魚座のひと3 長嶋茂雄さん
今日は魚座のひとシリーズの第3弾ですけれども、ミスター・魚座とも言える待望の長嶋茂雄さんについて考えて見たいと思います
長嶋さんは、イメージ形成力の最強の持ち手であると言っても過言でなく、ホロスコープを観る以前から、この方の出生太陽が魚座の最初の度数にあるであろうことは予想するに難くありませんでした
各サインの1度というのは、それぞれのサインの持つ潜在可能性のすべてが含まれており、そのサイン特有の性質を極めてピュアでストレートな形で発揮すると考えられます
二十四節気の雨水の日に魚座1度については以下のように考えたところでした
(PISCES 1 °): IN A CROWDED MARKETPLACE FARMERS AND MIDDLEMEN DISPLAY A GREAT VARIETY OF PRODUCTS.
(私訳):ごった返した市場で農夫と卸売人が非常に多くの品々を陳列している。濃密にすべての存在とつながり合っており、多様な価値の交換が可能です
けれども、そこにある関係性というのは刹那的で希薄なものであるとも言えますしかしながら、そこで互いに交換されるものが個々の人間が霊的成長の成果として得た、魂の収穫物なのだとすれば、それは霊的な内容物に満ちた生きた魂のエッセンスとして、永遠に交換者の魂に宿るものかも知れません
あまりに多くの者とつながり得る集合的な状態が、ごった返した市場として表現されているのだと感じられます
映画で見る外国の中世の市場の風景のように、得体のしれない幻想的な雰囲気も持ち合わせているようですこの人にとって、他人と感じられるような人は誰もいないのかも知れません
一方でそのうちの誰とも、相互を契約や所有といった概念で語られるような、現実的感覚の強い関係性は結べないのに違いありませんしかし、魂同士がつながっていることが何よりも価値の高いことなのであり、信仰というものは、正しく物質を超えた世界とのつながりであるのに違いありません
この時は他者との関わりということを焦点に読みましたけれども、今注目しているイメージ形成力という観点から考えを広げてみたいと思います
魚座の影響の強い方と言いますのは、天賦の才を持った方が多く、苦心や努力で何かを身につけるという形ではなく、見えない世界からダイレクトに力を引き出して来ていると感じられるところがあります
シンボルにあるごった返した市場というのは、種々雑多なイメージを自由に調達できる集合的無意識の世界観を表していると感じられます
そして、そのイメージの力を現実世界へ引き出す際のキーポイントとして、イメージ形成力という部分に着目をしている訳です
野球選手としての長嶋茂雄さんをご存じの方は、長嶋さんがプレーのすべてを入念なイメージにより作り上げていたことをよくご存じであろうかと思います
三塁手として一塁への送球をどのように投げたら格好がいいか(送球を格好良く見栄えのいいものにするには、投げた後にその指先を伸ばしたままヒラヒラ~っとさせるということだったかと思います・・・)、また、三振するときにどのようにすれば格好良く見えるか(わざと帽子を振り落とす格好で大げさに身体を捻って振り切るとダイナミックで見応えが出るとか・・・)など、およそすべてのプレーをイメージによって作り上げ、結果として記録よりも人々の記憶や印象に残る数多くのプレーで国民を魅了して止まなかったのでした
その集大成的出来事と言えますのはやはり、天皇陛下が照覧される天覧試合において、サヨナラ本塁打を放ったことと言えるでしょう
長嶋さんというのは、ここぞという場面で必ず素晴らしい活躍をして見せる、ヒーローを画に描いたような方であった訳ですけれども、長嶋さんというのは、見せ場で活躍するご自分のイメージを普段から常に思い描きながら練習をされていたと聞きます
また、ご自分がすべてイメージに基づいた方法で技術を身につけていたので、人に教える時には、「ボールがビューンと来たらバーンと打てばいいんだよ」といった、論理性の欠片もないようなアドバイスの仕方しかなされなかったとも聞きます
また、魚座特有の天然ボケのエピソードにも事欠かない方であるわけですけれども、これは魚座の強い方全般に言えることですが、あまりのイメージ力の強さに、イメージしたことと現実との間に混同が生じてしまうようなことが頻繁に起きてきます
つまり、周囲の人達が認識して共有している現実の世界とは異なる、異次元的なイメージの世界に常駐している部分がありますので、絶えずその間でギャップが生じ、その部分がズレていて滑稽と映る訳です
長嶋さんはその中でも魚座1度の太陽ですから、ある時には、試合前のバッティング練習を終えた段階で満足しきってしまい、そのまま試合のあることを忘れて風呂に入ってしまったこともあるとか、とにかく「ウソでしょ!?」というようなエピソードを豊富にお持ちになられています
長嶋さんは魚座1度に出生太陽をお持ちであるだけではなく、他にも火星と土星が魚座に入っているため、この魚座の要素は大変に強調されていることになります
特に、スポーツ選手ですから火星が魚座にあるということが、身体を動かすことに関してイメージを的確かつ迅速に運動神経を通じて体現することができる、ということに繋がっていると考えられるでしょう
加えて、物事を形として結実する力としての土星も太陽と共に魚座にあることで、イメージしたことを着実に実現化する力をも持っていた、というようにも言えるでしょう
では、このスポーツ選手としての素晴らしい運動能力を表していた火星のサビアン・シンボルから見てみたいと思います
(PISCES 29 °): LIGHT BREAKING INTO MANY COLORS THROUGH A PRISM.
(私訳):光がプリズムを通ってたくさんの色に分かれる。
また、対向する乙女座29度は次のようです
(VIRGO 29 °): A SEEKER AFTER OCCULT KNOWLEDGE IS READING AN ANCIENT SCROLL WHICH ILLUMINES HIS MIND.
(私訳):オカルト知識の探求者が彼の心に灯りを灯す古代の巻物を読んでいる。
29度は9関連の数字であり、一桁最後の数字として迎える一種の危機的状況に際して老賢者が放つ叡智とともに、次のサイクルへの移行を考えはじめる再生というキーワードを持っています
乙女座においては叡智の光が自己の内的世界の内奥に求められるのに反して、魚座で示されるのは光の叡智が分散し、応用的な知性へと変化した瞬間です
この魚座29度で示される叡智の応用的知性への変換というのは、実は魚座の次のおひつ座における地上的世界への再生がここで志向されているということになります
あの世的な世界にある原型的なエネルギーを、この世で実際的に活用できる応用的な知性に変換するということは、この魚座29度にある火星というのが、瞬間的閃きであらゆるパターンの行動をイメージ化するとともにそれを行動の上で速やかに実現できる能力を持っている、ということになります
つまり、運動に関して瞬発的に臨機応変的な行動を取ることができるということになります
イメージの形成力とその実現力という素地の上に、運動に関して機敏に事態に即応する能力をお持ちであったことが、歴史に名を刻むアスリートたらしめた、ということが言えるのではないかと思います
続きまして魚座12度にある土星です
(PISCES 12 °): IN THE SANCTUARY OF AN OCCULT BROTHERHOOD, NEWLY INITIATED MEMBERS ARE BEING EXAMINED AND THEIR CHARACTER TESTED.
(私訳):オカルト結社の聖壇で、新しい加入メンバーが彼らの資質を確かめるためにテストされる。
この度数はある意味で極めて慎重さを表すものです
魚座というのは、自分に取って好ましイメージの世界に浸りきる為に、実は極めて厳しい選別を行わなければならない部分というのもあるのです
基本的にはお人好しで無私的ですけれども、イメージの世界とのつながりが強い魚座の人がこの世的に自分自身を保つ上では、自分を害したり損なうものに対しては、厳とした排他的態度を取らなければならないという側面があります
土星は自分を形作る枠であるとともに、外の世界から自分を守る枠でもあり、この魚座12度にある土星は、自分のイメージの世界を固く守るための楯として峻別を行うということになります
要するに自分のイメージにそぐわないものをすべて払いのけることによって、信念と化しているイメージ世界の強固な理想像というものを死守している訳です
ですから、長嶋さんはどこかで好き嫌いの激しいところがある筈であり、自分に合わないものに無理をして自分を合わせようというような努力には一切関わらないという姿勢をお持ちではないかと考えられます
この土星は、牡牛座3度にある天王星とオーブ1度以内で51.43度のセプタイル、そして、蟹座26度にある冥王星とやはり1度以内のオーブで135度のセスキ・コードレートを形成しています
天王星とは太陽もセクスタイルを形成しており、こちらでは閃きの良さというものが与えられていますけれども、土星に対する7分割に関わるセプタイルは、尋常ではないミラクルな素晴らしい結果や成果というものを自分自身に強く期待して止まないことになるでしょう
分かりやすい言い方をすれば、行動の結果として、それが非常に目立つような結果をもたらすことを強く期待する気持ちがとても強い、ということになろうかと思われます
冥王星から土星へのセスキ・コードレートは、8分割関連であるとともに冥王星との絡みですので、完全で完璧な仕事をしなければならないとの非常に強い強迫観念的な責務感があるのだ、と考えられます
一見、ひょうきんでお調子者のようにも見えるかも知れませんけれども、人がアッと言うような素晴らしい最高の成果を上げることに対しては、相当なストイックさというものがなければ、常にそのような結果を出すということはあり得ない、ということが言えます
つまり、何処かで自分をとことん追い詰めて、例えば天覧試合のこの場面で、俺は絶対にさよなら本塁打を打つんだ~、という相当の強力な追い込みをご自分に掛けているという部分があればこそ、イメージしたミラクルな場面を本当に実現化させることができるのだ、ということになります
長嶋さんのホロスコープの中では3つの天体が入って強調されている魚座についてだけ見ましたけれども、一番大切な太陽と運動選手として一番重要な火星が入っているという点で、ここまで見ればもう十分であろうかと思われます
そして、すべてをつなぐキーポイントは魚座的なイメージ力の強さですけれども、イメージ力とはそもそも一体何でしょうか
愚にもつかない妄想の類いであれば、誰でも始終行っている筈なのに、それによって素晴らしい成果を引き出せる人とのイメージ力の違いとは何なのでしょうか
それは一つには、魚座が全体の中で強調されていてそこに太陽があるような方にとっては、現実よりもイメージの世界感の方に比重が置かれているのです
普通の方の妄想というのは、単なる現実逃避の最も安易な手段に過ぎません
けれども、イメージの世界が現実世界より尊重すべき真実の世界であると認識する魚座タイプの方にとっては、イメージされている自分像にこそ、自己の真の価値があるものと感じられており、そのため非常に真剣にまじめにイメージ化と向き合っていると考えられます
魚座的な人の中では、自己の抱くイメージというのは一種の神聖さ持っているのだと言ってもよいのかも知れません
そこが普通の人の単なる妄想や空想とは根本的に異なるのだと感じられます
加えていうならば、イメージを実現化するためには、イメージが欲しいままに連想されるのではなく、ある統一的な目的や方向性に基づいて、それが体系づけられ、組織化されていることが必要である、ということになります
そのようにして、イメージしていることが自分にとってあたかも現実であるかのように認識されるレベルにまで高められていなければ、そのイメージが実現することはないのだ、ということが言えるでしょう
ということで、今日も楽しい魚座的世界の探訪に少しだけ浸ってみました