日本の新たな課題について ~風の時代のガイドライン~

はじめに

すぐ目前にまで迫って来ている風の時代において、日本民族が果たしていく役割というものについて考えてみたいと思います

これまでの一連の記述におきまして、日本というのは元々女性原理的な、より霊的なあり方をしている民族であり、非常に男性原理的で物質的なあり方をしている西洋とは大きく異なっている点に触れてきました

この点に関して新たに認識を深めることは、これからの日本人にとってとても重要なことになるものと感じられます

スピリチュアリズムというものに関しましても、西洋的なアプローチというのは物事の原理的な側面を明らかにするという点に特徴があり、それは何かを理解したり説明したりする際には大いに役立ちます

そして、東洋的なスピリチュアルへのアプローチというのはその実践性に特徴があり、西洋においても禅やヨガなどの方法論が広く導入されているのは、やはりその優れた実践性に価値が見出されているからに他ならないでしょう

神界や霊界に関する深奥な知識というのもある程度は必要ではありますけれども、神界や霊界の知識を如何に豊富に持ち、よしんば神仏とのつながりをそれで深めることができたところで、地上における霊的な実践というものがなければ、そのことは何の意味も持ちません

西洋からお手軽なスピリチュアリズムというのが色々と輸入されていますけれども、神仏や天使といった存在に意識を向けて自身の幸福を願うような個人主義的なあり方よりも、他者や社会への貢献という観点からの実践性を重視することの方が、日本の霊的風土に叶っており、霊的向上にも直接つながりやすいのではないかというように感じられます

物質主義的な西洋の感覚で霊的な世界にアプローチをしますと、現実と霊的世界の間に非常に距離感があるために、霊的な世界にはまり込み過ぎてしまう弊害があるように感じられます

日本人の場合は神仏との距離感覚がはじめからあまりないので、無心になって神仏と一体化しつつ、世の中で実践的に活動することを目指すような考え方の方が相応しいと感じられます

仏教においても小乗仏教というのは、自分がまず幸福になることが大切なのであり、自分が幸福でなければ周りも幸せにできないというような、ある意味で自己中心的な考え方をしています

それが昨今の個人主義的な考え方が浸透した日本人にはもっともなように受け取られているのですけれども、そうしたことは元々自他というものをあまり区別していない日本人にとっては、少なくとも潜在意識下では、ばつが悪いことのように感じられてはいないでしょうか

あらゆる文化の側面において、日本の本来の立ち位置というものをよく再認識した上で、海外からの影響を再整理する必要性というのがこれからの日本人にとって非常に大切になってくる様に感じられます

風の時代を迎えて物質文化から精神文化に比重がシフトするに際して、日本人固有の精神性というものが、今一度見直されることが必要になるだろう、ということです

民主主義の再認識

西洋においては、絶対王政の打倒を経て近代的な民主主義というものが確立されました

西洋の歴史においては、常に悪魔的なものと神的なものとの対峙があるように感じられます

日本においては、聖徳太子の十七条憲法や歴代天皇の民に対する態度を見ても、はじめから民主的な姿勢を持っており、明治天皇の五箇条の御誓文を見れば、そうした高い精神性が古来から一貫して保たれて来ていることが分かります

このことは、日本においてまったく専制的な要素がなかったということを意味する訳ではありませんけれども、西洋のように明確な形で民主主義や自由主義というものが確立しなかったのは、西洋ほどの絶対的な君主制というものがそもそも存在しなかったためであると言えるのではないでしょうか

西洋が絶対君主制という歴史上の試練を経て、民主主義というものを普遍的な価値を持ったものとして確立したということは、人類全体にとっても非常に意義のあることです

中国共産党はこの民主主義と自由主義というものに対して、それらを真っ向から否定するような政策を非常に強力に推し進めようとしています

中国共産党のそのような、人類の歩んできた歴史に対する反逆的で犯罪的な態度というのは、人類の進歩そのものに対する否定であり、西洋が歴史を通じて勝ち得た普遍的真理に対する陵辱的な行為であるとも言えるでしょう

風の時代の幕開けに先立って、中国共産党と自由主義国との対立が先鋭化してきたということは、年末の水瓶座1度にて生じるグレートコンジャンクションによってもたらされる博愛的な精神主義と改革精神の時代の到来の先触れとして感じられます

全人類的な視野に立ったときに、民主主義というものがどのようなものとして再認識されていくのか、ということが風の時代における一つの大きな課題になるのではないかと感じられます

これまで西洋諸国が抱いていた、後進国においても経済の発展というものが自然に民主化を促すであろうとの思惑は、まったく見当違いの幻想に過ぎなかったことが、中国共産党の挙動を通じて明らかとなりました

そのことは、これからの世界のあり方に極めて大きな影響をもたらす可能性があります

西洋的な理知的な教育方法というものは、元々理知的なあり方をしている存在に対してのみ有効であるという意味において、ひとつの限界性を持っているように感じられます

一方で、本来とても民主的なあり方をしている日本人というのは、極めて実践的な形で民主的なあり方というものを世界に提示することができるでしょう

我々日本人のあり方というのは、西洋的な民主主義的なあり方から見ますと、一見全体主義的なあり方であると映るところがあります

物事を西洋的な唯物的視点から眺めると、そのように見えてしまうということがあります

けれども、我々は必ずしも外からの強制的な力によって全体性を志向している訳ではなく、霊的なつながり意識というものを感じて自発的な形で個よりも全体性というものを自然に重んじている訳です

その辺のところは、日本の中にいる日本人だけを見ていても中々理解できない部分があるのかも知れません

日本人が世界各地の後進的地域における社会貢献を通じて、あまり自他を区別しない日本的な民主的あり方の良さというものを実践的に示していくようなことが、これからもっと必要とされるのかも知れません

人類統合の促進

自由主義国と中国共産党との対立というものが、白人を中心とする社会と有色人種社会との対立であるという側面を持っていると見なされる時、そこに新たな人種差別的な感情が生まれてくる可能性というものがあります

今現在既に、この風の時代の幕開けの直前の世界の大きな混乱の最中におきまして、アメリカを中心に人種に関する問題というものが俄に大きくクローズアップされて来ていることは皆さんもご承知のとおりです

これらのことを前向きに解釈すれば、次の風の時代においては、人類の統合が一つ先の新しい段階へと進む可能性というものが示唆されており、それに関する課題意識というものが大きく立ち上ってきているのだ、というように受け止めることもできます

日本人は言うまでもなく有色人種ですので、この課題に対して積極的にアプローチしていかなければなりません

これまでの日本は、この地球における人種間の問題に対して、有色人種の有能性をある程度認めさせ、その自主自律的な在り方への道を拓いて来たわけですけれども、それは全人類の統合という課題に対する積極果敢なアプローチであったというよりは、単に日本人が西洋に遅れを取らぬように必死の努力を重ね続けてきていることの結果として実現されている、受動的な形でもたらされた成果ではないかと感じられます

新しい時代におきましては、日本はこの人類の人種問題に対して、より意識的で能動的な形でアプローチしなければならないのではないか、と感じられます

これまでの日本は、敗戦による自信喪失ということも相俟って、ひたすら西洋文化に追随することのみに囚われていました

あらゆる分野において世界標準に達しようとするそうした試みは、すでに現在の段階でもある程度果たされているのであり、これからの日本は西洋に対する追従ではなく、日本独自の在り方を主体的に世界に示していかなければならない段階へと来ているのではないかとも感じられます

これまでの日本は、世界レベルで生じている様々な諸問題の多くに対して、やはり西洋に追随する姿勢を示すに留まっていたと感じられますけれども、最早そうした日和見的な態度に留まることは許されない状況となってくるのでしょう

そうしますとやはり、日本人がその本来の固有する精神性に立ち返ることの重要性というものが意識されることになってきます

世界をつなぐもの

話が少し飛びますけれども、現在の日本的文化の特徴的なもののひとつとして、アニメーションというものがあげられます

日本人というのは元々女性原理的な、より霊的あり方をしており、現実に対して、物質的な次元で展開されている現実をありのままに見ているというよりは、もっと内的にものごとを見ている、または感じていると言えるでしょう

現実的世界の裏側に存在している見えない世界というものがイマジネーションを通じてビジュアライズされているものがアニメーションなのであり、日本人にとっては現実そのものに対してより、そちらの世界の方によりリアリティーや親密さを感じている部分が多くあるように思われます

我々日本人というのは、この現代においてさえも、古事記的な神話の世界と完全には断絶しておらず、フィクションの中においてものごとの真実性や実在性を感じようとする傾向が強いのではないでしょうか

一方で西洋的に描かれるフィクションというのは、現実の唯物的な側面を近未来的に発展させた形のものとしてあり、未だ現実化されない現実を超現実として描こうとする傾向が強いように感じられ、同じフィクションといっても求めている方向性にはやはり男性原理的なものと女性原理的なものとの相違が感じられます

現在でもアニメ文化が広く世界的に受け入れられている状況にあるということは、日本的な女性原理的な文化によって男性原理的な世界が補完されている、ということにはなるのですけれども、現段階ではあくまでもサブカルチャーとして受け止められているのに過ぎず、日本を除けば実際の社会の在り方に直接的に影響を与えるものとはなっていないでしょう

日本人社会においては、アニメーション作品というのは単なる個人の趣味的嗜好を満たすものに留まらず、社会を動かしているエネルギーと直接的に結びついている部分があるものとして感じられます

将来的には、人類が共有できるような新しい神話と呼び得るような作品が、アニメーションの形で日本から生み出される可能性というものがあるだろうように感じられます

水瓶座というのは非現実的なテーマを追究する傾向がありますし、現実を越えたところにある普遍性を追い求めますので、風の時代に発展するであろう精神文化において、アニメーションが主要な表現手段の一つとなって社会への強い影響を持つに至るようになることは大いにあり得そうです

アニメーションの世界というのは、人種や性差などに関してボーダーレスな要素が強いと感じられますし、異なる人種や民族の間でも極めて容易に価値観の共有を可能にするものと感じられます

ここではアニメーションを例にしましたけれども、必ずしも日本のアニメーション作品のすべてが上に述べたような意味合いで優れていると考えている訳ではありませんし、アニメーション以外の文章や実写映像といった表現手段のものであっても、日本的ファンタジーの世界観は十分に表現され得るでしょう

ゲゲゲの鬼太郎の妖怪の世界であるとか、ジブリのまっくろくろすけであるとか、日本人はそういうものを単にファンタジーとして感じるよりは、どこかでその実在性というものを感じているところがあるのではないでしょうか

そのことは日本人が霊的なあり方をしており、他者や環境との間の見えないつながりというものを常に意識しながら生きているという特殊な性質の反映であると感じられ、道具を供養する風習の中などにもそうした精神性が強く感じられます

風の時代の精神文化の方向性として、そのような日本的文化が更に価値ある形で真価を発揮して、世界人類をつなぐものとなっていくことが期待できるように感じられるところです

最後に

わたしが近年期待していることに人種や民族の遺伝学上の研究の成果があります

考古学や遺伝学の進展により、日本人に関する数々のこれまでの誤った認識が修整されるようになってきていますけれども、遠からずより詳細な部分が明らかにされてくることが期待されます

ルドルフ:シュタイナーは人類の五大人種に関して、水星、金星、火星、木星、土星のそれぞれの霊的存在の関与が五つの人種を形成したとしており、それぞれ順にアフリカ人種、マレー人種、モンゴル人種、アーリア人種、アメリカ先住民であるとしています

我々モンゴロイドは、火星の霊的存在の影響によって形成されたとされていますけれども、古代ヘブライ人を含むセム族もまた同様に火星の影響によって、モンゴロイドとは対極的な存在として生まれたものとされています

以上は人種に関する事柄ですけれども、遺伝学に目を転じて民族についてみれば、日本人と古代イスラエル人とはYAP遺伝子という特殊な遺伝配列を持つ唯一のハログループDEの系統という同じ遺伝系統から別れた非常に古い種族であることが分かっています

シュタイナーの人種に関する霊的な考察においても、また近代の遺伝学においてもその親近性が指摘されている二つの民族に関して、今後の研究によってどんなことが明らかにされてくるでしょうか

日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つという日ユ同祖論は、日本においては非常に古くからあり、日本人はイスラエルの失われた10部族の一部であるという説はまことしやかに囁かれ続けています

わたしは日本人にとって、ヘブライ人との関係があるかないかということはどうでもよいこと考えています

日本人が日本人らしくあるために、わざわざヘブライ人などを持ち出してくる必要などないでしょう

けれども、もし日本人と古代イスラエル人との関係性が科学的により明らかにされてくるのであれば、世界にとっては非常に大きな意味を持ってくるのかも知れません

シュタイナーはヘブライ民族について次のように語っています

火星の霊たちは特に血液に働きかけたことを思い浮かべてみてください。そうすれば、世代から世代へと伝えられる血がセムーヘブライ民族によってなぜ特別重要なのかが理解できます。また、なぜヤハウェが自分をアブラハム、イサク、ヤコブなどの血とともにある神というのかも理解できます。血液という道が、世代を通っていくのです。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とヤハウェがいうのは、「わたしは、おまえたちの血のなかに働く」という意味なのです。血液のなかにおける火星の霊たちとの共同は、人類全体を導くものにわたしたちを深く導きいれます。(「民族魂の使命」イザラ書房)より

この文章はヘブライ民族というよりも、現代においてはむしろ、神の子として男系で血統を紡いで来ている天皇家そのものについて語っているようにしか感じられません 如何でしょうか

ともあれ、日本や日本的なあり方というものが様々な観点から見直されることは、これからの人類全体にとっても非常に有意義なことではないかと感じられるところであり、皆様におかれましても、様々な形で日本と日本人に関して見直してみられては如何かと感じるところです

以上、難しいテーマであり何度も書き直しましたので全体的なまとまりが損なわれたかも知れず、あまり内容に自信はありませんけれども、少しでも参考になりましたら幸いです

8+

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です