タロット備忘録(20181213) ~自己拡大の欲求~
今日(12/13)一日のはじめに引いたもの
左下の現状にワンドの5
今回は自己拡大の欲求を示していると読みました
実は、今日目が覚めた時に、しきりに頭の中で、この自我は既に機能していない、新しい信念体系に基づいた新たな自我の構築が必要である、ということが強く何度か意識されました
自我というのは、肉体的機能と感情や知性などの心理的機能を総合的に統括して運用する、この現実社会で生きて行くためになくてはならない重要な精神的機能でしょう
世の中の多くの人がそのように思いなしている「自我=自分」という図式は、人間の本体は、あくまでも永遠不滅なる霊や魂であるとの観点に立てば、甚だ本質を見誤った考え方だということになります
自我というものは、或る個人の生存戦略が、或る時代の或る環境の中で有効に機能することを目的として構築される、人間の諸機能を束ねてコントロールする包括的な脳神経システム、とでもいうようなものかも知れません
自我というのは職業的特性を強く帯びたり、長男的立場や長女的立場といった、後天的社会環境の影響を大きく受けているものであり、それは人間が家庭的人間関係や社会環境の中で円滑に安定的な生活を送るために最適化された、人間の諸機能の包括的なシステムに過ぎないと感じられます
しかし一方で、自我とは人間性の最たる部分である霊や魂の意志を地上世界で顕現することを目的として構築される、愛と誠と調和を実現していくための精神機能である、という通常とはまったく正反対の動機から構築されるものとしても捉えることが可能と考えられます
聖書で言えば「人はパンのみにて生くるものに非ず」といった言葉が思い当たりますけれど、要するに人というのは本来的には、ただ食って寝るためだけに生きているのではいけないということであり、物質的満足だけではなく、霊性の満足こそ求められなければならない、ということになるでしょう
ちょっと話が逸れましたけれども、私は昨年脱サラをした訳ですけれども、それ以前の生き方において構築されていた自我というものは、多分に社会からの影響を受けていたものである筈であり、これまで生きていた環境を捨て去った今となっては、自我は一つのシステムとしてその形態を失ったわけではありませんけれども、それを駆動させる必要性がないので、徐々にエネルギーが注ぎ込まれなくなってきている状態にあると考えられます
自我は人生の目的と密接に結びついたものであると考えられますけれども、現在のわたしには、何々の為に生きようというような明確な目的はなく、加えて家族的な存在も一切ありませんので、これでは段々人間としての活動が低下していき、それが諸機能の低下にも繋がってゆきかねないような一種危機的な状態にあると言えるでしょう
退職から1年と3ヶ月が経過しましたが、これまで敢えて活動的に物事を行わなかったことには理由もあり、それは、従前の自我が機能しているうちに何かをはじめれば、形こそ違え、以前と本質的には代わり映えしない人生が引き継がれてしまう可能性があるということを考慮してのことでした
これまでの自我機能は現在の生活環境下では不活発になり、エネルギーが通わない、一種の抜け殻といった状態に近づいていっているのではないかと思いますけれども、そろそろ、新たな人生目的を明確にして、外に向けて活発な活動をするための自我を新たに構築しなければならない必要性というのを最近次第に感じるようになりました
頂上のカードはカップの6ですけれども、これは相応しいパートナーの出現といった意味も持ちますので、自己の霊性に基づいた理想的在り方の自我、というように今回は理解しました
霊的な自分とこの世的な自己とが、互いに似通った相応しいパートナーとして成立することは極めて理想的な在り方と言え、そのような形で新たな自我が構築されることは非常に好ましいこととして感じられます
内なる自己と現実的自己の双方が一致している姿、というようにこのカップの6を捉えてみてもいいのではないか、というようなことです
最後の右下にはコインの騎士が示されています
古い領土を捨て去って創造性に充ちた新たな大地を目指して旅している姿なのだ、と今回は受け止めました
コインの騎士は人生を生きるために必要な総てを持ちながら、すでに物質的次元に心はなく、自身の霊性を示す宙に浮いたコインに導かれながら、焦ることなく着実な歩みを進めています
そして、その手には創造性を表すワンドの棒がしっかりと握りしめられています
これは転生と比較しうるような、人生での新たな生まれ変わりを示す暗示とも受け取ることが可能と考えられます
ということで、霊的なレベルの本来的自己の意志を発現しうるような新たな自己の確立に向けて、今、新たなる自己拡大の欲求を持っている訳ですけれども、その実現のためには、少し外へ出てこれまでの人生における活動分野の外へ出て見聞を広めながら、腰を据えてじっくりと、しかし着実な態度で歩を進めていけるよう心掛けることが必要、というような感じで全体を受け止めた次第です