牡羊座のひと 黒澤明監督

春分の日から寒の戻りがあったりなどして、少々自律神経のバランスが崩れるなどしていました

春分と秋分の所謂お彼岸の中日というのは、先日も書きましたように霊的なものの影響もありますし、陰と陽のスイッチングがあり、それが体調の変調として表れやすい時期になります

わたしは以前よりは大分影響を受けないで済むようになりましたけれども、以前はお彼岸の頃は何時も体調が酷いのが常でした

そうは言いましても、この変調は陰陽の主力が交代する宇宙的な流れが個々の生命にダイレクトに反映してくるものであり、これからの陽の半年間を生きるためには、必要なものであるということになります

むしろ、こうした時期に何のショックも受けないのであるとすれば、それは現実的な物質生活の中において、肉体も霊も鈍化してしまっているという証と言わざるを得ないのかも知れません

牡羊座に入りましてから、今日で5日目となり、太陽は輝きを増して愈々牡羊座らしさというものがはっきりとした実感をもって感じられる時期に入って参りました

ということで、わたしも個人的には馴染みが少ないサインと言える牡羊座について体感していくために、今日は黒沢明監督の出生図を見てみたいと思います

黒澤監督の出生時間につきましては、一応ネット上では明らかにされておりますけれども、出生時間がどれほど正確性を持っているのかは判然としないところもあります

試しに出生図を出しましたところ、出生太陽は牡羊座1度59分ということですので、後ろに小一時間もずれるとサビアンシンボルの度数では2度ではなく3度に入ってしまうことになります

出生太陽のサビアン度数が奇数であるか偶数であるかの違いには、非常に大きな影響があるものと考えられ、黒沢監督のアクティブなイメージからは、出生太陽の度数は奇数ではないか、というようなことも感じられますけれども、検討の結果としましては、おそらく牡羊座2度で間違いないだろうというように感じているところです

(ARIES 2 °): A COMEDIAN REVEALS HUMAN NATURE.
(私訳):コメディアンが人間の本性をさらけ出す。

牡羊座は1度で羊水が破水して地上にはじめて生まれ落ちた瞬間です

その状態はすべてが白紙の状態で、活動のための新鮮なエネルギーだけが満ちあふれています

牡羊座の2度においては、自身に対して如何なる記憶や経験も持たないまっさらな状態の自分という存在を確認するために、周囲からのリアクションを求めます

この状態の牡羊座というのは、生まれて間もない赤ん坊と同じ状態にいるのだと考えられます

赤ん坊も自分という存在に対する周囲のリアクションを通じて、はじめて外の世界とともに、自分自身というものの存在性を、朧気ながらも感じることをしているのだと感じられます

周囲からのリアクションを求めるためには、少々オーバーアクション的な投げかけが必要になります

受け手は少々大げさで唐突なアクションに対して、明確なリアクションを返します

そのようにして得られたリアクションこそ、この世に生まれて間もない状態の牡羊座にとっては、自らが存在することを実感する確かな証として受け入れられ、そこで満足を得ることになります

言い方を変えれば、注目されたい、注目されて今此処に存在する自分というものの確かさを味わいたい、というような強い願望があるのだと考えられます

ですから牡羊座の2度は、一見能動的な受容性を持つということが言えるでしょう

けれども、その目的はあくまでも自己が受容するものを得んが為に投げかけがなされるということですので、実質的には偶数的な受動性を強く持っていると考えられるのです

牡羊座2度に出生太陽を持つ黒澤監督は、とにかく注目されなければ意味がない、ということが生きる上での信条となっていた筈であり、注目されることによって自らの存在の価値を獲得することにこそ、生きがいの最たるものを感じていたに違いないと考えられます

映画監督としての資質としましては、やはり映像の分野に関わる魚座にある水星が担っていたと考えるべきでしょう

水星も出生時間のずれによっては度数が異なってくる可能性があるのですけれども、ここでは魚座20度であるとして読みたいと思います

(PISCES 20 °): A TABLE SET FOR AN EVENING MEAL.
(私訳):晩ご飯のための準備がなされたテーブル。

これは先日読んだ松田聖子さんの出生太陽のある度数です
聖子さんの時には、この度数を「待つ」ことに強く関わる度数であると書きました

以下に抜粋して引用しておきます

聖子さんの出生太陽は魚座の20度にあります

受容性の強い魚座にあっても、この度数は「待つ力」という姿勢と関係していると個人的には考えています

(中略)

自分が望むものに対してストレートに真っ直ぐ向かっていこうとするのではなく、望むものが向こうから引き寄せられてきて手中に収まるまで、受け入れの準備をきちんと万端に整えた上で、待ち続けることができるということになります

そうしたところが、非常にしたたかであるといったイメージを持たれることに繋がっているように思われます

監督の場合はこの度数に太陽ではなく水星があるのですから、生き方そのものというよりはその人の持つ能力的な部分として表れると考えられます

監督は作品の中において、太陽の持つ注目されたいという強烈な思いを実現するために、この水星を使ってありとあらゆる工夫を考え出し、それを仕掛けとして作品中に散りばめるのです

魚座20度の水星は、映画という魚座的なビジュアルな世界において、水星らしい好奇心と冒険心を思い切り発揮します
そして、それは映画を見る観客が食する最上級のディナーとして例えることも出来るでしょう

監督の作品というのは、サビアンシンボルの「晩ご飯のための準備がなされたテーブル。」そのものであり、観客をアッと言わせる仕掛けが用意周到に仕込まれたものであると感じられます

そして、それは出生太陽の注目されたい自分という欲求を満たすための手段としての部分であるということになります

太陽も水星も偶数であり受動的ですけれども、思いつく限りのアイデアをつぎ込んで作品を作ってそれを観ることになる観客を待つということや、自分のやりたいことを役者を通じて演じさせるという点でも、やはり受動的な要素が濃いように感じられます

この水星はすべてのトランスサタニアンとのアスペクトを持っているようです

まずは映画との関連という意味でビジョンの星である海王星とは、オーブ3度以内でトラインですので、魚座にある水星に対して、卓越したイマジネーションの力を豊富に与えたとして不思議ではありません

冥王星との間にはオーブ5度強ですがスクエアがありますので、発想をああでもないこうでもないと現場でも大胆に変更させながらイメージを作り上げていけたでしょうし、そのような大胆な発想力によって、極めて迫力あるダイナミックな映像を作り得ることにつながっていた、というように考えたいと思います

最後の天王星との間にはセクスタイルですけれども、オーブが5度強と少々甘目ですので、これはあまり考えなくても良さそうです

ついでに言えば芸術的感性を表す金星ともオーブ1度強のセミセクスタイルです
この水瓶座21度の金星は映画を作る上での感性として確かに効いているであろうと感じられます

この度数においては水瓶座らしい現実を超越したところにある理想を追い求める姿勢というものが強く見られることになります

黒澤監督のように最早歴史に名を留めるレベルの人物になりますと、当然トランスサタニアンの部分と人生とが非常に密接にリンクしている筈ですけれども、冥王星は他の天体との間にやはり最も多い5つのアスペクトを形成しています

この冥王星のある双子座の25度と言いますのは、サビアンシンボルのイメージでは「大きな椰子の木の剪定をする庭師。」となりますが、個人的には難事に挑戦するという度数であると考えています

双子座の持つ好奇心や冒険心というものが、大きな椰子の木を剪定するような、敢えて危険を伴うような物事にチャレンジしたがる側面として表現されていると感じている訳です

もっと掘り下げたい面は多々ありますけれども、メインテーマは牡羊座の体感ということでしたので、今回はひとまず此処までとしたいと思います

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