6月14日(双子座23度)の新月 ~出生のノード上で起きる新月の意味~
明日14日の午前4時半過ぎに今月の新月が双子座の23度で起こります
その新月が起こるサビアン・シンボルの度数を読もうと思ってから、つい先日自分の出生のノース・ノードの度数を読んでいたこともあり、はたと今度の新月は自分のノース・ノードの度数で起こるのだということに気づきました
ノードと言いますのは、太陽の軌道である黄道と月の軌道である白道が交わる交点ですので、自分の出生のノードと同じ度数で経過の新月が起こるということは、わたし個人にとって極めて深い意味のある事象として関わってくる可能性があるのではないかと感じられます
ノードは、プライベートな範疇を超えた集合的な事象に関わるポイントであり、比較的身近な集団に関わってくるようなポイントであると考えられるところです
経過の新月がこの個人のノードのポイント上で起こるということは、明日の新月によって生じる世間の人々の心理的な変化の波に、わたしのノードが完全にリンクして密接な動きをすることになるということになります
ノードそのものが周囲の人々との関わり方に関する感受点であることを考えれば、わたしという人間の世間の人々との関わり方において、極めて重大な変化が生じてくることになる可能性がある訳です
確率的に言えば、極めて簡略的な考え方をしますけれども、新月が起こるのが年12回として、単純計算で360度すべての度数で新月が生じるには30年を要することになり、その程度においての希少さを持ったイベントであるということができるでしょう
しかし、先月双子座に入った際に、自分の出生図の双子座にあるノードについて何の気なしに読んでみようという気になったのですけれども、考えて見れば何故あの時に唐突に自分の出生ノードに焦点を中ててみたいという動機が生じたのかは不思議なところがあります
自分でも何で今自分はノードについて書きたいと思ったのだろうと、漠然と腑に落ちないものを感じつつ書いたのですけれども、要するにその度数ですぐ後に新月を迎えていることを自分の中の何処かで敏感に感じ取っていたのだというように今の時点では感じられるところです
双子座23度の度数につきましては、先日書いた記事を抜粋して引用します
(GEMINI 23 °): THREE FLEDGLINGS IN A NEST HIGH IN A TREE.
(私訳):木の高いところの巣にいる3羽の雛。双子座23度につきましては、手の届かない高い木の上に作られた鳥の巣にいる3羽の雛に対して、双子座の持ち前の好奇心が強く刺激されています
巣の中の雛たちは互いに生存競争をしていますので、この3羽のうちの何れかの雛は巣から落っこちてしまう運命にあるというのが、インスピレーションで閃いてきたイメージでした
要するに、その落ちてきた雛だけが、双子座の好奇心を満足させる研究対象となる訳です
双子座は何に対しても好奇心を抱きますけれども、それらを知的に深く探求するためには、対象をひとつに絞り込むということも必要な訳であり、ここで双子座は自分の得意分野や興味の対象分野というものをひとつに絞って選択することになります
この度数では人間の知性的な側面に刺激が与えられ、特定の分野なり物事なりに対する世間の興味や関心が強く向かうようなことが考えられます
そして、ここにノース・ノードを持つわたしは、何らかの形でその世間の関心事となる物事に関して、人々と関わりながら深くコミットすることになるというようなことが想定されます
新月は毎月起きているものですけれども、今回の場合のように黄道と白道の交点という、太陽と月の相互作用に極めて密接に関わる個人的なポイントにおいて迎える新月の影響と言いますのは、おそらく相当な長い期間において及んでくることとなり、人生上の大きな展開に関わってくることにもなる可能性を含んでいると考えられます
加えて言いますとわたしの出生のノース・ノードと出生の月はトラインであり、今回の新月の起きる場所も1度未満のオーブで出生月とトラインであることも、この新月の与える個人的影響を強めることになるだろうと感じられます
また、今回は経過の天王星が牡牛座2度にあり、新月を迎える太陽と月に1度未満のタイトなセプタイル(51.428・・・度)を形成する点にも注意を向けるべきであろうように感じられるところです
この7の数霊に関わるセプタイルは、異次元(もしくは異文化や異国)からの影響を強く注ぎ込むようなことに関係してくる可能性があると考えられ、世間で高まる関心というのは、何か国際的な事象であるか、もしくは異星人!?というような場合もあるのかも知れません
天王星自体が、それまでに存在しなかったものを出現させるような画期的な変化をもたらすものであり、個人的に言えば次元転送に関わるような働きを持っているというように感じられるものです
Wikipediaによれば、ウラヌス(ウーラノス)は、全宇宙を統べる神々の王であり、無数の銀河系が散りばめられた宇宙を常に身に纏っている、とあります
要するに宇宙を統べている存在であるから、次元転送的に他宇宙に存在するものをこの地球にポッと出現させることができるのだ、というのがわたしの個人的な感じ方としてあります
<Wikipedia引用>
ウーラノス(古代ギリシア語: Ουρανός、Ouranos)は、ギリシア神話に登場する天空神である。全宇宙を最初に統べた原初の神々の王とされる。果てしなく巨大な体躯を持ち、無数の銀河系が鏤められた宇宙を常に身に纏っている。ウーラノスとはギリシア語で 「天」 の意味で、天そのものの神格化である。
この新月が天王星とタイトなセプタイルの状態で迎えられることは、二重の意味合いで極めて異次元的というか、常識が大きく覆されるような働きが生じることが予感されるところです
新月にセプタイルする天王星は牡牛座の2度にあります
(TAURUS 2 °): AN ELECTRICAL STORM.
(私訳):雷の嵐。
2という数霊は、1に続いてはじめて登場する偶数であり、極めて強い受容性を持っています
特に不動サインの2度は何れも障害の前に立ちすくむように身動きのとれない情景が示されています
獅子座2度:おたふく風邪の流行。
蠍 座2度:繊細な香水の瓶が割れてその香りが辺りに漂っている。
水瓶座2度:予期されなかった激しい雷雨。
この2度においてはまだ行動は許されておらず足止めをされている状態です
その間にじっと身を潜めるようにして静かに周囲の様子を伺って観察することが必要であり、それが次の3という極めて能動的な段階で前へ飛び出していくために必要となるエネルギーの蓄積となります
「雷の嵐」というイメージの中には、牡牛座において発達的である視覚や聴覚によって危険を察知しようという臆病で慎重な態度が、まず行動に先立って見られる、というように感じられます
この段階では状況の見極めが大切であり、必ずしも危機的な状況でなくとも、一応危険があるものとして慎重な態度で自己の安全性の確保に意識が向けられるでしょう
臆病な小動物が、自分の巣穴の中から外へ出る際に見せる用心深さというものをイメージすればよいのではないかと感じられます
そこに天王星があるということは、未知なる危険性というものに対して世間の関心が向くというようなことも考えられます
その状況が必ずしもネガティブな出来事に結びつくと言うことではなく、何かしら未曾有の危機的なものが意識されることによって、それに対する対策に新たに関心が向けられるというようなことかも知れません
例えば、他国による細菌兵器によるテロに対する対策が意識される、というようなことかも知れませんし、もしかしたらまったく反対に想定外のハッピーな出来事が予想される、というようなことになるのかも知れません
ということで今日はこの辺でお終いにしたいと思います