令和元年の秋分図(9月23日) ~大嘗祭の意味と秋分図との相関性~

秋分点の意味

本日9月23日の午後16時40分過ぎに太陽が天秤座にイングレスして秋分を迎えます

一年には冬至と夏至という二つの至点があり、また春分と秋分という二つの分点があります

二つの至点は陰と陽の極大点であり、二つの分点は陰の半年間と陽の半年間との転換点にあたります

分点においては、エネルギーが陰にも陽にも傾かない中立の状態となりますけれども、これは満ち潮と引き潮の転換点としての凪ぎの状態に相当することになります

このエネルギーが方向づけられずに凪いだ状態にある時というのは、極めてバランスの取れた均衡状態を表している一方で、外部からの霊的な干渉を受けやすい時期でもあるとも言えるのではないかと感じています

何故ならエネルギーが方向付けられずにいる状態というのは、外部から力が加えられればどこへでも転がって行きかねないような無防備な状態であり、意識状態で言えば少し虚ろな感じの警戒心を持たないような状態と言えるのではないかと感じられます

日本では古来からこの分点を中心とした前後3日の期間を春と秋のお彼岸として、先祖を敬って墓参りを行う習慣がありますけれども、これは日本独自の祖霊信仰に基づいた習慣であると言われています

秋分点と言いますのは、これから向かい行く、冬至を頂点とした陰の半年間において、霊的・精神的に向かい行く方向性が、ここを起点として徐々に方向付けられていくポイントであると言え、霊的アンテナを鋭敏に研ぎ澄ませることが必要な時期であると個人的には考えています

我々が陰の半年間において霊的・精神的に成し遂げるべきものについて、この秋分点において祖霊などの霊的助けなども受けながら、その方向性を見出していかなければなりません

また、このエネルギーが凪いだ中立的な状態においては、本人の意識状態のあり方に次第によって、霊的にポジティブな影響を受ける場合もあれば、ネガティブな影響を受ける場合も起こり得ると考えられます

これから方向付けられようとするエネルギーに対して、善なる正しい方向へ向かわせようという霊的勢力の働きもあれば、反対に悪い誤った方向へ導こうとする霊的勢力の働きもあり得るという点には非常に注意が必要です

ですので善なる祖霊や精霊の庇護を願うことが必要となるのであり、キリスト教においても悪魔退治の大天使であるミカエルの庇護をこの時期にミカエル祭にて希うことになります

秋分図について

冬至を中心とする陰の半年間に霊的・精神的な世界において目指すべきものが秋分図において示されているのではないかということを考えることが出来ます

個人として四季図に対してどのように向き合えばいいのかと言いますのは、まずは個人というのも飽くまでも国家や民族という集合体の中に位置づけられる存在であるという認識に基づくことの必要性というものを感じます

全体が向かおうとする方向性を度外視すれば、必然的に社会とのリンクが切れてしまい、自分の活動というものが社会と連動しない、極めて個的な狭い世界に留まったものとなることになります

若い世代においては、個を中心とした自己の成長というものだけを意識していてよいように考えられますけれども、一定の年代以降については世の中全体の流れというものを意識して生きることが普通になりますので、四季図をチェックしてその雰囲気を確認しておくことも大切なことになるでしょう

四季図を個人として積極的に活用するための具体的な方便があるという訳ではないのですけれども、単に注意を向けることによってだけでも、潜在意識下では密接なリンクが生じて来ることになるのではないでしょうか

教科書的に世の中全般の流れを読むというよりは、四季図において自分として気に掛かってくるような点があるのであれば、そのテーマについて個人としての流れの中に取り組んでいくような意識を持てばよいように考えています

また、国全体というよりも地域的文化の中における個との接点というものを重んじるのであれば、首都ではなく自分が住んでいる地域を経過地として四季図を読むようなことを考えてもよいように感じられるところです

 

<牡牛座天王星のバイクインタイル>

秋分点にある太陽に直接コミットしているのは牡牛座6度にある天王星であり、144度のバイクインタイルを形成しています

5分割に関わるこのアスペクトというのは、5の数霊に関わっており、何らかの意味で自分の外部環境に対する働きかけの強い衝動を伴い、創造、教導、理想、欲望などと関わりますけれども、それらはすべて自分と何かの間に橋を架ける行為として一般的に認識されています

(TAURUS 6 °): CANTILEVER BRIDGE ACROSS A DEEP GORGE.
(私訳):片持ち梁橋が深い峡谷に架かっている。

期せずしてこの牡牛座6度のサビアンシンボルにも「橋」のイメージが登場しています

しかし、5の数霊というのが自分(あるいは相手や環境)からの一方通行的な形で架けられようとする”橋”であるのに対して、6の数霊が持つ”橋”のイメージというのは、自分と相手や環境との間に調和的に架けられる”橋”というものを意味するでしょう

シンボルに出てくる”カンチレバー橋”という可動橋は、橋を架けることも出来ると同時にまた架けないでいることもできるという、要するに選択性を持っているということであり、これはタロットの大アルカナ第6番「恋人」の持つ象意とまったく等しいものです

牡牛座6度は何かを期待しながら自分の希望に叶う出来事との間に橋を架けるタイミングを待っているのだと感じられ、そのタイミングというのは本人の自由意志に委ねられているといることになります

太陽に対する天王星のバイクインタイルは、変革のエネルギーを強烈に太陽に注ぎ込みますので、金融であるとか何かしら牡牛座が持つ象意に関する変革に関して、人類の主体的意志が強く方向付けられることになり、何らかの新しい精神的態度というものが生まれてくるのではないかと感じられます

秋分図のこの配置は、今年の3月に牡牛座への最終的イングレスを果たした天王星の牡牛座のテーマに関する変革の流れが、人類の精神的な側面に強く顕現してくる切っ掛けとなり得るものではないかと感じられます

<魚座のAscと1室の海王星>

AscやMcなども気になるところですけれども、これらの感受点は計算方法で度数にズレが生じ勝ちのものであるのでサビアン読みも出来ませんし、アスペクトなども同様の理由で検討は困難です

東京を経過地とすればAscは魚座にあり、そのすぐ下には1室に魚座の海王星が入っており、Mc付近の射手座の木星とスクエアを形成しています

まずは魚座のAscと魚座という定位置に入座して本来的な力を発揮する海王星が1室にあるということは、魚座と海王星の持つ極めて霊的な雰囲気というものが日本人の精神性に強い影響をもたらすことになります

日本では11月に大嘗祭という宮中祭祀が執り行われることとなっています

新嘗祭は毎年行われていますけれども、天皇が即位して最初に行われる場合にはこれを大嘗祭と称するということですけれども、新嘗祭は宮中祭祀の中でも最も重要な祭祀とされており、大嘗祭は更に格別重要な意味合いを持った祭祀です

それは天皇を中心としながら二千年以上の長きにわたって繁栄を続ける日本という国にとって、その霊的な部分において最も重要な意味をそれらが持っているということを意味し、これらの祭祀は日本という国の持つ霊的生命の存続に直結したものであるということが言えます

新嘗祭(大嘗祭)は、旧暦を使用していた時代においては、冬至と重なる時期に行われており、そのことはこの祭祀が冬至の一陽来復、即ち太陽の復活を祝う儀式としての性格を強く持っていることを意味します

言わば天皇を神籬として日本という国体の霊的生命力を新たに蘇らせるための、一年で最も重要な祭祀であるということになります

今年11月の新嘗祭が、新天皇の即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭として、格別に重要な意味合いを持つものであることを考えますと、今年の日本の秋分図において、魚座のAscと1室に魚座海王星があるという配置と言いますのは、日本において最も重要な祭祀である大嘗祭という霊的行為が行われる時期のものとしてぴたりと符合するものであると感じられます

(PISCES 17 °): AN EASTER PARADE.
(私訳):復活祭のパレード

海王星のある魚座17度のサビアンシンボルですけれども、ずばり「復活祭のパレード」です

復活祭(イースター)というのは春分点に関わるキリスト教の春の祝祭ですけれども、冬至というのも太陽の復活祭であることに違いはない訳ですから、この秋分図の魚座17度の海王星が持つ「復活祭のパレード」というシンボルイメージは、日本においては「大嘗祭」を意味していると受け取っても構わないだろうと感じられます

ここで気になって来ますのは、Mc付近の射手座18度の木星と海王星とのスクエアの関係性です

しかし、木星もまた海王星同様に射手座という本来の定位置に入座しており、かつ射手座も木星も一面においては宗教や司祭という象意を持っています

1室の海王星が表す霊性というのは隠れされた見えない世界のものですけれども、Mc付近の木星が表すのは心霊的世界とこの世の現実的世界とを仲立ちする現実的存在としての司祭を意味します

新天皇は既にこの世的には即位していますけれども、霊的な意味では大嘗祭を経て神に認められた後にはじめて真の天皇となることができます

ということは、この1室魚座の海王星とMc付近の射手座木星の関係性と言いますのは、大嘗祭を経て実質的な内容を伴った真の天皇が生まれて来るということを暗示しているということになります

木星のある射手座18度のサビアンシンボルは「子どもたちが砂浜で遊んでいる。彼らの頭は日よけ帽で守られている」というものですけれども、実は重要なのはその一つ前の度数の射手座17度のサビアンシンボルであり、それは「復活祭の来光を拝む儀式が多くの群衆を惹きつける」というものです

「復活祭」という言葉はサビアンシンボルの中でこの魚座17度と射手座17度の2カ所だけに出て来るのですけれども、木星がこの復活祭の出てくる度数の次の18度に進んでいるということは、この木星の表している司祭(即ち天皇)が「復活祭」=「大嘗祭」を経た後の存在であるということを意味しているのだと感じられます

海王星と木星がスクエアの関係性であるというのは、神の介在という外在的な力の作用によって天皇の質的な変容が遂げられるという働きを表しているということになります

 

日本の皇室というのは、ホロスコープとかなり密接な関連を持っていることが普通に見られますので、秋分図がこのような配置となっていることに最早さほど不思議に感じないところですけれども、ホロスコープと関わっていますと、少なくとも霊的な次元においては、日本の天皇というのは世界において中心的な役割を果たしているのではないか、というように実感されることがしばしばあります

ということで、一番重要な点についてお話できましたので、秋分図につきましては今回はここまでとしたいと思います

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