風の時代の生き方② ~風の時代のガイドライン~

はじめに

昨夜の台風10号は、少なくともわたしの家の周辺では大きな被害等がなくて済み、風の強さだけを言えば前回の9号の時の方が強かったように感じられたところです

引き続き台風シーズンでありますので、規模の大小に関わらずに注意を怠らないようにしなければなりません

さて、前回は和の精神の具体的なあり方の説明としまして、自未得度先度他という菩薩の発心を引き合いに出したところですけれども、日本の霊的土壌におきましては、理念に偏らずに実践の方を重んじるという形で中庸的なあり方が尊ばれてきたと感じられます

新しい時代における日本的な生き方というものについて、今回はより具体的な形で考えを深めてみたいと思います

自利と利他

近年のスピリチュアルブームによりまして、海外から小乗的な考え方が随分入り込んでしまっているように見受けられるところがあり、それは利他よりも自利の方面に偏った考え方であると言えると思います

自利というのは、自分の修行によって得た功徳を自分が享受することを優先することであり、すなわち自身の霊格を高めることを優先しようとすることであり、利他というのは先の自未得度先度他的な、自身を高めることよりもまず人の役に立とうとする精神を言います

西洋的な考え方というのは常に理念的であり、かくあるべしという理想の状態をどこまでも追究する傾向があります

科学に関しまして、西洋においてはものごとの原理を明らかにしようとする基礎科学的な傾向が強いのに対しまして、日本におきましては、際限なく理論を突き詰めることよりも、まずそれを実際的に応用することの方に重きを置いた応用科学的な分野に強みがあることは皆さんご承知のとおりです

科学的真理を追究することに絶対的価値を見出す西洋的なあり方に対して、実際に世の中をよくして人に役立つことを優先的に考える、というのが日本的なあり方の際だった特徴としてある訳です

そして、そうした傾向というのは、自利よりも利他を貴ぶ自未得度先度他の精神=和の精神に基づくものだと考えることができるのではないでしょうか

人生の目標の置き方

以前の記事におきまして、わたしは次のように書きました

個々の人間に与えられている使命・目的というのは、人種的・民俗的なものから社会や組織、家庭内における使命、さらに純粋に個人が個性的に発揮するべき使命というように複層的なものであるとともに霊的なものから現実的なものというような意味での多次元性をも持ち合わせています

それらを低い次元や自己という最小の単位から考えていくと、より高い次元や大きな単位の使命や目的と上手く調和させることが難しくなり、結局何事も上手く進めることができなくなります

人生の目的や理想というものは、まずは最も高い霊的次元、最も大きな単位から意識することによって、すべての目的や使命は自然と相互に有機的関連を持って調和的に達成されるようになります

それはより高い次元、より大きな単位のものというのは、それ以下のものをはじめから内包している訳ですから当然のことなのです

(参照:「天皇と風の時代との相関性 ~風の時代のガイドライン~」より)

現在の西洋的な個人主義的な考え方を基本に据えている場合には、個と全体との衝突ということが常に生じてきます

日本人というのは、個というのは全体の一部に過ぎないというような感じ方が元々強いので、日本人が個人主義的な生き方を追究しますと、かえって全体性を強く否定してしまう傾向が出て来ます

西洋の考え方では、個というものがあり、更に別の次元で全体性というものがあると考えているので、個と全体とを意識的に調和させようとする考え方もあるように見受けられます

西洋においては個と全体との間の距離感は非常にあるのですけれども、決して全体性を否定し切っている訳でもなく、反省的な形でホリスティックな考え方を積極的に許容している側面もあります

具体的に言えば、ホメオパシーや波動医学、シュタイナーの精神科学、ケイシーのリーディングに基づく医療、占星術に対する学問的アプローチなど、代替医療の存在やスピリチュアルな考え方というものに対して社会が寛容的な側面を持っています

反対に日本におけるそれらの扱いを見ますと、非常に硬直的で排他的なところが見て取れるのではないかと感じられます

もともと個と全体とを分けて考えていなかった日本に西洋的合理精神が関与しますと、そのような弊害が多く生じてくることになります

ルドルフ・シュタイナーも、「日本人は古代の霊性の遺産として、精神の柔軟さ・活発さを持っており、それが欧米の唯物論と結び付くと恐ろしいことになる。」と言っていますけれども、そろそろ日本人は本来の立ち位置に戻ることを明確に意識すべき時期が来ているとわたしは感じているところです

近年のスピリチュアリズムというのは欧米が主導するものであって、自らの霊性を高めることに主な意識が置かれ、利他的な方面に関しましては、祈りという間接的な手段によるアプローチが意識されているように見受けられます

日本人として新しい時代に即した人生目標を考える場合には、わたしはもっと日本らしい利他的な方向性で考えた方がよいと感じます

日本人はそもそも全体の幸せが自分の幸福であると感じやすいのであり、個と全体との距離が非常に近いというか、ほとんど一体化しているのかも知れません

これは日本人が神と人間との関係性を非常に生得的な親子関係的なものとして捉える側面にも現れていると感じられます

一方で西洋においては神と人間との距離というのは非常にあって、神と人との関係は生得的なものではなく後天的な契約関係に基づいて生じるものとして認識されているのではないでしょうか

スピリチュアリズムにおきましては、高次の霊的理想を見出して生きることの必要性が強調されていますけれども、日本人というのはもともと女性原理的な霊的あり方をしているので、そもそも自己の中の高次的存在と低次的存在との間にさほど距離がないのだとわたしは感じます

従いまして、近年のスピリチュアリズムにおいてやたらに強調される高次の自我であるとか高次の理想といった概念に従おうとすると、日本人の場合はかえって混乱するところが多いのではないか、と感じるのです

シュタイナーの日本人に対する言及からも分かるとおり、日本人は敢えて欧米的なスピリチュアリズムに染まらずとも、そもそもスピリチュアルなあり方を本来的にしているのだ、ということをよく踏まえることが必要と感じます

日本人が欧米的なスピリチュアリズムに染まった考え方をすると、本来的なスピリチュアルなあり方からかえって遠ざかってしまうような結果に陥ってしまうことにも成りかねない、という点が危惧されます

科学にしてもスピリチュアリズムにしても、日本人と西洋人との本質的な違いというものを認識せずに盲目的に導入してしまうと、弊害というものが多くなるでしょう

例えばタロットカードのウェイト版のソードのスートに関しましては、大変ネガティブな象意が持たされていると感じられることが多いかと思います

シュタイナーによれば人種に関しまして、「モンゴル人は中脳が発達して感情のいとなみ、ヨーロッパ人は前脳が発達していて唯物論的な思考に秀でている」と言及しています

西洋人というのは前脳による思考の働きが優位的であり、その場合に風のスートにおいてネガティブな要素が顕在化しやすい傾向があるのだ、とわたしは捉えています

人間の先天的な優位機能、つまり先天的によく働く部分といいますのは、意識的にコントロールしにくいところがあるものと捉えています

それは天才が一旦スランプに陥るとそこから脱出する方法が分からなくなるのに比べ、一から努力して身につけた後天的能力というものは、自身のコントロール下におきやすい、というようなことがあるのだと考えています

もし、日本人に相応しい形でタロットを考えるならば、水のスートであるカップにおいてネガティブな象意が強調されることになるだろうと考えられ、それは日本人における全体主義や同調圧力のような形で発揮される、感情機能が過剰に発揮された場合の弊害として捉えることができるでしょう

今できることをする

日本人が元々スピリチュアルなあり方をしている民族であるとの前提に立てば、西洋的な霊格や霊性の向上をまず試みようとするようなやり方よりも、ただちに利他的な形で自分が周囲や世の中に役に立つことを考える実践的なあり方を優先することがよいのではないか、と感じられます

人間の寿命というものを考えれば、誰しも明日も生きているという保証などない訳ですから、今の自分にできることを考えて実践するということは、ある意味で非常に合理的な考え方であると言えます

霊的目標などと敢えて遠いところに目線を置かなくても、自分が今人や世の中に対してできることというのを考えてみれば、それは自ずと絞られてきます

霊的な存在である人間が地上で霊的な目標を実現しようとした場合に、それは自分に備わっている身体機能と心理機能とを活かす形でしかあり得ませんし、人間が高次の霊的存在なのであるとすれば、今世の霊的目標を果たすのに最も適した人種、性別、身体的・心理的特徴を持って生まれて来ているのに相違ないと考えられるのではないでしょうか

しかし、現代的な人のあり方として人は、なるべく自己の本来性からかけ離れた存在になろうとばかり躍起になっているような傾向が顕著に見受けられるように感じられます

それは、地上で霊的目標を果たす為の道具に過ぎない身体を自己の本体と誤認していることから、道具の善し悪しの部分にばかり関心がいってしまっていることが原因でしょうか

霊的な目標に立ち返れば、人が成すべきことというのは真善美に生きることであり、それは世の中に調和をもたらすということに他なりません

そのために一人ひとりができることというのは、持って生まれた身体や資質を活かして生きるということしかない筈なのですけれども、道具の善し悪しに関して他者を羨んだり妬んだり、あるいは優越感に浸るような非本質的な部分への執着に終始してしまっているのではないでしょうか

やたらと自分探しをしたり、自身の霊的目標を探しだそうなどとしなくても、自分に出来ることなんてはじめからほとんど限定的なものですし、その自分にしかできないことを小さなことでもコツコツとやることが、実質的には自身の霊的目標に最も叶った生き方ができるのではないか、というように思われますけれども如何でしょうか

最後に

6月に夏至と日食の記事を書いてから2ヶ月くらいの間、ブログの更新をしていませんでしたけれども、新しい風の時代を生きるに際して、自分の霊的目標は何だろうということについて、あらためてずっと考えていました

そして結果的には、自分が何時死ぬかも分からないのに、得られるか分かりもしない問いに掛かりきりになっているよりも、今自分にできることをやればいいだけのことではないか、というところに行き着きました

今年に入ってからは不調続きで、8月も夏バテによる栄養不良が酷かったのですけれども、体力面でも経済面でもまったく余裕のない状態の今の自分が、人の爲に何かできることがあるとすれば、さしあたってこのブログを更新することくらいしか思い当たりませんでした

本来のコンディションではなく、集中力も欠いたまま不調に喘ぎながらも、最近になってブログを頻繁に更新しているのは、自分で考えて得た結論に結果的には従っている、ということになります

自分の書いていることが実際にさほど世の中の役に立つとはまったく思いませんけれども、一人か二人くらいの方にはもしかしたら参考になる部分があるのかも知れません

世の中のたった一人の方が少し参考にしてくださるだけであっても、それは非常に意味のあることだと考えなければなりません

少なくとも、何もしなかった場合とは大違いですから

もしかすると、自分に今出来ることをするということほどにスピリチュアルなあり方というのはない、ということができるのかも知れません

ということで、どんなにつまらないことでも、それが少しでも人や世の中のためを思ってなされるのであれば、それは自らの霊的目標の実現にいそしんだことになるのであり、今できることをやってみてこそ、次なるステップがはじめて見えてくるのではないか、ということを申し述べて今回は終わりにしたいと思います

以上、ご参考になりましたら幸いです

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風の時代の生き方② ~風の時代のガイドライン~” に対して2件のコメントがあります。

  1. K より:

    いつも読んでいます。読むたびに新しい発見と、視点に気づかされ、読ませる文章力でついつい夜更かししながら読んでいました。

    誰かの役に立てば、ということであれば、十分私の役に立っています。このメッセージが逆にあなたの役に立つといいなと思います。

    これからも更新を楽しみにしています。無理ない範囲で、よろしくお願いします。

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    1. duct より:

      Kさん
      コメントありがとうございます^^

      また、過分にお褒めいただき、重ねてお礼申し上げます

      今年は体調がスゴく不安定で集中力も欠いているため、推敲が不十分であったりして、内容がきちんと伝わっているかについて不安なところがありました
      少なからず参考にしていただける方がいらっしゃるということで、大変励みになります

      今後ともよろしくお願い申し上げます

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