満月のサビアンシンボル(2/9) 水瓶座・獅子座21度の軸
立春以降に漸く本来の寒さを少しだけ取り戻し、九州でも一昨日の5日に佐賀で今冬はじめての平野部での雪が観測された模様です
寒さ慣れしていない中での気温低下ですので少しは寒いと感じますものの、福岡平野部では県花である梅もすっかり開花していて、手厳しい冬を感じることもないまま春の雰囲気が濃厚です
ずっと酷かったわたしの体調も、中耳炎を拗らせて全身症状で一週間以上も仕事が手に着かないような状況であったのが、ようやく回復の兆候が見えてきたところですけれども、オンラインゲームでも中耳炎と言っていた人が複数人いたのでもしかすると流行っているのでしょうか
新型コロナウィルスの今後の動向を考えますと、免疫機能の持ち直しには全力を傾けなければいけないところです
さて、明後日9日の夕方に今月の満月を迎えます
今回は太陽が水瓶座21度、月が獅子座21度の軸での満月ですけれども、先月と同様に21度の軸での満月となります
21という数霊はタロットの大アルカナでは一番最後の大きな数字である第21番「世界」と相関しますけれども、このカードは成就や完成の他に輪廻や永遠不滅なものなどを表します
(先月の満月の記事より引用)
(AQUARIUS 21 °): A DISAPPOINTED AND DISILLUSIONED WOMAN COURAGEOUSLY FACES A SEEMINGLY EMPTY LIFE.
(私訳):裏切りに失望した女が、空っぽに見える人生を勇気を持って見据える。
(LEO 21 °): INTOXICATED CHICKENS DIZZILY FLAP THEIR WINGS TRYING TO FLY.
(私訳):興奮した鶏が飛ぼうとして彼らの翼を不器用にばたつかせる。
双方ともに失望の中から再び立ち上がろうとの意気込みが感じられるようなシンボル・イメージです
「21の数霊は輪廻や永遠不滅なものなども表します」と先月も書いていますけれども、輪廻というのは要するに絶頂と失望の繰り返しのサイクルのようなものです
失望が感じられるというのは、その前に絶頂を迎えていたからに他なりません、絶頂を究めるということは、もうそれ以上の伸びしろがなくなってしまったということでもあり、それは家畜化されて翼の飛ぶ力がすっかり萎えてしまった鶏の姿のようでもあります
しかしながら、そこから再び新しいサイクルに挑む意志を覗かせるのというのが21という数霊の持つ力でしょう
一旦失っていしまったものを再び取り戻すのだという意気込みが失意の中で蘇ります
本当の成功者というのは、絶望の淵から何度でも立ち上がる力を持つ人のことをいうのだと感じられ、失敗の経験を持たない一時的な成功者においては、長いスパンで経験する浮き沈みの中を泳ぎ切る力についてはまったく未知数です
人間の真の価値というものは、失意や絶望の淵の中でこそ確かめられるのであり、そこで再起を志すことの出来ない人間というのは、単に周囲の状況や運の巡り合わせに翻弄されながら浮き沈みを経験しているに過ぎないのであって、真に自らの力で主体的に人生を開拓している訳ではありません
水瓶座の21度においては内面における精神的努力が、そして獅子座の21度においては肉体的・現実的な側面における足掻きが表現されているのであり、その両輪が揃わなければ再起は叶わないということをこの軸は示しているのだと感じられます
すべての希望を見失うということは、それまでの人生で思い描いたことのない新たな希望を抱くチャンスの到来ということでもあり、人生の新たな地平を切り拓き、一回り上のステージを目指すための新たなスタートポイントに立っているのだということになるでしょう
まずは自らの中に理想の灯火を再び見出さなければならず、それが見出せたなら、今度は我武者羅な現実的な努力をしなければなりません
飛べなくなった鶏は、いつしか自分が鳥であったことを忘れてしまったのでしょうけれども、それでも鳥である以上は、自らが志しさえすれば再び大空へ舞い上がることも決して不可能ではないでしょう
世界は今年未曾有の壁に突き当たるかも知れませんけれども、それは人類の更なる進歩・飛躍に欠かせないものとなるでしょう
いつまでも物質主義を中心としていては世界は立ち行かなくなるのだということを実感させられるような一年となり、その中で新たな精神主義的な理想が見出されて次の風の時代を迎えることになるのではないでしょうか
人というのは永遠に進化し続ける存在であり、本来は創造性に充ち溢れた存在であるということが、物質偏重主義の中で忘れ去られ、実感できなくなってしまっているように感じられます
わたしも生活の中で非常に困難さを感じている状況にありますけれども、今回の満月を励みにして心を立て直したいと思います