マツコ・デラックスさんのホロスコープ ~人生の岐路~

今日はマツコ・デラックスさんのホロスコープについて観てみたいと思います

1972年10月26日の朝8時頃にお生まれになったとのネット情報に基づいて観させていただきます

全体的には火地風水の中の風のエレメントが5つと突出しており、月も双子座ですので、キャラクターに占めるこの要素の持つドライでクールな側面は主要なものでしょう

また、太陽は蠍座にあり、水星も蠍座であることから、このサインの持つウエットさもまた主要なものです

マツコさんは同性愛者の方ということですけれども、同性愛者の方と申しましても、その原因や動機というものには、おそらく人それぞれに様々な要因が関与している筈であり、ステレオタイプにこれが同性愛者になりやすい配置です、などという風にはならないだろうと考えられます

けれども、同性愛者になられる方におかれまして、そのようになる要因の一つとして、その方の持つ女性性なり男性性という部分が剋されているケースというのが、パターンのひとつとして考えられるのではないかと想像するところです

マツコさんの場合は男性的要素に比較して、女性的要素が剋されているような印象を受けます

土星と月が合しており、土星は金星ともスクエアで月も金星も剋され気味の格好ですけれども、一方で男性要素の火星は土星とトラインであり、太陽も木星とセミセクスタイルと良好です

特に、同じ土星が火星を利している一方で金星を剋しているという辺りに、双方の性的要素のアンバランスさというものが感じられるように思われます

自分の内なる女性性というものが剋されていますと、女性に対する苦手意識が生じ安くなりますけれども、自分の母親が女性としての自分自身に対して抑制的な態度で振る舞われるような場合にも、男性として女性を求めるようなシーンにおいてストレートに自己表現が出来ず、どこか否定的で消極的にならざるをえなくなるものではないでしょうか

そうした場合に社会人として健全に振る舞う為には、女性との間にある自分の中の壁を取っ払うことが必要となりますけれども、女装という手段といいますのは、苦手意識のある女性との垣根を精神的に取り払ってしまう上で意外に有効な手段のように思え、それにより自らのコンプレックスが補償されることになるのではないかと考えます

また、女性性が剋され気味であり、女性との接触にストレスが感じられる一方で、男性性が良好な状態であれば、親しくなる相手としてもっぱら男性を求めてしまう、ということも起こりがちなのではないか、という気もします

以上はあくまでも個人的に想定するパターンのひとつであり、マツコさんや他の方々のケースが、皆必ずそのようなものだと決めつける積もりはありませんので悪しからず

また、マツコさんのホロスコープにおきまして、わたしが一番印象強く感じられましたのは、天秤座で天王星と合している火星が土星からもトラインを受けている点でした

火星はその人の言動や行動を司りますけれども、天王星と合した火星は非常にエキセントリックな自己表現や言動というものと結びつき、それが土星のトラインにより、的確にコントロールされていることになりますので、非常にエッジが効いているというか、とにかく非常にインパクトの強いキャラ形成ができる能力として考えられます

これが天秤座にあるということで、社交においてはもっぱらエキセントリックなキャラクターがペルソナとして用いられることになるのではないでしょうか

マツコさんは、非常に際立った個性的ペルソナを形成する能力をお持ちであり、単なる女装家というだけに終わるのではなく、ドラァグクイーンという形で極めて目立つ印象的なキャラクター作りに成功されています

水星は言語能力や基礎的コミュニケーション力ですけれども、水星の能力が発揮されますのは、家族や親しい友人など、飾らない素の自分を見せられる相手とのコミュニケーションに限られます

外の社会におきましては、自分の中のある部分は隠し、明らかにする部分も何らかの脚色を施した上で表現されるのが普通ですけれども、そうした場合の言動というのは、水星の持つ言語能力等を基礎としながらも、火星によって対外的に発揮される能力であるということになります

要するに、この方は 言動においても非常に際立って目立つ印象的な発言をしやすい、ということになります

マツコさんの場合は、そのような強烈なペルソナをお持ちであることによって、蠍座にある太陽と水星がバランス的に疎外されやすくなる傾向があるのではないか、という点が危惧されます

蠍座はとても内向的で感情エネルギーを内に溜め込みやすい性質ですので、天秤座火星の作る外向きのキャラクターと、蠍座太陽の一人でいる時の本来の素のキャラクターとの間には、ドライでクールな風の要素とウエットな水の要素との対立という点でも、かなりのギャップが存在しているのではないか、という点が気にかかるところです

マツコさんは元々は文筆家でエッセイを書かれていたようですけれども、この時に発揮されていたのは間違いなく、この蠍座の太陽と水星ということになるでしょうし、引き籠もっていた時期もあるとのことで、それも蠍座の内に籠もりやすい性質がでていたためではないか、と感じられます

まだまだ語りたいところがたくさんありますけれども、標題の「人生の岐路」という部分に話を進めたいと思います

本当は、CPS方式を用いた進行図も合わせた三重円を表示したかったのですけれども、ソフトをお持ちの方は是非今年の10月16日頃の三重円を表示させてみてください

マツコさんの人生の課題を示している土星は双子座の21度にあります

そして、今年に入ってから、経過の木星が逆行期間を含めて三度、双子座21度と正対する射手座21度を通過し、10月がその最後の通過となります

経過の木星は出生の土星に対しては、木星が土星以遠の天体ではないことから強い影響は与えないと考えられていますけれども、わたしのサビアン占星術におきましては、木星以遠の星が出生の太陽や土星と正対する位置に来て、出生天体の持つ度数に刺激を与えるタイミングを非常に重要視しています

出生の土星に対して、正対する位置に木星以遠の天体が来てオポジションを形成する際は、人生上の岐路の選択ということが起きる場合があり、わたしも4年前に同様な形の時に、人生上の極めて重大な岐路選択を経験しました

また、そのような配置が確実に影響するものである場合には、進行図の上でも何らかの関連したアスペクトの形成がなされる場合が多いと考えます

ここに表示できませんけれども、上の二重円の瞬間に、進行図の太陽もまた射手座21にあります

進行太陽は人生ステージの進展を表しますけれども、人生の今の時点におけるステージにおいて、出生土星の持つ人生の課題への向かい方というのが非常に問われることになり、そこに経過の木星も参加して、正対する位置から双子座と射手座の21度によって形成される軸の持つ意味が二重に強調されています

サインは正対するサイン要素との相互補完によってはじめて、人間としての高次目標を達することができるものと考えています(参考:「ソーラー・オポジション ~人生目標の設定について~ 立花孝志氏を参考に」)

更に加えまして、CPSで計算した進行図におきまして、進行の木星もまた水瓶座21度にあり、これは出生土星に対して正確なトライン、進行太陽と経過木星に対して正確なセクスタイルを形成します

これに、天秤座20度の天王星を加えますと、それらでカイトという複合アスペクトがかなり正確に形成されることになります

以上のように何重もの形で刺激が重なっているこの時期の配置を観る限りにおきましては、マツコさんにとって、人生を振り返って行く先を検討すべき、非常に重要な時期に差し掛かっているのではないか、ということが推測されるところです

土星というのは好むと好まざるとに関わりなく、義務的に達成しなければならないと感じられる物事や、いつも落ち込んでしまうお決まりのパターンの人生状況といったものに関係します

双子座21度のサビアンシンボルは「(GEMINI 21 °): A TUMULTUOUS LABOUR DEMONSTRATION.」であり、訳しますと「騒がしい労働者のデモ」となります

21度といいますのは、タロットの大アルカナでは完成や成就を表す一番最後の第21番の「世界」と関係しますけれども、そのサインにおける究極的な理想的な在り方や生き方に関するものが多いように感じられます

双子座というのは風の柔軟サインらしく、じっと落ち着いていることのできない、非常に活発な好奇心に充ち溢れた星座であり、自分の興味や関心にばかり夢中になってあちこち飛び回って冒険する遊び好きな少年的な存在であり、個人的にはトム・ソーヤ的の世界観などとの親和性もあるように感じられます

どこかにじっとしていなければならないとか、義務的に何かをしなければならないような束縛された環境というのは、それが自分の関心や興味のある対象に向かう時間というのでなければ、双子座にとって非常に苦痛を感じさせるものになるのではないかと感じられます

労働者のデモといいますととても物々しい雰囲気がするのですけれども、わたしはこのイメージの中には、仕事なんかおっぽり出して、賃金上げろとか休みを増やせといった要求を、半ばふざけた遊び感覚で行っている、茶目っ気のある双子座というものをイメージします

ここに出生土星をお持ちであるということは、まず双子座のテーマである知的好奇心を満足させることへの義務的、あるいは脅迫観念的な思いとともに、何かしらあら探しをしては不平を言ってみたいというような感覚になりやすいようなことがイメージできます

好きでやっているというよりはそういう性分ということで、何だアレはおかしいじゃないかとか、あいつは頭がいかれてんじゃないかとか、何故かそういうところにばかりに興味や関心が向かってしまい、割りと無責任な立場で自由に言いたい放題するようなところが出てくるのかも知れません

まさに、会社の不正や賃上げ要求などを声高に叫ぶ騒がしい労働者のデモのようにです

そして、射手座21度という正対する度数による補完によって、人間としての生き方を一段高度なものにするように強く促される状況というものを、今年のマツコさんは迎えられているように感じられます

正対する射手座21度のサビアンシンボルは、「(SAGITTARIUS 21 ° DEGREE): A CHILD AND A DOG WEARING BORROWED EYEGLASSES.」で、訳しますと「借り物の眼鏡を掛けた子どもと犬」となります

この眼鏡が表しているものといいますのは、梟がかけているものと同じもので哲学的思索を表していると感じられます

双子座が比較的身近な物事への知的好奇心を追究するのに比較して、射手座は宇宙や真理と言った遠大なものを対象に思索をします

双子座というのは何がどうしてどうなっているのかという因果論的な科学的探求を行いますけれども、そこには知的好奇心の欲求が満たされることや、合理性、効率性、利便性といった実際的で卑近な目的意識しかありません

そしてその近視眼的な思考の弊害として、核兵器や原発や化学兵器といった有害なものも生み出してしまいます

一方の射手座におきましては、人は如何に在るべきか、という哲学的な目的論をもっており、人が如何に在るべきかというのは、つまり人間にとっての幸福とは何か、という遠大な問いを追い求めているのだと言えます

そのために宇宙の摂理や真理といった遠大な法則に心を向けながら、医療、宗教、哲学などの分野に深く関わりますが、そこでは常に人が満足して幸福に生きるにはどうしたらよいか、という課題が意識されていると感じられます

科学というものは、実際的な功利性や利便性だけを考えていると、全体の調和を損ねる結果を往々にしてもたらし、工場による環境汚染や兵器による戦争、車による大気汚染や交通事故などの問題を様々に引き起こします

ですのでそこには常に、射手座的な「人類の幸福」という高次の目的意識が介在していなければなりません

一方で、射手座が如何に高邁な理論を説いたとしても、それを実現する為の実際的手段がなければならず、手術のためには解剖学に基づいた知識や技術がなければなりませんし、双子座的な科学的な知識や技術というものがなければ、実際には何の役にも立たない空論として終わってしまいます

正対サインによる相互補完というのは、一見、正反対の性質を持つサイン同士が、相互に補完し合うことで、一つの大きな高次目標の達成が実現されるということです

借り物の眼鏡をかけている子供と犬というのは、この世のすべての法則を知っていたい、また、例え知らなくとも知っているように振る舞っていたいという、射手座が理想とする哲学者的あり方への憧れや欲求がイメージとして示されているものと感じられます

射手座が常に不遜で高慢な態度を取っているように見えるのは、、卑近な物事を超越した広大な世界観に浸っているために身に纏っている雰囲気です

マツコ・デラックスさんの土星が、先に述べたような「労働者のデモ」に見られるような、それを言って面白がるだけの、あまり目的意識のない使われ方だけをしているとすれば、正反する射手座の「人が幸福になるためにどうしたらよいか」という目的意識による補完が必要となります

マツコさんがお持ちである極めて豊富な知識や見識が、単なるテレビの見世物として、視聴者が番組で人がいじられているのを見て、自分も構ってもらえたように錯覚をしてちょっとした気休めを得るような、ただの暇つぶしを与えるためにだけ消費されている状態に留まってしまっているのであってはなりません

「自分と人が幸福になる」という高い目的意識に基づいて、それらの知識や見識が活用されることが理想であり、そのような形で双子座の土星が補完される時、マツコさんはもっと本当の価値のある仕事をなされることができ、また、ご本人も幸福になっていくことができる道が開かれ、今後の人生を実りあるものとして充実させていくことができるのではないでしょうか

これは天が与えてくれている好機である訳ですけれども、オポジションはコンジャクションとは違って、意識的な取り組みがなければその作用を正しい形で得ることはできないものとして感じられます

 

先日、マツコさんがN国党の党首に絡まれるという件がありました

立花孝志党首としては、自分が誘ったプロレスにマツコさんが当然応じて来てくれるものとの考えだったことでしょう

しかし、応じずにだんまりを決め込んでテレビ局や事務所の影に隠れたままであったら、それこそ立花氏が言っているように、「テレビ局や事務所に守られている環境の中だけで、強がって吠えてるだけの人間」として世間の一部に見なされてしまうことになってしまうのではないでしょうか

マツコさんがご自分で気持ち悪いと感じられ、それを自分の意見としてそのまま仰っただけなのであれば、真面目なN国党支持者に対する失礼はあったのかもしれませんけれども、堂々と直接立花氏に「何だ文句があるのか。気持ち悪いと感じたからそのまま言っただけじゃないか。何が悪いんだ。あくまでも個人としての意見をいっただけなのに、テレビに言わされてるとか失礼にもほどがあるじゃないか」などと言い返せばよかったのではないかと感じられます

立花氏はそうやってお互いに盛り上がろうと企んでいたのでしょうから、マツコさん個人としてのリアクションがないことにかなり戸惑ったのではないかと感じられます

 

タレントさんには、テレビを自分の人生のために積極的に利用して、自分の発案や人脈で主体的に番組を作っていける方と、テレビ局のお膳立ての中で与えられた役割をこなすだけの方と二通りいるのではないかと感じられます

マツコさんはもともとタレントだったわけではないでしょうし、未だ後者の枠を出ていないと感じますけれども、今回の一件で個人として堂々と振る舞われたなら、きっとマツコさんの人生が新しい段階で開かれていくのではないかと感じられました

占星術的見地から、今は人生を見直して生き方を変えていく大きなチャンスが巡って来ているのだと感じられますので、ご自身が自信を持って充実した幸せな人生を開拓していかれますように、影ながらマツコさんにエールをお送りしたいと思います

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