グローバルスタンダードと多様性 ~風の時代のガイドライン~
地の時代とグローバリゼーション
これまでの地の時代における際だった特徴として、グローバリゼーション化の流れというものが挙げられるのではないでしょうか
ヨーロッパにおいて産業革命を通じて資本主義が確立され、やがてそれは帝国主義を生み出して帝国主義に基づく植民地政策によって、軍事的暴力を用いて他国を無理矢理に自らの生産体系に組み込んでいくという形のグローバリゼーションというものが、まず最初にありました
そして先の大戦以降には、世界の中心が欧州から米国へとシフトするとともに、今度は経済的な活動を通してグローバリゼーションが推し進められることになりました
これらの一連のグローバリゼーションの流れというものは、何れも強いものの都合やルールが弱い存在に一方的に押しつけられるという点において、本質的な部分で同質的なものと考えられるべきでしょう
そして、グローバリゼーションの結果として、強者は益々富み、弱者との間において格差が拡大するという構図が当然のことながら定着化して来ました
グローバリゼーションにはよい点も多くありますし、またそうではない点も含まれており、風の時代においては地の時代を総括して、その良い点を残して悪い点を改善していくということが課題として意識されるでしょう
欧米は、グローバリゼーションによって世界経済の発達が見込まれると共に、世界の民主主義化・自由主義化が推し進められるであろうと認識していました
けれども、欧米の目論見とは異なる結果を中国をはじめとする一部の国が示していることから、これまでのグローバリゼーションのあり方に限界を感じはじめることになりました
この風の時代の幕開けに際して、グローバリゼーションの中心的な担い手であった米国が、一転して保護主義的な方向に舵を切ろうとしていることは、大変に象徴的な出来事です
悪しき個人主義の蔓延
では、グローバリゼーションの進展によって、世界にもたらされた不都合な部分とは何だったでしょうか
わたしの個人的感想としましては、世界に悪しき個人主義が蔓延する結果を招いた、ということが言えるだろうと思います
西洋における個人主義というのは、過去の絶対王政に対する反発的要素を含みながらも、西洋人の気質にとって自然発生的な要素も色濃く含まれていると感じられます
個の独立性が比較的高い西洋人の場合には、個と個の距離が適度に離れているため、自分以外の個を尊重する考え方も自然にできており、お互いにフランクな関係性が築かれていると感じられます
しかし、他の人種における人間関係というのは、西洋人のように理性的なドライな関係性を基盤に持っている訳ではなく、多かれ少なかれ情緒的な結びつきを持っている特徴があり、人間関係には常にしがらみ的な要素というものがつきまといます
こうした心情的なつながりを持つ人種の社会に個人主義的なものが持ち込まれますと、情緒的な結びつきが損なわれ、代わりに自己中心的なあり方が助長されやすい結果がもたらされるのではないかと感じています
民主主義や自由主義というものが世界標準的な価値観として世界に広まることに何の問題ないのですけれども、経済のグローバル化は民主化や自由主義的傾向を推し進めるというよりも、単に個人主義的な傾向を推し進め、それが西洋と異なる精神的土壌においては、自己中心的なあり方として表れる結果を招いた、ということが言えるのかも知れません
そのもっとも好例と言えるのが中国共産党のあり方であり、市場経済を取り入れて経済のグローバリゼーションに参画しながらも、むしろ反民主的・反自由主義的なあり方を強めながら、ついには世界の覇権に対する野心をも剥き出しにし始めました
そのことによってこれまでのグローバリゼーションは大きく躓くことになり、欧米はむしろ保護主義的な方向に引き戻ろうとしています
一元論と一神教
西洋的なグローバリゼーションの考え方の根底には、一神教に見て取られる一元論的な考え方というものがあります
したがって地の時代は、一元論的な考え方、一神教的なあり方というものが世界において主流的であった時代であるとも言えるかも知れません
一元論的な考え方というのは、スタンダードとなる最高の唯一的な価値観によってすべてが統一されなければならないとする考え方です
西洋人の意識においては、すべての社会が自分たちの社会と同じ価値観を持たなければならないと基本的には考えますし、従わなければ戦って相手を滅ぼすことが正義であると基本的には認識しており、それは一元論、一神教がもたらす必然的な流れとしてあります
正しい、優れた唯一的な価値観にすべてが収束されなければならず、それ以外は否定されなければならないという一元論的な考え方というのは、科学主義的な考え方にもつながっていきます
科学主義的な考え方というのは、要するに帰納的・演繹的考え方ということであり、帰納法は様々な現象から普遍的な真理を導き出し、演繹法は既知である普遍的真理を前提として、そこからすべての現象を結論づけようとすることですけれども、何れにしても万象を唯一性のある真理と密接に関連づけて捉えようとする姿勢というのは、一元論的なものの考え方に立脚したものでしょう
西洋は何でもかんでも自分たちのルールややり方、考え方が最上のものであると過信し過ぎており、グローバル化すべき事柄とそうでない事柄との区別がつけられなかった、というところに次の時代において大きく反省すべき点があるでしょう
我々日本人のような多元論的・多神教的な立場からは、ある価値観と別の価値観というまったく異なる価値体系を、それぞれ別に価値あるものとして認識し、受け入れることが自然にできます
これからの風の時代においては、多元論的要素、すなわち多神教的要素がこれまでの反動として強まってくることが予想されます
ユダヤと日本
一元論的・一神教的なあり方の源というのはユダヤ教にあると言ってよいでしょう
反対に多神教的なあり方をする民族のうち、もっとも成功している民族という意味では日本がその代表として考えられてもよいのではないでしょうか
ユダヤ教の祭司というのは必ず男系で世襲され、現代の祭司もほとんどがモーセの兄アロンの血統を受け継いでいるとされており、実際に遺伝的に調べるとほとんどが共通の男系祖先に遡ることができるそうです
しかし、ユダヤ人の定義はそれとは異なっていて、ユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人としており、祭司以外では女系が尊重されています
ユダヤ人というのは、男性原理を中心とし、女性原理を従とする文化的特質を持っていると言えるのかも知れません
多元論的・多神教的あり方の日本においても、日本の繁栄と幸福を祈り続ける祭主である天皇はユダヤ教の祭司と同様に男系継承であり、日本は女性原理を中心としながらも男性原理を内包していると感じられます
ヘブライ人と日本人は共に火星の働きによって生じた人種であり対極的な存在であるとシュタイナーは語っている訳ですけれども、ここで言う対極性というのはおそらく男性原理と女性原理という対極を言うのであり、二つの民族はあたかも鏡に映し出されたように正反対のあり方をしている民族なのでしょう
日本の天皇が男系継承でなければならないというのは、旧約聖書でも保証されている自然の摂理的なあり方なのであり、人間が関与する以前の神の意志に基づくあり方なのであり、ユダヤ教の神ヤハウェがアブラハムの男系子孫においてその血の中に働く神としてあるように、日本の始原的な神もまた、男系の天皇の血を通じて働く神としてあることが分かります
ですから天皇の男系継承が途切れるということは、神の与える栄光から日本が未来永劫見放されることを意味します
ヘブライ人と日本人は同じハプロタイプDEの血統から別れた兄弟関係にある種族であることを考えれば、天皇家が代々血の中に伝えている神がヤハウェであったとしてもおかしくはありませんけれども、そのことはともかくとしても、二つの民族の間には少なくとも霊的に考えた場合に極めて深いつながりがあると感じられますし、実際に過去において深い関わりがあったのかも知れません
世界の課題
風の時代においては、世界はこれまでの一元論的なあり方に対して、どのようにして多様性を補完していけばいいのか、ということが大きな課題として意識されるでしょう
ここで世界が直面しているのは、端的に言えばユダヤ教的な世界観と日本的な世界観との対立であると言えるのかも知れません
しかし、一元論的な世界から見れば、多元論的な世界は自らに対立するものとして認識されますけれども、多元論的な世界から見れば一元論的な世界は自らの中に内包されているものであり、別に対立しているという訳ではありません
水瓶座は、普遍性と多様性の双方の性質を持つサインであり、多様性の中にこそ普遍性が表れることを実践的に示そうとします
これまでのように唯物的なものごとの見方をしますと、表面的な目に見える部分に捕らわれてしまうために、多様性と普遍性というものがまったく異なる対極的なあり方であるように見えてしまいます
しかし、精神主義的なあり方に立ち返ることによって、多様性の中にこそ普遍性が示されることが実感されることになります
黙っていても時代はその様な流れに自然に向かっていきますけれども、変革に際しては常に抵抗しようとする勢力があるために、大きな出来事を経てドラスティックに変化していかなければならない側面も出て来てしまうでしょう
いくら日本食の良さやアニメ文化の良さなどが世界で評価されたところで、西洋がその根本的なあり方を変える動機に直接的につながっていくとも思われません
風の時代の幕開けを告げる年末のグレートコンジャンクションの起きる水瓶座1度に言動を表す出生火星をお持ちである天皇陛下は、この新しい時代に対してどのような関わり方をされるのか、その口を通じてどのような秘密が語られることになるのか、ということが個人的には気になるところです
現在の菅内閣の中にさえ、女系天皇を容認する発言をする閣僚がいるような状況ですので、最終的には天皇陛下がこの件について直接何らかの言明をなされることがあるのかも知れません
そもそも天皇家における慣習が成文化されただけの皇室典範に関して、天皇家の意志とは無関係なところでまったくの部外者から、そのもっとも肝要な部分の改変が議論されているということ自体が、本来的にはあり得べからざることです
天皇家における男系継承が二千数百年以上も保たれてきたということは、日本を日本たらしめている霊的存在がそのように働きかけ続けて来たということでしょうから、結果的には霊的存在の意向によってすべては決まるのでしょう
しかし、ヤハウェにも匹敵するような日本の始原的な神によって地上に制裁が加えられるのだとすると、相当に凄惨な事態にも至り兼ねませんので、できればそれより以前の段階でおかしな流れが消え去ることが望ましいのには違いありません
世界で最も古い国とその王族が、その歴史的あり方を根本的に変えてしまうということは、これは霊的に考えれば日本だけの問題ではなく、広く世界の未来に多大な影響を与える事柄になります
ルドルフ・シュタイナーが、「日本人は古代の霊性の遺産として、精神の柔軟さ・活発さを持っており、それが欧米の唯物論と結び付くと恐ろしいことになる。」と語ったことに関しまして、女系天皇容認論というのは、日本が欧米の唯物論によって毒された結果として起きる恐ろしいことの最たるものの一つなのだろうと感じられます
日本が神に定められた本来的なあり方をやめる時、世界は一元論的世界が多元論的世界によって補完される道を完全に見失い、ただちに滅びへの道へと突き進んで行く結果を招くことになるだろうと感じられます
今この時期に、日本の閣僚の中に女系天皇を容認する存在が出て来たということは、おそらく次の時代に関わる重要な出来事につながっていくことになるものと感じられますし、そのことが世界のあり方にも大きく関係していくことになるように感じられるところです
と、最後は意外な結論に結びついて行ったかも知れませんけれども、何かしら参考になりましたら幸いです