新月のサビアンシンボル 牡羊座5度 令和二年3月24日
一昨日に春分を迎えたところですけれども、明後日の3月24日には牡羊座5度での新月を迎えます
先月の2月24日の魚座5度における新月は、わたしが昨年の12月22日に「世界経済の本格的なリセッションは今回の日食(12月26日の山羊座5度の日食のこと)以降には必ず起こる」と予想していた内容の実質的なトリガーとなったように見受けられたところです
このことは先月の新月において、昨年末の日食が起きた山羊座5度に火星が位置し、魚座5度の日食にセクスタイルで密接にコミットしてくることから、「昨年末の日食の与える影響との密接な有機的関連を持ってくる」と予想した通りの流れとなったものでした
NYダウ平均はこの一ヶ月で過去3年分の上昇を既にチャラにしてしまっている壮絶な下げを見せましたし、世界経済の牽引役であった米国に対してコロナウィルスが現在与えている影響の大きさから考えれば、世界経済の本格的なリセッションが起きるとの予想は現時点において的を得たものであったと考えてもよさそうな雰囲気です
さて、今月の新月はその山羊座5度からちょうどスクエアの位置取りで起きる訳ですけれども、既に春分を経過していることなども踏まえますと、日食以降に1月13日の冥王星と土星の合を契機として中国を中心として生じてきた流れは、少し雰囲気を変えて次の段階へと進むのではないかと感じられるところです
今回の新月においては、昨年の3月に本格的に牡牛座にイングレスした天王星が牡牛座5度のセミセクスタイルの位置どりにてコミットしてきます
天王星は昨年中から何度も新月に対してタイトにコミットしてきているところであり、風の時代に向けた経済改革への強い影響を与えているように感じているところですけれども、春分図においても天王星はこの牡牛座5度にあったことも今回の新月と相関してくることになるかも知れません
(ARIES 5 °): A TRIANGLE WITH WINGS.
(私訳):翼の生えた三角形
新月の起こる牡羊座5度のサビアンシンボルですけれども、三角形というものが既に能動性の強さの象徴であることに加えて、そこに翼が付け加えられているのですから、牡羊座の持つ衝動的な行動欲求がさらに強められて自由奔放さを得ているような印象です
翼の映えた三角形というイメージからは、幼児の持っている行動特性にも似た無心で本能的な、理知的には予想のつかない牡羊座らしい行動特性が窺われると感じられるところです
一方でセミセクスタイルの位置にある天王星が位置する牡牛座5度のサビアンシンボルは次のようなものです
(TAURUS 5 °): A WIDOW AT AN OPEN GRAVE.
(私訳):墓穴の寡婦
こちらは非常に忍耐強さが試されるようなイメージのものですけれども、牡牛座にイングレスした天王星が経済システムや金融、所有に関する変革を志すものだと考えれば、ここで必要とされる忍耐というのは一時的な困難を耐え忍ぶというものではなく、次に新たなものが生み出されてくる過程で経験しなければばらない痛みのようなものであり、墓穴の前の寡婦の様に喪失の痛みに耐える時期であるのかも知れません
経済をウオッチされていない方には今ひとつピンと来ないかもしれませんけれども、世界は現在戦時と何ら変わらない本格的な非常事態に直面しています
わたし個人の感じ方としては既に10年前のリーマンショック以降は、経済システムは実質的に死に体となっており、次の(つまり今回の)クラッシュで本格的にとどめが刺され、風の時代に向けた新しい発想に基づく社会経済システムが芽生えてくるのではないかと常々考えていました
過度な競争による奪い合いの経済というのは、極端な一部の富裕層しか生み出さず、社会は公平性を欠いた格差的なものにしかならないという歴史的な証明は既になされていると考えなければならないと感じます
現在のようにマスクが不足した時に、自分が買い占めてそれを高く転売しようと試みるような人がいる一方で、身近で安価な手に入りやすい素材で簡単にマスクを作る方法を編み出してネットでシェアをしてくださるような方々もいます
我々が発想の方向性を少し変えるだけで、これまでの奪い合いの社会ではなく、譲り合い与え合うことで皆が公平に豊かで幸福になれる社会を構築できるのではないかと思いますし、それが次の風の時代に向けた社会改革のあり方として必要なことではないかと感じられます
こうした困窮した状況の中においてこそ、翼の生えた三角形のように自由なとらわれのない発想によって、我々一人一人が発想を新たにして幸福で豊かな社会を構築していく好機としてとらえるべきなのかも知れず、分かち合いの精神を率先して示さなければならないというのは我々日本人が持つ世界的使命であるのかも知れません
次の風の時代というのは”個”が真の意味で尊重される時代となると考えますけれども、社会は資本家や大企業が自分たちの都合を最優先させて構築していくものから、個々の人間の自由な発想に基づいて豊かさと幸福感を増していくことが中心的となる社会にシフトしていくのではないでしょうか
そのためにできることは、誰にでもあるのではないかと感じられるところであり、こんな時だからこそ、古い滅び去るべきものではなく、明るい未来に対する展望を持って、これまでのような物質主義に偏重した価値感に基づかない形で、個々の幸福を生活の中でより多く見いだせるような工夫が大切となる時ではないかと感じるところです