24節気「大雪」&3回目の16度の新月
明日の12月7日は24節気の「大雪」、そして連続して7度起きるサイン16度の新月の3回目ということになります
①2018年10月9日 天秤座16度 「寒露」
②2018年11月8日 蠍 座16度 「立冬」
③2018年12月7日 射手座16度 「大雪」
④2019年 1月6日 山羊座16度 「小寒」
⑤2019年 2月5日 水瓶座16度 「立春」
⑥2019年 3月7日 魚 座16度 「啓蟄」
⑦2019年 4月5日 牡羊座16度 「清明」
もう12月ですし、ここ九州でも平野部で降雪があってもおかしくないような時節となりました
さて、射手座16度というサインの折り返し点であり一種の反省点でもあるこのポイントにおいて、どのようなことへの気付きがあるのでしょうか
(SAGITTARIUS 16 °): SEA GULLS FLY AROUND A SHIP IN EXPECTATION OF FOOD.
(私訳):餌のおこぼれを期待して船の周りを飛び回るカモメたち。
ただでさえ楽観的でご都合主義が極まったような射手座ですけれども、この折り返し地点では更に、「状況を上手く利用する」といった点に気づくのだと感じられます
これは楽天的な射手座らしさの真骨頂といってもいいようなひとつの新たな発見というように感じられます
この「大雪」を迎えるポイントでは、いよいよ目前に迫ってきた冬の厳しい寒さに対して、どのようにして生命を守り行くか、ということが非常に切実な課題となってきます
そこでは、あまり細かい事柄には頓着せずに、身近に利用できるものは何でも利用して凌ごうという、節操などには構っていられないような状況というのも出てくるでしょう
射手座は目についたブーツやコートやマフラーが、誰のものであっても頓着せず、とにかく寒さを凌ぐために躊躇わずにそれらを利用してしまうような無頓着なところがあるでしょう
しかし、厳しい環境下において生命を守りゆくという大義を射手座は持っており、その極めて大切な目的を果たすためには、あまり細かい事柄に頓着している訳にもいかず、なり振り構っていられないようなところもあるのではないかと感じられます
射手座は1度において、「古い記憶の数々を呼び起こすために集まる退役軍人たち」ということで、人類の様々な経験を通じて生き抜くための新たな叡智を得ようという、ある意味では非常に高尚な精神的態度を持っていました
しかし、現実の中で命を守りゆく上では、射手座的な高邁な哲学的・宗教的な知恵よりも、実際には取りあえず何でも利用できるものは利用する、という極めて現実的な対処も必要であることをここで悟るということになるのではないでしょうか
非常に尊大に構えてはいるけれども、実際にやっていることにはどこか姑息さや浅ましさに通じるような部分も垣間見える、といった射手座的な態度の特徴というのは、権威ある学者や司祭などの射手座的立場の者においても普遍的に見受けられる傾向ではないかとも感じられます
しかし、「背に腹はかえられない」という諺は、厳しい環境下に生きたことのある人間にとっては身にしみる教訓であるのではないかと感じられます
我々にとって、最も大切に守りゆくべきものとは何なのか、ということをしっかりと見据えた上で、時にはつまらない見栄や体裁などは度外視して、生きる上での図々しさや厚かましさを遺憾なく発揮するような態度をとるようなことが、非常に大切になってくる状況が人生にはあるということです
そのような形振り構わぬ厚かましさによって、自らの生命力を最大限に発揮するということが、高尚で尊大な一面を持つ射手座において、折り返しのポイントで新たに獲得した現実を生き抜く上での知恵の一つと考えられます
要するに、射手座というのは精神的な高尚さと現実主義的な狡猾さとを併せ持っており、それは半人半獣の姿として描かれるケンタウルスが持ち合わせる精神性と獣性との両極的な2面性と通じているものなのだ、と理解することができます
そして人間という存在自体が、宇宙的な精神的側面と地球的な肉体的側面との両極性を持ち合わせた存在であるのだ、といった事実があらためて意識されてくるところです
さて、この新月においては、本音と建て前の使い分けというように、あまり観念に縛られすぎずに、実際的な物事に対してもそれなりの尊重をするという、日本人らしい地に足の着いた逞しい生活力、といったようなものを取り戻すことを考えてはどうか、というようなことを感じました
世の中が小綺麗になり、建前の部分のきれい事の存在感や影響力ばかりが肥大し、人間として自分の本音の部分というものが埋没してしまい分かり難くなってきているような面もあると感じます
そうした状況下で人は一種の疎外感を味わい、生きるための活力を失ってしまい、精神的に脆弱な状態に陥るのではないでしょうか
他人のおこぼれでも、ただでもらえるものは何食わぬ顔でもらって済ましているようなしたたかさ、というような部分を持っていてもよいのではないか、一昔前までの人間はそうした雑草的な強さを持ち合わせていたようにも思えます
日本では「釣りバカ日誌」とかフーテンの寅さんの「男はつらいよ」などのシリーズ物がかつてあり、非常に国民に親しまれ愛されたが故に、双方ともギネス級のシリーズ物となりましたけれども、これらは世の中のあるべき道からちょっと外れたような生き方をしている存在の価値というものに焦点を中ていますけれども、釣りバカの浜ちゃんもフーテンの寅さんも、人間としての無垢で純真な自己の感情というものに真っ向から向き合い、決してはぐらかさないような生き方をしています
食べることや他者に評価されることに躍起になって精神を疲弊させているような普通の人とは一線を画しているこれらの主人公の生き方は、そんなものより大切な物が人生にはあるのでは、と観客に問いかけています
サビアン・シンボルにあった餌のおこぼれにちゃっかりとあずかるカモメ達は、生きることにあくせくせずに優雅に羽を広げて心地好く海や空を堪能して見える訳ですけれども、どこかしら射手座の飄々としながら壮大な夢とロマンに生きる姿勢に通ずるものがあるのかも知れません
明日の新月においては、普段、自分が捕らわれて一生懸命になっているものに、果たしてそれだけの価値があるものかと問い直してみて、場合によっては要領よく手を抜きながら、人生においてより価値のあるものへと心を振り向けるような心のゆとりを持つ、というようなことを意識してみてもよいのかも知れません