5月21日「小満」 双子座のはじまり
21日の正午前に太陽は双子座にイングレスし、二十四節気で言う「小満」を迎えます
アーシングすることの重要性に気づいて、家の至る所でアース線と自分の身体とを繋いで常時身体をアースしながらの生活をはじめましたので、体調はすっかりV字の超絶回復をしたところですが、PC作業を頻繁に行うようになって以来、特に3月からは深刻な自律神経失調症状に悩まされていたため、その間は季節を楽しむ間もなくあっという間に過ぎ去ってしまいました
そして明日からは風の柔軟サインである双子座に突入します
「小満」の意味するところは、「万物 盈満(えいまん)すれば 草木枝葉繁る」ということでありますので、牡羊座において勢いよく生命力が息を吹き返し、続く牡牛座において生物が根幹的な土台部分の成長を充実させ、更に双子座においては「枝葉」的部分の成長が見られる、ということなのだろうと考えます
人間で言いますと、牡羊座は躍動する生命エネルギー、牡牛座は身体の根幹をなす胴体と五感の発達、続く双子座においては、発達した身体や五感を活動的に駆使することで自己の基礎的な能力を育むとともに、外界の状況について自分で独自に調査探索して、物事の基本的な意味や価値を見出していこうとする段階でしょうか
ひとつ前の牡牛座は押しても引いても動かない、牡牛のような頑固さや臆病さを持っていましたが、そうした一見消極的な内向性から、今度は一気に外界へ向けて意識が勢いよく飛びだしていくということで、牡牛座のタメの強さが今度は陽に転じて双子座の外へはじき出される勢いの良さが生まれてくるのでしょう
牡羊座、牡牛座、双子座の3つのサインにおいて、人間は地上で生存していくための基礎的なものをすべて獲得し、数霊的に言えばこの三つは「ひふみ」という万物生成の最も基本的原理と照応していることになるでしょう
この段階では、発達はいまだ未自覚的であり、また、それ故に人為的ではない神的な要素を多分に含んでいると感じられ、人間の成長段階における無垢で純真で汚れを知らない時期と対応していると考えてよいのではないでしょうか
人間と言いますのは、完成されればされるほど実際には完全さというものからは遠ざかり行く一方であり、反対に未熟であればあるほど、本来の神的な完全性と親和しているものではないでしょうか
わたしは双子座には天体を持ちませんけれども、太陽は水瓶座、月は天秤座というように、主要な2天体が風のサインですし、天体はないと言っても、ノードとバーテックスという重要な感受点が双子座にあります
(GEMINI 1 °): A GLASS-BOTTOMED BOAT REVEALS UNDERSEA WONDERS.
(私訳):ガラスの船底を持つボートが海中の神秘な情景を目の当たりにして見せる。
双子座の持つ潜在性のすべてを物語るこの1度において、双子座の未知なる世界への飽くなき好奇心と探求心とが示されています
双子座というのはわたしは近未来的要素を多分に持つ、ということが言えるように感じられます
牡牛座という現在への固執から、強い反発で未来へ向けた好奇心が解き放たれているように感じられます
参考に、対向する射手座の1度も見てみましょう
(SAGITTARIUS 1 °): RETIRED ARMY VETERANS GATHER TO REAWAKEN OLD MEMORIES.
(私訳):古い記憶の数々を呼び起こすために集まる退役軍人たち。
射手座と言いますのは、このシンボルの内容が表しますように、ある意味では非常に過去的な生き方を志向していると言えるのではないかと感じられます
そして、勿論この双子座の近未来志向と射手座の過去的生き方との間には対比が存在します
双子座は自然の中からその法則性を明らかにする発見といった内容に富んだ基礎科学的なものの追究であるのに対して、射手座が追究しているものはどこまでも応用科学的なものである、といったことも言い得るのではないでしょうか
双子座にとっては、はじめて目にする新奇な好奇心を強く刺激するものに惹かれるのであり、知の欲求を満たすための冒険心には、自分を省みることのない純真さがあり、その先にある危険性というものはあまり意識されていません
危険を承知で突き進む向こう見ずな冒険心というものとは違い、子どもが好奇心に従って無邪気に前後を考えることなしに対象物へと突進していくようなもので、それが周囲の大人から見ると非常に危険のただ中に踏み入るような危うさとして目に映ります
双子座の知性は近視眼的な集中力がある反面、近くの物しか意識できないという欠点がありますが、射手座というのは反対に極めて遠視的であり、卑近な小さな物事に拘ったり躊躇したりしない鷹揚さを持っていると言えるでしょう
この近視眼的と遠視眼的といった表現は、双子座と射手座の知性を表すのに結構打って付けの表現なのではないかと思われます
夏に向かって季節は愈々生物の繁栄の極みへ向けて勢いを増していくでしょう
新緑の持つ初々しく清々しい姿というものは、いつ見ても新鮮に目に映るものです
射手座辺りから始まる冬の季節と言いますのは、肉体や物質といった目に見える世界から言えば、生き物が死に絶えることから過去を振り返って生きるしかない死の世界であり、そこではすべてが同じ事の繰り返しのように感じられるところがあるように感じられます
晩秋の持つノスタルジックな雰囲気と言いますのは、目に見える世界に死が訪れ、最早過去の世界の回想に生きるしかなくなってしまった時に感じられる郷愁の情であるのかも知れません
悲しみと言うのは常に同じ顔を纏って訪れるものであり、喜びと言うのは常に新鮮で活き活きとした表情で訪れるものです
今は生命が喜びの表情で活き活きと躍動している季節です
あまり後先を考えずに、只今の一瞬に喜びや楽しみを見出して生きることが、この双子座の季節らしい過ごし方になるかも知れません