風の時代の生き方① ~風の時代のガイドライン~

これまでのライフスタイル

今日は風の時代における人の生き方について考えて見たいと思います

生きるということは幸福を追究するということに集約されるものであり、何をもって人生の幸福と考えるかということは、欲求が赴く方向性によって決まってくることになるでしょう

そして欲求の質や傾向というのは、人間が自分自身をどのような存在として認識しているのか、ということによって決まってくるものと考えられ、結局のところ自己をどのように認識し、定義づけているか、ということが人間のライフスタイルを決定づけているということになります

これまでの人間の欲求の在り方というのは、もっぱら物質的・肉体的次元における充足ばかりに関心が向けられていたと考えて良いでしょうけれども、それは人間が自らを有限な物質的・肉体的次元の存在であると主に認識していることの反映である、と言うべきでしょう

現在の我々がそのように物質主義的方向に偏ってしまっているのは、すべてのものごとを物理的・化学的次元に還元して捉えようとする科学主義的な考え方によるものであると考えられます

そのような有限とみなされる次元において幸福を追求しようすると、必然的に世の中は競争的とならざるを得ません

有限なるものの獲得を目指す時、人は必然的に自己中心的とならざるを得ず、そこでは必ず競争原理的なものが発生してくることになります

日本などの先進国におきましては、ものの生産量というのはとっくに需要を大きく超過している筈であり、食料などの廃棄も半端ではない量となっているでしょう

そうであるにも関わらず、人々は益々競争的生き方をし、社会において少しでも有利な位置につくことのために、汲々として休まる暇などない状況というのは、一体どういうことなのでしょうか

今の世の中のそうした有り様については皮肉なことながら、幸福の追求によって人々はかえって幸福から遠ざかってしまっている、と表現することができるのではないでしょうか

しかしながら新しい世代においては、そのような競争的な形における欲求の追究ということに対して、些か距離を取り始めているように見えます

何かを得るための競争によって、そこにヒエラルキーが生じ、勝ち組と負け組とが生じるというような世の中の有り様に対して、新しい世代においては明らかに関心が薄れはじめているのではないでしょうか

何かが行き過ぎてしまった状況というものがあれば、やはり人の心は何かが間違っているのではないかと感じはじめるでしょうし、幸福の形というものを次第に古い世代とは共有しなくなってくるでしょう

しかしながら、新しい幸福の価値感が確立されるまでは、それはあくまでも不安定な過渡的な在り方を示しているのに過ぎず、次第に人々は自分の赴くべき方向性を見失って途方に暮れてしまうことになるでしょう

そうした時代に対する懐疑心は、日本において最も強く顕在化しているように感じられるところであり、そんな中で人々はもっぱらフィクションの世界に逃避し勝ちであるように見受けられますけれども、それは現実の生活において心の潤いや豊かさが得られなくなってしまっていることの反面としてそうなっているのではないでしょうか

意識の変容

上で見ましたように、生きると言うことは幸福の追求であり、それはより具体的には欲求の追究ということであり、それを最初に規定づけているのは、人間の自己存在に対する基本認識である、ということになります

そうなりますと、新しいライフスタイルが生まれてくるためには、人間の自己認識というものが大きく変容しなければならない、ということが言えます

現在人類が迎えているこの大きな変革期というものは、人間に自己存在に対する基本認識を改めるように促す天の意志の現れというように受け止めるべきであるように個人的には考えています

人がどのような人生を創造するか、またどのような社会や文化を創造するかということは、基本的に自己認識にすべて委ねられているということに対して、深い理解を持つことが必要な訳ですけれども、通常はそうした本質部分の問題を蔑ろにしたままに表面的な議論が進められてしまうことが一般的であるように感じられます

風の時代の最初の20数年間において、とても強い形で支配的となる水瓶座というサインの影響は、おそらくはそのまま今後200年以上にわたる風の時代のすべての期間における文化の方向性をある程度決めてしまうことになるでしょう

来年からの最初のおよそ20数年間の間に、人類の意識は根本的に変革されることになると考えますけれども、もしそうした宇宙意識の流れに抵抗した場合にどのようなことが起きてくるのか、ということを我々は現在迎えている様々な災害の形で既に体験しはじめているのではないでしょうか

そう遠くない未来において、我々が持っている五感を越えた超感覚的な力の実在性というものが確信できるような出来事が、人類に少しずつ起き始めるのではないかと感じますし、祈りや言霊の力といったものも再認識されていくのではないかと感じます

この世のすべての現象に人間の自己認識が強く反映されているということは、現実というのは現実世界において具現化された想念の姿に他ならないということを意味します

災害というものは人間の想念や行いによってもたらされるものだ、というのが精神世界における常識としてありますけれども、逆に言えば人間の想念によって災害を消すということもまた当然できる訳です

エドガーケイシーなどもどこかで言及していましたけれども、大勢の人間が災害の消滅を祈れば災害は確かに消えることになるでしょうし、また病気というものを祈りの力によって癒やすことができるでしょう

しかし、祈りの必要性を強調する人々の多くにおいて、病気や災害というものを通して人や人類が進歩成長するプロセスというものを度外視してしまっている場合が多くあるように感じられます

ですからわたしはあまり皆さんを宗教的な方向へと引っ張っていきたいとは想わないのですけれども、それは宗教的なものごとの考え方というものが、人間を古い時代の意識へと退行させてしまう側面があると感じられるからです

我々が求められているものはあくまでも進歩向上なのであり、様々な障害というのはそれが成長のためにその時に選択された最適なプロセスであったからこそ生じて来ている筈のものであり、経験からの学びというものを度外視して症状や現象を打ち消すことだけを考えるというのでは、未開地の原始人と何ら変わらない精神性ということになってしまうでしょう

古い宗教的な時代と現在の新しい科学主義的な時代というのは、非常に対極的な存在である訳ですけれども、その宗教的な要素と科学的な要素との統合が推し進められるのが風の時代のひとつの大きな特徴となるのではないかと感じられます

水瓶座というのは風のサインであるので合理精神というものを持っていますけれども、物質主義的なものに対しては明らかに反発的な精神主義的傾向を持っています

ですから現代の科学主義的在り方に対しては肯定的態度と否定的態度の双方を持っているとも言える訳です

水瓶座の持っている合理性というのは、ものごとを理想化しすぎてしまって現実離れし勝ちであると言う意味において、時に非合理的なものとなります

つまり非現実的な形で合理性を追求するというのが水瓶座の理想主義的な在り方の特徴であるとでも言えるでしょうか

わたしなども出生太陽は水瓶座の若い度数にあるだけあって、たとえば健康法を追究するあまり、小食や絶食などの普通の人から見れば比較的極端なことに嬉々として取り組みます

そうした自分の極端な生活に関する周囲への口癖として、「健康の追究のために病気になったり死んだりするのは本望だ」などとよく嘯いていましたけれども、実に水瓶座らしい天邪鬼ぶりではないでしょうか(笑)

そのように水瓶座というのはその支配星が天王星とされるだけあって、兎角にものごとを極端にし過ぎる嫌いがあります

けれども、そのくらい突き抜けた部分がないと時代を変えるような発見とか変革というものも出て来ないというのが真実でもあります

天王星というのは、わたしは一種の次元転送・次元転換の働きを持ったものとして捉えています

天王星すなわちウラヌスというのはギリシャ神話に登場する天空神であり、全宇宙を統べた原初の神々の王とされますけれども、天王星を通じて全宇宙にあるものが地上に顕現してくるのだと感じられます

発明や改革というものは、未来や他次元にあるものが転送されて現れてくるものとしてわたしは捉えている、ということです

サインとその支配星とを混同してはいけないのですけれども、やはり性質を考える際には両者は非常に密接なところがあると常に感じられるとことです

けれども、わたしの極端さは水瓶座太陽以外にも、冥王星と合した天王星がホロスコープ上の最も高い位置にあることも強く関与しているでしょう

少々話が逸れたかも知れません

これからのライフスタイル

これまでは西洋の男性原理的な物質主義的文化が主導する物質主義偏重の時代となっていました

その反動として女性原理的な霊性が重んじられる時代が来るのだと感じられますけれども、単に女性原理的な部分が強く働くということだけでは、時代が退歩的となってしまう可能性があります

しかしこの日本というのは、圧倒的な女性原理的土壌の中にありつつも、西洋に肩を並べる程に男性原理的な文化を消化吸収して自家薬籠中のものとしてしまっています

どうして日本においてはそのような在り方が可能であるのかの詳しい考察につきましては、別の機会に譲りたいと思いますけれども、何れにしましても次の時代の標準となるのは日本的スタイルとなる可能性が非常に高いであろう、と感じられます

日本的スタイルというものには、一貫して和の精神を重んじるということがその根底にある訳ですけれども、そのように言ってもつかみどころがないところもありますので、今回は大乗仏教というものを引き合いに出してみたいと思います

日本における仏教というのは小乗ではなく大乗仏教が主流となった、ということは皆様ご存じかと思いますけれども、何故そうなったかというのは、日本の和を重んじる精神的土壌に合致したのが大乗仏教であったからに他ならない、と言われるべきと感じます

では、大乗仏教の精神とは何かと言いますと、それは「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」という菩薩の発心に尽きるのではないでしょうか

自(じ)・未得度(みとくど)・先度他(せんどた)というのは、わたしなりに分かりやすく表現してみれば、「わたしは未だ救われていない身であるけれども、先に他の人々を救いたい」、つまり自分の幸福よりも他者の幸福を優先して考えたい、ということになります

和の精神というのは自分一人のことよりも常に周囲や全体のことを優先して思いやる気持ち、と言う日本人特有の精神性ですので、自未得度先度他というのは、ほとんどそのことを指している言葉のようにわたしには感じられます

こうした気持ちを大悲心などとも言い、仏が衆生を憐れむ心を指しますけれども、子を思う母親の心情によく例えられ、狩野芳崖にも悲母観音という傑作があります

歴代天皇の民に対する気持ちというのも、そのようなお気持ちと考えますと、非常にしっくりくる部分があると感じられます

日本が極めて女性原理的であるというのは、こうした和の精神性そのものに現れていると考えられますけれども、自分という個我に囚われずに周囲や全体のことを考えられるというのは、心の在り方が個我に囚われた物質主義的なものではなく、他者との霊的な見えない部分でのつながりというものを非常に重んじているということでしょう

風の時代の新しいライフスタイルを論じる場合に、まずは日本人特有の精神性が活かされた社会というものを考えたいと思いますけれども、日本的な社会の在り方としましては、まず「結(ゆい)」のようなものが考えられるでしょうか

というのは集落などの自治単位の中で、相互扶助精神に基づいて農作業や家の普請などを住民総出で助け合って行うものですけれども、こうしたものには半強制的要素であるとか村八分的な要素を伴い兼ねない側面がありますので、どのようにして個々の自由意志や自主性が担保できるのかというところが現代では鍵となるのでしょう

また、日本的な小規模な金融システムとして、無尽・無尽講(むじんこう)、頼母子講(たのもしこう)、そして沖縄や奄美地方の模合(もあい)などがあり、参加者が資金を出し合って積み立てをし、集まった積立金を参加者が順繰りに受け取れるというものがあり、沖縄の模合は現在でも盛んに行われていることが知られています

最近は相当に薄まって来ていると思いますけれども、社員旅行や宴会などの費用を積み立てる風習なども極めて日本的な風習なのではないでしょうか

このような数々の相互扶助的なシステムというのは、近代の西洋的個人主義的風潮においては成立しづらく、現在進行形の形で解体が進んで消滅していっていると感じられますけれども、従来のような盲目的な全体主義的あり方とは異なった形で、どのように相互扶助的なシステムを再生できるのか、ということがこれからの時代のテーマとなってくるのではないでしょうか

そもそも日本のように災害が多発する地域におきましては、国などの中央集権的な組織によってではなく、地域共同体の中で災害やその後の復興に関する機能をもったシステムを構築した方がよいところがあるでしょうし、記録を塗り替える災害が立て続けに起こっている今年の状況を考えれば、益々そういった形の新しい社会システムの必要性が感じられるところです

中央というのはそこに情報が集約されていきますけれども、それが経験の積み重ねとして出てくる智恵としてはまったく活かされておらず、地域毎に共有されている意識に即して臨機応変な形で社会システムが構築しうるような状況を作るためには、もっと思い切った形で地方への権限委譲や地域共同体の機能強化が図られなければならないでしょう

風の時代のライフスタイルを考える場合に、相互扶助的な理念を中心に据える、ということが非常に大切なことであると考えられます

健康保険や雇用保険などの社会保険や一般企業による様々な保険に関しても相互扶助のシステムだなどと言われますけれども、実質的には国の省益や企業の利益というものが最優先されているシステムに過ぎない訳であり、我々は相互扶助の美名のもとに法外なコスト負担を強いられている側面があることは忘れてはなりません

また本来の相互扶助においては、感情面における再生産性というような機能があるのではないかと考えられます

人間というのは本来的には他者の喜びを糧として生きることのできる存在なのであり、社会の持続性というものも、経済的な側面からばかり語られるのではなく、精神的側面からもそうしたものが考えられなければならないのではないかと感じられます

人間が精神的な生き物であることに重きを置けば、喜びというものが拡大的に再生産されていくような社会づくりということが、考えられて然るべきではないかと感じられます

これまでの社会というのは、分け与え合うのではなく奪い合うという形において、むしろ悲しみが再生産されていく世の中であった、と考えることもできます

競争原理的な社会というのは、常に少数の勝者と大多数の敗者というヒエラルキーを生み出すことは敢えて説明する必要もなく自明のことですけれども、これを別な形で表現してみれば、少数の喜びに対して大多数の悲しみが生じており、全体としての収支は常にネガティブな感情の生産に大きく偏る必然性を持っている、ということが言えるのではないでしょうか

最後に

現在の福岡の気圧は972hpaとなっており、これからどんどん下がっていっていよいよ本格的な暴風圏内に入ろうかというところです

既に気圧の低下で息苦しさが増して動悸がし始めており、いつ停電してもおかしくないような状況ですので今日はこの辺までとしておきたいと思います

今回の台風10号ハイシェン(海神)に対しましては、いつもとは違ってわたしもかなりビビっておりますけれども、海神といえば日本では綿津見の神のことであり、ここ福岡にある志賀海神社は、神代から「海神の総本社」、「龍の都」と称えられる古社であり、綿津見の神と言えば住吉三神とともにイザナギの命が黄泉から帰って禊ぎをした際に生まれた禊祓の神です

わたしの歴史認識におきましては、日本の歴史というのは常に九州から変わっていくという法則があると強く感じていますので、九州がすっぽりと暴風圏内に収まってしまうという、誠に異例である今回の台風によりまして、何かしら見えない部分で世界が大きく変わる切っ掛けとなるのではないか、という気がしているところです

皆様におかれましては、風の時代の生き方を考えるに際しまして、相互扶助の理念の下に喜びの感情が再生産されるような世の中のあり方というものを、それぞれのお立場で考えてみていただけましたら幸いです

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