太陽のサビアン・シンボル
個人の出生図における太陽のサビアン・シンボルを読みますと、その方のアウトラインを何となく掴むことができると感じることが多いので、そこを手がかりとして読み進むことが多いです
サビアン・シンボルというのは、季節との関連性が非常に強いものとして個人的には感じられますけれども、人間が地上的生命として誕生した刹那にはじめて呼吸を行うその空気中には、その時の季節的な雰囲気というものが濃厚に含まれているのであろうと感じられます
それはこの世に生まれてきた者が、地上において最初に抱く強烈な印象として、その脳裏に鮮烈に刻みつけられるようなものであるのに違いありません
日々、サン・ゲイジング(太陽凝視)などを試みていますと、太陽の沈む位置や高度というものは、意外なほど日々刻々と大きく移り変わっていくものとして感じられます
二十四節気では一年を24つに区切り、ほぼ15日ずつの明瞭な季節の変化について教えてくれています
けれども、極めて繊細な心をもって観察をすれば、季節というものは1日毎にさえ、移り変わっているものがあると言って構わないように思われます
サビアン・シンボルは、正しくそのような季節の差違的なものが、明確なイメージとして詳細に書き分けられたものである、と考えもよいのではないでしょうか
ここで太陽というものについて、それは我々がこの地上における生命活動を行う上で、まず第一に欠くべからざる存在である、ということに思いを馳せることが必要と考えられます
生命活動を行う上においては、第1に空気が、そして第2として水というものがあげられるかと思いますけれども、それらは人間の中核部分を為している精神にではなく、肉体や生理的機能の維持や活動に際してより重要なのものに過ぎない、ということが言えるのではないでしょうか
しかし、人間が人間足ることの証としての精神活動に最も多大なる影響を与えるものは、やはり太陽に他ならない、と言うことが出来るでしょう
太陽の高度や寒暖の違いというものが、人間の思考に与える影響というものは、実に多大なものがあると日々実感されます
冬に向かい行く季節と春に向かい行く季節においてとでは、同じ人間であってもあたかも別の人間ででもあるかのように、気分も考え方もまったく異なってくるものです
勿論、占星術で取り上げているような、すべての天体が人間の精神活動には必要となるでしょう
けれども、太陽はその中においても群を抜いて我々を我々たらしめている根源的な存在であり、我々個々の人間生命のベースとなっているものだ、と言うことができるのではないかと感じられます
ですから、人間が生まれた時に太陽があった位置と、その人間の生命のベースとなっている部分との間には、極めて密接なリンクが存在しているのだ、と言えるのではないかと感じられます
個人において発揮されているキャラクターのうち、表だって現れているものが太陽であるとは限らないものの、生命という次元において、根底部分でその活力を付与しているのは太陽に他ならない、と考えるべきでしょう
出生太陽のソーラー・リターン時には、自分の地上における生の始まりにおいて呼吸された季節の息吹であるとともに、地上での自己を自己たらしめている根源的なエネルギーの態様を直接的に感じることができるということになります
一方で、進行図におけるプログレスの太陽が示すサビアン・シンボルのテーマというものには、人生の展開というものが示されていると考えられています
人間は母親の胎内において、原始的生命体としての姿にはじまり、ありとあらゆる生命の進化の形態を辿ります
とても短い十月十日(280日)の間に、地球上における5億年分もの生命の旅をするのです
それと同じような意味合いで、生後の数日から数週間の間に赤ちゃんが経験する様々な物事というのは、我々成人の有している時間感覚に比すれば、極めて膨大な量の経験をしているのに違いありません
残念ながら我々はそれらのことを決して記憶している訳ではありませんけれども、その時に経験から受けた無意識下の印象というものが、その後のその人間の人生を形作っていく青図となるようなことはなくはなさそうに思われます
はっきりとした意識の芽生えのない、混沌とした無意識世界において赤ちゃんがこの世的なものとして最も印象づけられるものは、季節感を伴った太陽が与える生命エネルギーではないかと思われます
生まれ出た赤ん坊というのは、それまでは母親の胎内で依存的な形で生命を保っていたのに過ぎませんけれども、一旦産み落とされた瞬間からは、自分の主体的な力で呼吸や飲食を行い、まったく独立したひとつの生命体システムとして生きなければなりません
赤ん坊がそのような自律生命体としての活動を開始し、ごく基本的な生命維持力を安定的に獲得するのには、一定の期間を要することは間違いないでしょう
その最初の期間に、太陽が地上に降り注ぐ生命エネルギーの取り入れということが、極めて重要な意味を持っているのではないかということを考えますけれども、肉体的な意味での生体システムの確立ということと並行して、人間である以上においては独立した精神体系の骨格部分というものも、その間に形成されるのではないか、という気がします
そうしますと、生まれた時を起点として、一定期間の太陽の進行状態というものが、その個人の精神的な基本パターンとして刷り込まれることになるということがあってもおかしくはなさそうに思われます
ともかく、そのような捉え方をすることで、進行太陽が持っている意味というものについて、何となくですけれども、掴めそうな気がしなくもありません
わたしの進行太陽のサビアン・シンボルは、今月末に魚座の28度へと移行します
すると、わたしがその先1年間に経験しようとしているものは、生まれてから同じ日数分を経た時に感じていた雰囲気の中にあるものと密接にリンクしているのかも知れないということになります
プログレスの太陽の度数には、人間が生まれ出た時から数十日間の間に感じ取った、自身の生命の発展的成長に関するもっとも初期的な原体験が濃縮されていると考えますと、毎年迎える進行太陽の度数が持つ意味合いというものにも深いものが感じられるように思われます
今月末に進行太陽が魚座28度へ進むと申しましたけれども、来週18日には進行太陽と経過太陽が合する進行太陽のリターンがあります
しかし、この時には既に魚座27度の時期というのは残すところ十日あまりしかないことになります
ですから、リターンの翌日に迎える魚座28度の太陽の雰囲気を直接的に体感して味わうことの方に意識を向けた方が良さそうに思われます
そもそも進行太陽のサビアン・シンボルというのは、わたし個人としましては、象意の内容が前年や翌年とオーバーラップして感じ取られることが経験上多いと感じられています
サビアン・シンボルの読み方につきましては、通常はピンポイント的にその度数の特有性を強調した形で読みますけれども、進行太陽のそれのように、年を追って連続性を持って推移していくような場合には、少し引きでマクロ的に考え、前後の流れというものをより意識した方がよいように感じられるところです
たとえば、わたしの場合、既に魚座の終わり頃の時期に来ていますけれども、魚座は12宮の最後のサインであり、その最後の方の度数であるということは、1周365度の極めて長いスパンのひとつの流れが終わりに近づいて、次のまったく新しいサイクルの立ち上がりが迫っているのだ、ということを強く意識しなければならないと感じます
この魚座から牡羊座への移行というのは、7年前の東北大震災が起こったときに、変革の星である天王星がちょうどこの時に魚座30度の最後の方にあり、正に新しいサイクルに突入する極めて直前の状態にあったことは有名な話であろうかと思います
要するに、新しいサイクルの立ち上がりに際しては、古いものが一掃されてしまうような、激しい変革やショックというものを経験する可能性があるということになります
それを予め防ごうと意図するのであれば、魚座の最後の方の度数において、きちんとサイクルの締めくくりということを意識して、手放すべきものを手放しておくことが非常に大切であるということになるでしょう
わたしは既に職業を手放しましたけれども、それ以外にも、新しい第2の人生のスタートへ向けて、要らなくなったものはないかと、そういうこともよく振り返ってみたいと感じているところです