進行太陽の移動 魚座28度

本日、わたしの進行の太陽が魚座の28度へと進みました

進行太陽の移動につきましては、その日を境に截然として何かが切り替わるような性質のものという様にはあまり考えていないのですけれども、やはりこうして特別に意識をしてその日を迎えますと、新たな感慨というものが湧き起こってくるように感じられます

28度というのは、そのサインらしさというものが純然として残る最後の度数であるとともに、そのサインの最も完成され円熟した内容を持っているものとして感じられます

昨日まで進行太陽のありました魚座27度は、「仲秋の名月が秋めいた澄んだ空を照らしている」ということで、これは先月に新月が起きた場所でもあり、その際に、「古いサイクルの終わりと新しいサイクルの立ち上がり」であるということを申し上げました。

魚座と言いますのは、やはり12宮の最後のサインであり、基本的に物事をこの世的次元において解体・溶解・解消することで、霊的な次元へと還元していく作用がメインであると感じられ、それが27度においては一切を捨て去り切って、自己の本質部分である内的な光の世界に回帰しようと切実に願うのだと感じられます

さて、それでは次の魚座28度において、わたしの人生はどのような展開が期待されるのかを考えてみたいと思います

(PISCES 28 °): A FERTILE GARDEN UNDER THE FULL MOON REVEALS A VARIETY OF FULL-GROWN VEGETABLES.
(私訳):よく熟れた種々の野菜が、満月の光によって照らし出されている、豊穣な庭の畑。

27度において魚座的な理想を徹底する姿勢というものがあり、そこで求めた境地のただ中から今度は世の中を見渡します

豊穣な庭の畑というのは、無論大きな農地などではなく、自分の家の敷地にある、さほど大きくはない菜園でしょう

そこに、よく熟れた様々な野菜が月の光によって照らし出されている訳です

その光景と言いますのは、自分の心の世界のもっとも奥深いところにおいて、自身が本来持っている清浄さと豊かさとが、霊的な眼差しによって浮かび上がって見える、というものではないでしょうか

言わば自己の霊性や魂が持つ侵すこと能わざる神聖な働きというものに自身で気づくに至る、あるいはそれをまざまざと実感する、ということであると感じられます

対向する乙女座28度は、「力を掌握したスキンヘッドの男」であり、ここでは実務的遂行能力が完璧さに至る段階です

乙女座におけるこの世的な個人的能力の最も成熟した完璧なあり方と、魚座における人間の持つ神聖な霊魂の持つ完全性が対極をなして軸をなしています

実は、わたしの出生火星はこの乙女座28度にありますので、現在の進行太陽とは180度のオポジションを形成しています

そうしますと、進行太陽が現段階における人生展開の実現を図ろうとするとき、この出生火星の持つ能力が大いに刺激を受けて活かされる、と言う可能性が考えられることになるでしょう

霊的な聡明さと実務能力の完璧さが補完し合って物事を成就すると言うのが、この魚座と乙女座の28度において形成される軸であり、霊的世界の理想がこの世的実務能力によって実現されるというのは、ちょっと考えるとすごい意味合を持った軸であると考えられます

そうしますと、わたしの場合は27度で実際に社会的ステータスを捨て去った訳ですけれども、そうした中から自身が本来持っていた理想というものが内的世界に立ち現れてきている訳です

そうした内面で感じ始めた理想に対して、今度はそれを実際に何らかの実務的な力によってこの世的に実現させる、ということに取り組むというような展開になるのではないか、というように感じられます

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