満月のサビアンシンボル(12/12) 射手座・双子座20度の軸
明日12日は今年令和元年最後の満月となります
太陽は射手座20度、そして月は反対側の双子座20度にて迎える満月ですけれども、山羊座20度の土星が太陽に対して30度のセミセクスタイルを、そして月に対しては150度のインコンジャクトを正確に形成する点が特徴的です
(SAGITTARIUS 20 °): IN AN OLD-FASHIONED NORTHERN VILLAGE MEN CUT THE ICE OF A FROZEN POND FOR USE DURING THE SUMMER.
(私訳):時代遅れの北方の村では、男たちが夏の間に使うための氷を池から切り出す。
(GEMINI 20 °): A MODERN CAFETERIA DISPLAYS AN ABUNDANCE OF FOOD, PRODUCTS OF VARIOUS REGIONS.
(私訳):様々な地域で産出された食べ物を並べる現代的なセルフ式食堂。
先月の満月も蠍座と牡牛座20度の軸上で起き、やはり20という数霊の支配を受けたものでした
タロットの大アルカナの第20番の「審判」というのは、男性的エネルギーと女性的エネルギーによる人間的な営みに対して天の意志や力というものの働きが介在してくるということではないかと感じられます
それがまったくの駄目出しである場合もあるでしょうし、人の努力がどれくらい天意に叶っているのかで、最終的な結果が大きく左右されてくるのだと感じられます
またある場合には天の意志が人の意志に対してはじめから主導的であるようなこともあるのでしょう
サビアンシンボルに関しては、射手座の20度においても双子座の20度においても、どちらも必要とするものが潤沢にあるというイメージのように感じられます
20という数霊はタロットにおいてはそこですべての結果を待つという段階にありますので、能動的に働きかけるようなことではなく、受動的に与えられた結果を受け入れるということになるでしょう
人間が幸福に生きる術のすべてを持つ射手座は、本来は現在の冬の季節のサインですけれども、夏にあっても冬に蓄えた智恵で暑さをしのぐことができます
知的好奇心の塊である双子座にとっては、すべての食材が豊富に揃い、自分で好きなものをセルフ式で手に取れるような状態というのは、望んだ状態でありながら少々飽きたらなさを覚えるかも知れません
しかしここでは、最早積極的に頑張るという段階なのではなく、結果として与えられたものを全面的に感謝して受け入れるということしかないのではないかと感じられます
この射手座と双子座の20度の軸においては、望んだものであるか否かを問わず、また意図したものであるか否かを問わず、状況を感謝して全面的に受け入れる姿勢が大切であるように感じられるところです
山羊座20度の土星は太陽と月に対して、まったく関わりの無い存在のように振る舞いながらも執拗に意識を向けてくる者のような、非常に気になるけれどもこちらからは直接的にコミットできないような微妙な位置取りでしょうか
(CAPRICORN 20 °): A HIDDEN CHOIR IS SINGING DURING A RELIGIOUS SERVICE.
(私訳):信仰儀式の間、見えないところにいる合唱隊が歌っている。
見えないところで歌っている合唱隊の声というのは、演出としては非常に効果的なものでしょう
すべての舞台装置が完璧に調って厳かな雰囲気が醸し出されているのかもしれませんけれども、ここでも必要とされるものが十分に調っている状況というのは変わらないように感じられます
射手座と双子座の20度には見受けられない宗教的な厳かな雰囲気というものが醸し出され、今回の満月に対してこの土星は一種の不穏さを与えるものかも知れません
今月の3日には木星もいよいよ山羊座にイングレスしましたし、26日には山羊座に惑星が大会合して金環日食となる新月となり、来年のグレートコンジャンクションに向けた一連の主要な天体イベントが相次ぐ不穏な一年の幕開けの直前に、この「審判」のカードの持つ20の数霊に支配された満月は、正しく人類が最後の審判を固唾を呑みながら待っているような、そんな雰囲気のものであるようにも感じられるところです
先月は20の数霊について主に「ギフト」との相関で説明をしましたけれども、「ギフト」というのは必ずしも素晴らしいものということではなく、万人に既に与えられている力のことであると感じられます
もし自分にこんな能力があったら、あんな容姿が備わっていたら、などと無い物ねだりばかりしていても、未来へ向けた今ここからの一歩は何時まで経っても一向に踏み出せません
それよりも今自分に既に備わっているものに目を向けて、それを活かすことを考えてとにかく前へ一歩ずつ進むことだけを考えた方が、結果的には望んだ人生に早く辿り着けることになるのでしょう
20の数霊を持つ「審判」には復活や蘇りという暗示がありますけれども、蘇りとは黄泉(よみ)すなわちあの世からの生還を意味しています
我々はどのような状況からでも、少なくとも精神的には立ち直ることが可能な訳であり、どれだけ自己を新生させることができるのかということ、つまりは古い自分を乗り越えて新しい自分に生まれ変わることができるかということによって、はじめて人生を価値高く創造し続けることができるのでしょう
第20番「審判」のカードはどこまでも受動的でありながら、そこから積極に転じる意志や信念の力が問われてもいるのだと感じられ、それは第10番「運命の車輪」においても同様であり、一時的な停止状態を示しながらも運命の車輪を再び回す意志の力が問われます
けれども20番「審判」の段階においては、本人の意志の所在の他に、天の意志というより大きな要素が関わって来る局面となるのだと感じられます
今回の満月においては、既に自分に宝物として与えられている数多くのものに目を向け直しながら、起死回生の力を自分の中に探ってみることで先の展望が開ける可能性について考えて見るとよいかも知れません