ソーラーリターン時に観た月に対する過重圧力のその後
先月にわたしのソーラーリターンに関しまして、経過の月が冥王星と土星にタイトなコンジャンクションとなり、同時にそれが出生月に対してもタイトなスクエアとなることで、月の要素が過重なプレッシャーに晒されることが予想される点についてご紹介しました(参照:「ソーラー・リターン 自らの主体性と能動性を意識し高めるべき時 ~スクエアの効用~」)
それから3週間ほど経ちましたけれども、経過のご報告ということで書きたいと思います
わたしとしては感情面での刺激を期待していた訳ですけれども、実際にはエーテル体に対する過重な圧力が観察されているところです
月は生命の樹の9番目のセフィラであるイェソドと照応しており、エーテル体と相関しています
また、ルドルフ・シュタイナーによれば、「エーテル体は新月の時にその内側を、満月の時にその外側を形成される」とされており、月とエーテル体との間には非常に密接な相関性があります
わたしは先月から生まれて初めてのレベルで酷い中耳炎を患っていて数週間まともに仕事も手につかないような不調に悩まされていますけれども、シュタイナーによれば、「中耳炎の真の原因とは、耳管におけるエーテルの肥大にある」とされているのです
加えてシュタイナーの12感覚論によりますと、月がその支配星である蟹座は「聴覚」に照応するともされているところです
ということで、ソーラーリターン図における冥王星と土星による月へのタイトな合と、同時的に出生月に対するそれらのスクエアによって、わたしのエーテル体が強く刺激を受け、聴覚に異常を来す状態が招来されている、という観察は神秘学的に考えて一定の妥当性を持った見方とみなしてよいのではないかと感じられます
さて、そのエーテル体というのは、シュタイナーによって「記憶・気質・習慣・傾向・良心・持続的欲求の担い手である」ともされているところですけれども、これは占星学的に観た場合には蟹座のもつ性質と一致する部分が大きいものとなっています
といっても蟹座=エーテル体と直ちに言い換えられる訳ではない点にはご注意を願います
しかしながら、エーテル体やそれと関連する月や蟹座というものが、「記憶や習慣」というものに極めて強く相関していることは間違いのないことであり、今回のわたしのソーラーリターン時における月関連の過重圧力というものは、結果的には私の中に眠る過去の悪い記憶を消し去ってしまうとともに、新しい生活習慣を再生させる方向に強烈な作用を与えてくることになろうかと考えられます
エーテル体は内分泌腺を支配しますので、当然それは気分や感情への強い干渉となって顕れます
人間の自律機能というのは、エーテル体の支配する内分泌腺(ホルモン)による緩慢な作用とアストラル体の支配する自律神経系による速やかな作用の双方によって調節されていますけれども、出生図において2つの主要天体である太陽と月が風のエレメントに属し、水の要素は相対的に弱いわたしの場合は、もっぱら自律神経系統の乱れが生じがちです
シュタイナーによれば、「自己教育によって神経質を克服すると、エーテル体が強まる」、ということがあるらしいのですけれども、風の要素が過多で神経質な傾向を持つわたしの場合は、内分泌系の自律機能が相対的に弱く機能不全的になっているとも言えるのではないかと感じられており、自律神経系の過剰反応を自己努力で抑えて安定させることによって、エーテル体が支配する内分泌系の穏やかな自律機能が副作用的に強化される可能というものが暗示されいるのではないかと感じたところです
いずれにしても今年の月に対する強烈なプレッシャーが、結果的によい方向に作用して、バランスのとれた強いエーテル体の再生へとつながっていくことを期待したいと思いますけれども、ソーラーリーターンの影響に関しましては、この先も気づいた点があればその都度綴ることとしたいと思います
さて、話を毎月の新月と満月に移しますと、それらがエーテル体の新生や強化と密接に関連しているということは容易に予想出来るわけですけれども、エーテル体の内側と外側と言われましてもピンとくる方はわたしも含めて少ないのではないでしょうか
エーテル体はその内側で肉体部分と接しており、その外側ではアストラル体部分と接しているということがあり、そうしたことと新月や満月の時に感じる雰囲気というものを思い合わせますと、何となく分かるような気がしなくもないのではないでしょうか
エーテル体が記憶や習慣の担い手であるということを踏まえれば、この新月と満月のサイクルというのを意識しながら、自己の新生を常に図ることに活かしていくことが出来ると分かります
記憶と言いますと一般的には過去のものと考えられますけれども、わたしは記憶には未来の記憶というものもあるように感じられます
「未来の記憶」というのは「信念」と言い換えられるものなのかも知れませんけれども、多くの成功者というのは、その道を歩み始めるその最初に、すでに成功している自分の姿をまざまざとイメージするとよく耳にします
そうしたビジョンは、「自らが未来に刻印した記憶」なのだと言ってもよいのかも知れません
世の中にはもっぱら過去の記憶のみに縛られて、それに対して受動的・従属的な生き方しかしない人と、自分の未来をしっかりと見据えて主体的・創造的な生き方をする人という、両極的なあり方があるのではないかと思います
新月というのは過去のネガティブな記憶や習慣と手を切るのに適切なタイミングであり、満月というのは新月で新生されたものが成就・結実した未来のビジョンを象徴しているのではないかと感じられるところです
月とエーテル体、そして記憶や習慣との相関につきましては、今後の朔望に際しての記述の中で更に考察を深められればと思うところです