来はおっとりした平和で温厚な性格であり、無事に高等教育まで終えて非常に安定した就職をしましたので、環境との対比で言えば、すこぶる強運の持ち主であった、というようにも言えるのかも知れません
そもそも、無事に育つことができたということだけとってすら、幼少期の環境を考えれば奇跡的と思えるところがあることは事実です
けれども、家庭環境もそうでしたが、世の中自体が地獄のような場所として感じられていることが多く、この世的な物事の中に喜びを見いだせたことはほとんどありません
加えて、人からは利用されたり損をさせられる一方です
未だかつてひとりとして、わたしが欲するものをわたしに与え得た人というのは一人もいません
神仏の世界だけが自分の心に安らぎを与えてくれる唯一の世界であり、神仏のような見えざる存在だけが、真実の家族として親しく思えるものであるのです
しかし、発想を逆転して考えて見ると、自分からは何一つ他者に欲することをせず、関わり会う大抵の人の犠牲になったり損をするような羽目に合うというのは、それはわたしが人に与えるだけのものを充分に持っているからに他ならない、という見方をすることもできます
また、世の中というものが非常に詰まらない、生きるに値しない価値のないもののようにしか見えないということも、それは自分が標準として持っている価値観や理念が世の中の標準に比べて高いために、相対的に明るい方から暗い闇を見ているのと同じようなことが起きているのだ、ということを考えることもできます
そのように言うと、非常に不遜で思い上がった人間のように感じられるかも知れません
けれども、グランド・トラインという配置を持っている人には、いずれにせよ、端から見れば公家や貴族的な雰囲気というものが感じられる部分がある筈です
かと言って、それは本人にとっての幸福感とはまったく無縁な話です
わたしのは地のグランド・トラインですけれども、それが成立するエレメントの種類によっても大分イメージが変わってくるでしょう
わたしの場合は主要な太陽も月も、グランド・トラインとは関係を持ってませんが、太陽が月が関わったグランド・トラインを自分が持っていたらと考えたら、むしろゾッとするような気持ちを憶えるかも知れません
何故ならそれは、運命的にある特定の傾向に、あまりにも強力に捕らえてしまう力を持っていると言えるからです
さて、3に強く関連するという観点から、トラインの性質を考えて見たいと思います
3と言いますとタロット・カードでは3番の女帝と13番の通称死神です
通称死神と書きましたのは、本来マルセイユ版のタロットではこのカードには名前が記されていない無名のカードであり、死神というのは通称に過ぎないためです
女帝のカードは春に植物が一斉に繁茂するような爆発的な生産力、躍動的に迸る生命の繁殖力といったものが示されています
通称死神のカードにおいては、生産されたものが刈り取られて、次の生産の準備といったことが示されています
今日の太陽がある魚座13度のサビアン・シンボルも「多くの闘いで使用された古代の剣が博物館に陳列されている」というものですが、この剣には死神の持つ大鎌に通じるものがあると感じているところです
そもそも創造と破壊というものは常にセットとして考えられるべきものですので、この2枚のカードはその両極を示しているのだと考えることができます
真の創造というのは、必ず古い観念や価値観を破壊する力を持ちます
もし、古い観念や価値観を打ち破らないレベルのものであれば、それは単に既成概念の枠組みの中で亜流的に生産された物に過ぎず、創造と呼ぶに値するものではありません
そのように、3の持つ生産力というのは、一種の激しさや勢いを持っていると考えられますし、その力が発揮されれば、必ず打ち破られる存在というものも出てきます
これは勝者がでてくれば必然的に敗者が産み出されることにも通じるのではないか、と考えます
新しい勢いを持ったものが世の中で歓迎される一方で、必ずそのせいで廃れる結果に追いやられるものもまた出てくるのです
そのような意味では3というのは一人勝ち的な要素を持っている、というようにわたしには感じられます
トラインというのは、非常にある種の旺盛な力を秘めているのは確かなことだと思われます
しかし、そこで目的というものが適切な形で意識されていないと、意味のない生産が行われ、それによって何らかの迷惑を被る者が出てきたり、その生産物をかすめ取ろうとする輩を増やす結果になるだけで何の意味もなしません
力があるということは、その力を適切に使い熟すには、それなりの熟練や勉強が必要になるということになります
力の発揮においてそれが無思慮で無分別に為されるのであれば、結果的には破壊の力となって自らにそれが返ってくることにもなるのです
わたしの場合は現在、親類縁者を含めて人との関わりを断った環境に身を置いています
それは、一生懸命にまじめに生きてきた結果として、それによって常に周囲の誰かが楽をして得をしているだけの結果に心底うんざりしてしまったからです
その原因としては、やはり自分の人生の目的というものが明確ではなかったからである、ということになろうかと思います
親がいる間は、苦労した親を安心させて孝行し、手ずから介護をして自分で看取るというようなことが目標であった訳です
しかし、そのような目的というのは自分というものの人生にとって、二義的なものであって決して第一義的なものとはならないと考えなければなりません
トラインやグラインド・トラインの持つ過剰な生産力というのは、きちんとした目的に基づいてコントロールされることが大きな課題であるということが言えるでしょう
また、生産されたものは必ず刈り取られなければなりません
ですから、怠け者が楽をして得をするような形でかすめ取って行くような結果に終わらせてしまうのではなく、はじめから他者や世の中を正しく利するような形において、きちんとした高い目標に根ざして生産力を発揮することが大事であったのだ、ということが言えるでしょう
グランド・トラインの持つ力を主体的な意志で発揮しようと思ったら、それは果てしない困難な道のりとなるでしょう
若いうちからそうした力を発揮できる人がいるのだとしたら、その人ははじめから何らかの社会的使命を持って生まれ出た人間である、ということが言えるでしょう
しかし、得てして安定性の中に引き籠もっていたいという感じになってしまうのがこの配置の特性のひとつではないかと感じられるところです
一人勝ちとならずに、利他の精神をもって生きるという意識が、トラインを多く持つ者には必要ではないか、ということを取りあえずの今日の考察のまとめとしておきます
まだまだ考察が必要と考えられますので、また機会を得て自己省察を含めて考えを深めてみたいと思います